唐木の遺書とでも言うべき本書を私が手にしたのは、かれこれ30年前になる。

ただ、当時はまだ、何を問題にしているのかよく分からず、いくばくか印象に残ったのは、科学者というものは、自分の研究に対して、単なる自己満足になってはならない、ということくらいだった。

本書で議論されているのは、「原爆」もしくは「原子力の解放」であるが、これは、たとえば、SFや怪奇ものの映画や小説に登場するマッドサイエンティストによる発明なども同様であって、「原子力」だけに限った問題ではない。

現在ならさしずめ、生命倫理や工学倫理、技術(者)倫理などさまざまな言葉で呼ばれている、一連の問題である。

個人的には、当時活発に議論されていた「脳死」と「臓器移植」の問題について考えてゆくときに、この、唐木による「科学者の科学的責任」ということをふまえていたことを思い出す。

科学技術的に可能であることは基本的に何でも行うということ、そして、患者の生命維持に全力を尽くすということ、この二点を前提としていた「医療」というものが、治療回復の見込みのない「植物状態」の患者を「安楽死」させることは、許されうるのか、という問題が、まずあった。

そして、二段階目として、これまでの「三兆候説」に基づいた「心臓死」を「人の死」とせずに、「脳死」という、人間の「意識」を司る脳幹の機能停止をもって「人の死」とし、かつ、その「死体」の新鮮な臓器を他の困っている患者のために使うという、効率性と人命尊重という両面の意義を認めるべきなのかどうか、問われた。

とりわけ「人の死」の定義を「脳死」に限局するのは、「人間」の「生命」の定義を、「意識」を持った存在と考える文化的な前提と密接に結びついており、いわゆるデカルト的な心身二元論と「我思う故に我在り」という人間観が根をおろしていることを前提としていた。

この脳死論議は、結果的には国内では、現実的に対処された。つまり、この問題を転倒させて、「臓器移植」を想定するときだけ「脳死」を適応させ、通常はこれまでの「心臓死」を死としたままにしたのだった。

もちろん、知ってのとおり、本人の臓器提供への意思があってはじめて「脳死」が選択されるわけだから、「法」にするよりも、きわめて合理的であるのだが、逆に言えば、唐木がここで問題にしたような「医者」自身がこの問題をどう考えるのかについては、等閑にしてしまった感がある。

医者はただ、患者(ならびに近親者たち)が望み、技術的に可能であるならば、その医療処置に最善を尽くす、というだけで、はたしてよいものなのだろうか。

今なお、はっきりとした答えなど、私には出せないが、こうした葛藤を、できることならば無暗に不問にしてはならないと思うのだ。

・・・というようなことを思い出してしまった。

さて、話がずいぶんとずれてしまったが、唐木は本書では、物理学者たちが原爆を前にして、こうした「葛藤」をはたして行っていたかどうか、に焦点がある。

アインシュタインはもとより、ハイゼンベルクやハーンといった物理学者たちの、一筋縄ではない苦悩のあとをたどる。

人類を滅亡することを可能にする原水爆というものを、この世に生み落としてしまったことに対して、はたして、科学者は、どう向かい合うのか。

ましてや、不本意な形でそれが使われることに対して、科学者は何ができるのか、すべきなのか。

これもまた、はっきりとした答えがあるわけではない。

「とんでもないもの」を生みだしてしまった科学者は、たとえば、フランケンシュタインのことを想起させる。

フランケンシュタインは、墓場から死体を集めて人造人間を創造したが、その容貌のみにくさに嫌悪して、その人造人間を見捨てて逃げてしまう。そして人造人間は人間たちに復讐するが、最後はフランケンシュタインの死を前にして悔い、自ら命を絶つことになる。

要するに最初は、フランケンシュタインは自らが生み出した科学的創造物を拒絶し、かつ、何ら責任をはたさずに、逃げてしまうのだ。

それと比べれば、アインシュタインらは、十分にふみとどまり、少なくともその危険性を十分に世界に向けて訴えかけたと思う。

だが、ここで唐木は、問う。

たしかに湯川秀樹も、物理学者として、ほぼ同じように、平和を希求し、原水爆禁止運動に賛同し、物理学者としての責任を十分に果たしているようにも思える。

しかし微妙な言い回しの違いや文脈的なとらえ方をすると、湯川のなかには、どこまでこの問題をつきつけているのか、どこまで本気で訴えているのか、 ブレのようなものがあるということを、唐木は見逃さない。

そのブレとは、湯川がもう一方では、この物理学研究の進展にたいする「喜悦」を隠しきれずに吐露してしまっているところに顕著に現れている。

一般的にはこれは、「科学的真理追究の自由」(8ページ)と呼ばれ、1950年前後の頃には大部分の物理学研究者が訴えていたものであり、今もなお、この理念は、大きく揺らいでいるものではない。

湯川一人が、何も変わった態度をとったわけではなく、当時の一つの典型的なものであったと言うことができる。

唐木が問うのは、この「科学的真理追究の自由」という理念は、物理学者たちが「原水爆の使用は禁止する」という制限を訴えた瞬間に、「みづから生みだしたものをみづから制限せざるをえないというディレンマ」(8ページ)に陥るのではないか、ということである。

端的に言えば、科学者がとりうる態度は四つに分かれるであろう。

1)科学者は真理追究が自由であり、かつ、生産物(原水爆)に対しても、何ら責任がない
2)科学者は真理追究が自由であるが、原水爆に対して責任がある
3)科学者は原水爆に対して責任があり、かつ、真理追究に対しても、責任がある
4)科学者は原水爆に対して責任はないが、真理追究に対しては責任がある

ここで唐木が訴えているのは3)であり、場合によってはむしろ、4)であるだろう。少なくとも「科学の真理追究」と「原水爆」は簡単には切り離せないので、特に2)のように言い切るのはきわめて困難なのである。

「科学者たちは「核兵器は絶対悪なり」という判断、価値判断を、社会一般に対して下しながら、科学者自身に対しての、或いはその研究対象、研究目的に対しての是なく価値判断を表白することは稀である。」(127ページ)

こうした科学者の「苦悩」は、非科学者である私たちにとっては、ないと困るものであるし、あってほしいと望むものである。

だが同時に、湯川が抱いていた抑えがたい衝動、すなわち、科学的探究の過程であふれ出る「喜悦」を、そう簡単に唾棄すべきものとして非難し放棄できるであろうか。

唐木は残念ながらこの部分をしっかりと書きはじめようとしたところで、亡くなられた。残されたのは亡くなる2ヶ月ほど前に、病棟で書かれた短いメモだけで、湯川の場合ここで言われているジレンマに対する「懺悔」がない、もしくは「稀薄」である、とされている(131ページ)。

真意は定かではないものの、ここから読みとらねばならないのは、湯川という個人への批判ではなく、あくまでも科学、もっと言えば知の営みに対する私たち一人ひとりの向かい合い方である。

何事も自由(勝手)が良いに決まっている。しかし諸事情によってどうにもならないときもある。また、何らかの制限が必要なときも、必ずある。ただし一度社会に産出されたものは、社会において、つまり、科学者のみならず社会成員のだれもがその使用においては責任がある。このジレンマには真摯に向かい合わねばならないが、最も大事なのは、現在まだ続いている原発事故がそうであるように、「起こってしまった」ことに対する放棄や無視、後回しは、どんなことがあっても許されない、ということではなかろうか。

筑摩書房、1980年7月刊行
私が購入したのは、1982年の春頃であった。
「科学者の社会的責任」についての覚え書 (ちくま学芸文庫)/唐木 順三
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