読んだ本
カント全集1 前批判期論集I
大橋容一郎、松山壽一訳
岩波書店
2000年5月
一言コメント
若きカント。自然現象をできうるかぎり科学的にとらえようとする。リスボン地震に対しても同様の態度を貫く。しかし科学は日進月歩で、今からみるとカントの科学性の高さも、なかなか理解しにくい。むしろカントの頑なさがにじみ出ている。
カントは地震について、3つの論文を書いている。この前年にあったリスボン地震をふまえてのものである。
地震原因論
Von den Ursachen der Erderschütterungen bei Gelegenheit des Unglücks, welches die westliche Länder von Europa gegen das Ende des vorigen Jahres betroffen hat. 1756.
地震の歴史と博物誌
Geschichte und Naturbeschreibung der merkwürdigsten Vorfälle des Erdbebens, welches an dem Ende des 1755sten Jahres einen großen Theil der Erde erschüttert hat. 1756.
地震再考
Fortgesetzte Betrachtung der seit einiger Zeit wahrgenommenen Erderschütterungen. 1756.
カントはこの頃、いくつかの自然科学に関する論考を書いている。「活力測定考」(1747年)「地球自転論」(1754年)「地球老化論」(1754年)「火について」(1755年4月)「天界の一般自然死と理論」(1755年)「自然モナド論」(1756年)などである。
地震については科学的にはほとんど解明されていない時代において、「自然探究者」として、語りうることを語ろうとしている。今からみれば、多くは「蓋然」的にしかみえないが、「数学的確実性」をふまえ、自然のもつ法則性のもとに、地震という事象の原因をつきとめようとしている。
これまで再三にわたって当ブログで述べてきたように、1755年のリスボン地震(津波)のインパクトは、ヨーロッパ中に広がっていた。とりわけ、そのなかでもヴォルテールによる神義論(=ライプニッツ)批判がもっとも話題をさらい、「カンディート」などはヨーロッパ各国においてベストセラーとなった。ルソーも負けじと被害の大きさはむしろ文明のおごりの結果であると人為論を展開した。
つまり18世紀半ばすぎにおいて、地震は、「天罰」とはみなされなくなる。
ヴォルテールやルソーと比べると、当時のカントはまだ若く、無名である。書いた論文もいわゆる学会内でしか読まれることのないものだ。
だからカントの論考が世間に大きな影響を与えたということは、まったくない。
しかし、カントのこれらの論考が重要なのは、そういった、世間への影響ではなく、むしろ、哲学者というものが、どこまでこうした大災害に対して掘り下げた思考が行えるのかを知ることができるからである。
たとえばカントは、地震が起こったときの様子を分析し、倒壊した建物の方角を観察した結果、次のような仮説をたてる。
「地震が通常生じざるをえない方向と同方向に流れる川に沿って都市を建設することに懸念を抱かせはしないだろうか」(276ページ)
当時得られている知見を最大限に生かして地震を分析し、被害の原因をつきとめ、次にやってくるであろう地震に対する「防御」をくみたてようとする。
この点においてみれば、カントの知的営みというものが、何ら、杓子定規のものでも、空想的なものでも、頭でっかちのものでもなく、いかに現実のなかで生きるかを前提としていることを思い出させてくれる。
「災厄はどこでも起こりうるのだし、地震の場合もこれを否認できないのだから、私としては災厄に対する人々の恐怖心をそのままにしておくほかなかろう、と。ただし、敬神の念を呼び起こす動因のうちで地震によるそれは最も薄弱な動因であり、本稿での私の意図は地震の自然的根拠を推測によって挙げることなので、いま挙げた諸点から容易につぎのことを察知できるであろう。すなわち、プロイセンは山のない国であるばかりでなく、ほぼ至るところ平地が続いていると見なせるはずなのだから、われわれは摂理という備えについて安んじて反対の希望を抱いてよい比較的大きな動機を有している、と。」(278ページ)
自然探究者として冷静に分析を行うことによって、自国における不安を解消しようという思いが、ここには感じられる(のちの論考では、特に自国にかぎらず欧州全般に向けて述べられることになるが)。
またカントは、地球の内部構造について、大陸の下が「ドーム」のようになっている、というイメージを示す。
「われわれのいる大地が中空でそのドームがほぼ一つながりになって周辺に広く伸び、海底の下にさえ続いている」(275ページ)
これは、言ってみれば、私たちが「マントル対流」と呼んでいる「地熱」のありようの原初的なイメージである。
「ボイルは・・・、われわれの到達できない最も下の洞穴のうちでは持続的な帯熱とそれによって維持され消えることがない火が存在しているにちがいなく、この火が地表に熱を伝えているのだと推論しているが、これはとても理にかなっている。」(320ページ)
そして、地中にあるいくつかの物質が科学反応を起こすことによって地震が発生すると説明する。
「硫酸と鉄片とが十分な量、地中に含まれていることを誰が疑えるだろうか。さてそれに水が加わり、それらの相互作用を引き起こせば、それらから蒸気が発生し、その蒸気は広がろうとして地面を揺さぶり、活火山の火口で炎となって当然噴出する。」(279ページ)
このあと、カントは、地震そのものよりも「大洪水」に注意を向ける。
なぜならば、大洪水は、揺れがわずかな場所であっても被害をもたらしており、この因果関係を明らかにすることは、自然の探究者としては避けて通れないと考えたからである。
「しかしながら、高波が生じた諸地域においてはわずかな地震の痕跡すら感じられなかったのであり、少なくとも海岸からある程度離れたところではまったく感じられなかった。にもかからず、このような洪水には例に事欠かない。」(280ページ)
さらには、海洋とつながっていない湖沼の水面の変化についても、同様にその因果関係を検証するが、カントの姿勢はいつも変わらない。
「われわれはせっかちに自然がわれわれの目から隠しているものを虚構によって察知しようとすべきでなく、自然がその秘密を諸々の明瞭な結果において明々白々に打ち明けられるまで待つべきなのである。」(283ページ)
しかしそれにしても、カントの道徳論が今なお輝きを失っていないのと比べると、カントの地震洪水論は、当時まだ地球の内部構造について、十分な科学的な所見が得られていなかったとはいえ、かなり色あせて見える。
カントによれば、地球の表面の内側は空洞になっており、地表からその内部には、洞穴でつながっている。この洞穴には火もしくは可燃物があり、何らかの刺激があると火もしくは可燃物が燃え盛り、それが揺れを発生させる、というのだ。
残念ながら現在の知見では、火や可燃物が原因ではなく、岩盤(プレート)のずれが地震の理由であるとされているので、カントのここでの説明は、今や何の価値ももたない。
なお、私たちは、津波、洪水という言葉を、あたりまえに用いている。つまりそれは私たちの生活に密着しているということを意味している。
それに対して欧米においては、「津波」は「tsunami」であり、外来語が用いられたままである。つまり、彼らにとって津波は自分たちの暮らしの外側にあるもの、「別物」の意識が強いのであろう。
逆に言えば、私たちは、あまりにも津波や地震に慣れすぎてしまっているのではないか。そして、「慣れ」は「軽視」にもつながっており、原発の設置場所とその安全対策についても、尋常ならざる「軽視」があったことを今になって気づかされる。
これほど日常の運転や点検には細かなチェックをしていたくせに、地震が起こりやすい場所に設置したり、津波がやってくることを想定しつつも同じ場所に非常電源を置いておいたりしてきたのは、欧米の原発がそういった注意を必要としなかったからだけではなく、私たちの意識が、いつのまにか甘くなっていたからではないだろうか。
それはさておき、カントは、地震の発生する理由については、かなり当時流布していた考えを流用しつつ自論を組み立てているようなのであるが、目立つのは、津波への関心であり、さらにこの「天災」を「天罰」と結びつける議論に対する批判である。
リスボン地震についてのシンプルなカントの所見は、こうである。
「あらゆる水域と陸地の大部分をあのように広範に広がり、かつわずか数分間であれ同時に感じられた地震は、歴史上ほかに例を見ない。」(297ページ)
私たちは、地震がプレート同士のずれから生まれるという説明する科学のなかで生きているので、津波についても、このプレートの移動による海水の揺れが次第に陸地にやってくるときに大きくなるため、抗いがたい凄まじい力をもった「塊」が押し寄せるという認識をとる。
しかしカントは違う。
カントは、まず通説である「海底の揺れ」の結果としてその上の海水が揺れ、陸地に水が流れ込むという考えに対して、異議をとなえる。
これだけ広範囲に洪水が広がるのは、「海水域」という「中間物質」が伝えているからだとする。
そして、従来の説が間違っているわけではないが、さまざまな現象から判断すると、単一の原因に帰することができない、という結論を下す。
「アイルランドのコーク、グリュックシュタット、時折はスペインの海辺近くで、あるいは海とつながった水域の近くで生じた陸地の揺れの大半は、まさしく押し出された海水の圧力によるものと見なされうる」(302ページ)
また、カントの注意は、こうした「洪水」と、噴水のように地中から湧き出した水との連関性までも説明しようとし、やはり当初の「火」による「蒸気」が噴き出たものとみなすのである。
さて、最後に、地震と津波への「解釈」であるが、これをカントは「地震の効用」として説明している。カントの主張は、こうだ。
まず、神の存在を彼は否定しない。しかし、その神は、何も人間の都合だけを考えているわけではない。殊更信仰心の厚い地域が壊滅的な打撃を受けたとしても、それは、単純に言えば、偶発的な自然現象にすぎない。
「人間は自然に順応することを学ばねばならないのに、自然が人間に順応してくれるように望んでいる。」(318-319ページ)
さらにカントは、震災には「被害」ばかりがあるのではなく、「効用」もある、と言っている。
「地震の原因は、一方で人間にいったん損害と思わせたりするにせよ、他方でそのことを人間のために容易に利益で埋め合わせることができる。」(319ページ)
「効用があれこれ発現する過程で人間には不都合は生ずる。だがわれわれはこれら効用のあらゆる備えをなす神の摂理に対して負うべき感謝の念を不遜にも忘れることができるであろうか。」(320ページ)
つまり、逆なのである。神義論を支持する人たちは、震災を「天罰」だとして、自分たちの信仰心を反省したが、カントからみれば、震災は自然現象であり、マイナスもあればプラスもあり、それを単純に「道徳」や「宗教」の問題に結びつけることはできないと考えたのである。
カントの場合、良い意味で、人間主義が徹底されていないのである。F・ベーコンのように、人間はとことん自然を利用し搾取し役立てるという発想がない。
「人間は自分が神の配在の唯一の目的だとうぬぼれている。」(323ページ)
強いて言えば、力関係は、こう図式化できる。
人間 < 自然 < 神
自然を統治しているのは、あくまでも神であり、その自然の一部に人間も含まれている。
だが、カントのおもしろいところは、こうした「人間」観をもちながら、「人間」はすべてを神に依存させず、「自律」の領域があるとした点である。
人間は、自然や神とは関係なしに、掟や道徳を生み出し、自らを律しようとしてきた。
もちろん従わない者もあれば、地域によって異なる場合もある。それは、その社会、その共同体でのみ成り立つものが大半である。
しかし、もう一歩つきつめれば、「人間」にとって普遍的な律法があるのではないか、とカントは考える。
それが、定言命法で述べられる道徳律である。
これが、後期のカントにおいては、道徳律として、自然法則とともに、区別された人間の「掟」として、論じられることになるのである。
カント全集1 前批判期論集I
大橋容一郎、松山壽一訳
岩波書店
2000年5月
一言コメント
若きカント。自然現象をできうるかぎり科学的にとらえようとする。リスボン地震に対しても同様の態度を貫く。しかし科学は日進月歩で、今からみるとカントの科学性の高さも、なかなか理解しにくい。むしろカントの頑なさがにじみ出ている。
カントは地震について、3つの論文を書いている。この前年にあったリスボン地震をふまえてのものである。
地震原因論
Von den Ursachen der Erderschütterungen bei Gelegenheit des Unglücks, welches die westliche Länder von Europa gegen das Ende des vorigen Jahres betroffen hat. 1756.
地震の歴史と博物誌
Geschichte und Naturbeschreibung der merkwürdigsten Vorfälle des Erdbebens, welches an dem Ende des 1755sten Jahres einen großen Theil der Erde erschüttert hat. 1756.
地震再考
Fortgesetzte Betrachtung der seit einiger Zeit wahrgenommenen Erderschütterungen. 1756.
カントはこの頃、いくつかの自然科学に関する論考を書いている。「活力測定考」(1747年)「地球自転論」(1754年)「地球老化論」(1754年)「火について」(1755年4月)「天界の一般自然死と理論」(1755年)「自然モナド論」(1756年)などである。
地震については科学的にはほとんど解明されていない時代において、「自然探究者」として、語りうることを語ろうとしている。今からみれば、多くは「蓋然」的にしかみえないが、「数学的確実性」をふまえ、自然のもつ法則性のもとに、地震という事象の原因をつきとめようとしている。
これまで再三にわたって当ブログで述べてきたように、1755年のリスボン地震(津波)のインパクトは、ヨーロッパ中に広がっていた。とりわけ、そのなかでもヴォルテールによる神義論(=ライプニッツ)批判がもっとも話題をさらい、「カンディート」などはヨーロッパ各国においてベストセラーとなった。ルソーも負けじと被害の大きさはむしろ文明のおごりの結果であると人為論を展開した。
つまり18世紀半ばすぎにおいて、地震は、「天罰」とはみなされなくなる。
ヴォルテールやルソーと比べると、当時のカントはまだ若く、無名である。書いた論文もいわゆる学会内でしか読まれることのないものだ。
だからカントの論考が世間に大きな影響を与えたということは、まったくない。
しかし、カントのこれらの論考が重要なのは、そういった、世間への影響ではなく、むしろ、哲学者というものが、どこまでこうした大災害に対して掘り下げた思考が行えるのかを知ることができるからである。
たとえばカントは、地震が起こったときの様子を分析し、倒壊した建物の方角を観察した結果、次のような仮説をたてる。
「地震が通常生じざるをえない方向と同方向に流れる川に沿って都市を建設することに懸念を抱かせはしないだろうか」(276ページ)
当時得られている知見を最大限に生かして地震を分析し、被害の原因をつきとめ、次にやってくるであろう地震に対する「防御」をくみたてようとする。
この点においてみれば、カントの知的営みというものが、何ら、杓子定規のものでも、空想的なものでも、頭でっかちのものでもなく、いかに現実のなかで生きるかを前提としていることを思い出させてくれる。
「災厄はどこでも起こりうるのだし、地震の場合もこれを否認できないのだから、私としては災厄に対する人々の恐怖心をそのままにしておくほかなかろう、と。ただし、敬神の念を呼び起こす動因のうちで地震によるそれは最も薄弱な動因であり、本稿での私の意図は地震の自然的根拠を推測によって挙げることなので、いま挙げた諸点から容易につぎのことを察知できるであろう。すなわち、プロイセンは山のない国であるばかりでなく、ほぼ至るところ平地が続いていると見なせるはずなのだから、われわれは摂理という備えについて安んじて反対の希望を抱いてよい比較的大きな動機を有している、と。」(278ページ)
自然探究者として冷静に分析を行うことによって、自国における不安を解消しようという思いが、ここには感じられる(のちの論考では、特に自国にかぎらず欧州全般に向けて述べられることになるが)。
またカントは、地球の内部構造について、大陸の下が「ドーム」のようになっている、というイメージを示す。
「われわれのいる大地が中空でそのドームがほぼ一つながりになって周辺に広く伸び、海底の下にさえ続いている」(275ページ)
これは、言ってみれば、私たちが「マントル対流」と呼んでいる「地熱」のありようの原初的なイメージである。
「ボイルは・・・、われわれの到達できない最も下の洞穴のうちでは持続的な帯熱とそれによって維持され消えることがない火が存在しているにちがいなく、この火が地表に熱を伝えているのだと推論しているが、これはとても理にかなっている。」(320ページ)
そして、地中にあるいくつかの物質が科学反応を起こすことによって地震が発生すると説明する。
「硫酸と鉄片とが十分な量、地中に含まれていることを誰が疑えるだろうか。さてそれに水が加わり、それらの相互作用を引き起こせば、それらから蒸気が発生し、その蒸気は広がろうとして地面を揺さぶり、活火山の火口で炎となって当然噴出する。」(279ページ)
このあと、カントは、地震そのものよりも「大洪水」に注意を向ける。
なぜならば、大洪水は、揺れがわずかな場所であっても被害をもたらしており、この因果関係を明らかにすることは、自然の探究者としては避けて通れないと考えたからである。
「しかしながら、高波が生じた諸地域においてはわずかな地震の痕跡すら感じられなかったのであり、少なくとも海岸からある程度離れたところではまったく感じられなかった。にもかからず、このような洪水には例に事欠かない。」(280ページ)
さらには、海洋とつながっていない湖沼の水面の変化についても、同様にその因果関係を検証するが、カントの姿勢はいつも変わらない。
「われわれはせっかちに自然がわれわれの目から隠しているものを虚構によって察知しようとすべきでなく、自然がその秘密を諸々の明瞭な結果において明々白々に打ち明けられるまで待つべきなのである。」(283ページ)
しかしそれにしても、カントの道徳論が今なお輝きを失っていないのと比べると、カントの地震洪水論は、当時まだ地球の内部構造について、十分な科学的な所見が得られていなかったとはいえ、かなり色あせて見える。
カントによれば、地球の表面の内側は空洞になっており、地表からその内部には、洞穴でつながっている。この洞穴には火もしくは可燃物があり、何らかの刺激があると火もしくは可燃物が燃え盛り、それが揺れを発生させる、というのだ。
残念ながら現在の知見では、火や可燃物が原因ではなく、岩盤(プレート)のずれが地震の理由であるとされているので、カントのここでの説明は、今や何の価値ももたない。
なお、私たちは、津波、洪水という言葉を、あたりまえに用いている。つまりそれは私たちの生活に密着しているということを意味している。
それに対して欧米においては、「津波」は「tsunami」であり、外来語が用いられたままである。つまり、彼らにとって津波は自分たちの暮らしの外側にあるもの、「別物」の意識が強いのであろう。
逆に言えば、私たちは、あまりにも津波や地震に慣れすぎてしまっているのではないか。そして、「慣れ」は「軽視」にもつながっており、原発の設置場所とその安全対策についても、尋常ならざる「軽視」があったことを今になって気づかされる。
これほど日常の運転や点検には細かなチェックをしていたくせに、地震が起こりやすい場所に設置したり、津波がやってくることを想定しつつも同じ場所に非常電源を置いておいたりしてきたのは、欧米の原発がそういった注意を必要としなかったからだけではなく、私たちの意識が、いつのまにか甘くなっていたからではないだろうか。
それはさておき、カントは、地震の発生する理由については、かなり当時流布していた考えを流用しつつ自論を組み立てているようなのであるが、目立つのは、津波への関心であり、さらにこの「天災」を「天罰」と結びつける議論に対する批判である。
リスボン地震についてのシンプルなカントの所見は、こうである。
「あらゆる水域と陸地の大部分をあのように広範に広がり、かつわずか数分間であれ同時に感じられた地震は、歴史上ほかに例を見ない。」(297ページ)
私たちは、地震がプレート同士のずれから生まれるという説明する科学のなかで生きているので、津波についても、このプレートの移動による海水の揺れが次第に陸地にやってくるときに大きくなるため、抗いがたい凄まじい力をもった「塊」が押し寄せるという認識をとる。
しかしカントは違う。
カントは、まず通説である「海底の揺れ」の結果としてその上の海水が揺れ、陸地に水が流れ込むという考えに対して、異議をとなえる。
これだけ広範囲に洪水が広がるのは、「海水域」という「中間物質」が伝えているからだとする。
そして、従来の説が間違っているわけではないが、さまざまな現象から判断すると、単一の原因に帰することができない、という結論を下す。
「アイルランドのコーク、グリュックシュタット、時折はスペインの海辺近くで、あるいは海とつながった水域の近くで生じた陸地の揺れの大半は、まさしく押し出された海水の圧力によるものと見なされうる」(302ページ)
また、カントの注意は、こうした「洪水」と、噴水のように地中から湧き出した水との連関性までも説明しようとし、やはり当初の「火」による「蒸気」が噴き出たものとみなすのである。
さて、最後に、地震と津波への「解釈」であるが、これをカントは「地震の効用」として説明している。カントの主張は、こうだ。
まず、神の存在を彼は否定しない。しかし、その神は、何も人間の都合だけを考えているわけではない。殊更信仰心の厚い地域が壊滅的な打撃を受けたとしても、それは、単純に言えば、偶発的な自然現象にすぎない。
「人間は自然に順応することを学ばねばならないのに、自然が人間に順応してくれるように望んでいる。」(318-319ページ)
さらにカントは、震災には「被害」ばかりがあるのではなく、「効用」もある、と言っている。
「地震の原因は、一方で人間にいったん損害と思わせたりするにせよ、他方でそのことを人間のために容易に利益で埋め合わせることができる。」(319ページ)
「効用があれこれ発現する過程で人間には不都合は生ずる。だがわれわれはこれら効用のあらゆる備えをなす神の摂理に対して負うべき感謝の念を不遜にも忘れることができるであろうか。」(320ページ)
つまり、逆なのである。神義論を支持する人たちは、震災を「天罰」だとして、自分たちの信仰心を反省したが、カントからみれば、震災は自然現象であり、マイナスもあればプラスもあり、それを単純に「道徳」や「宗教」の問題に結びつけることはできないと考えたのである。
カントの場合、良い意味で、人間主義が徹底されていないのである。F・ベーコンのように、人間はとことん自然を利用し搾取し役立てるという発想がない。
「人間は自分が神の配在の唯一の目的だとうぬぼれている。」(323ページ)
強いて言えば、力関係は、こう図式化できる。
人間 < 自然 < 神
自然を統治しているのは、あくまでも神であり、その自然の一部に人間も含まれている。
だが、カントのおもしろいところは、こうした「人間」観をもちながら、「人間」はすべてを神に依存させず、「自律」の領域があるとした点である。
人間は、自然や神とは関係なしに、掟や道徳を生み出し、自らを律しようとしてきた。
もちろん従わない者もあれば、地域によって異なる場合もある。それは、その社会、その共同体でのみ成り立つものが大半である。
しかし、もう一歩つきつめれば、「人間」にとって普遍的な律法があるのではないか、とカントは考える。
それが、定言命法で述べられる道徳律である。
これが、後期のカントにおいては、道徳律として、自然法則とともに、区別された人間の「掟」として、論じられることになるのである。
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