昨日の続きで、ジャック・アタリの論考をまとめてみる。
World has a responsibility to protect people.
世界は、人々を守る責任がある
という一文が、もっとも大事なところでなかいか、と思います。
少し意訳もされているので、ちゃんと読みたい方は、
元の文章を読んでください。
また、この文章は、3月30日に発表されたということも、お忘れなく。
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日本へ国際社会が介入すべき
ジャック・アタリ
2011年3月30日
(The Christian Science Monitor掲載)
パリから
これはローカルの問題ではなく、グローバルなクライシスである。
福島第一プラントでの核廃棄物の漏出は、日本の国境をはるかに超え出て、他国への脅威を引き起こしている。
他国の者としても、日本に干渉する義務があるのは、放射線がこの惑星を汚染しようとしており、それを防がねばならないからだ。
事態は緊急を要する。
大きな地震が再び来ようものなら、プラントから膨大な量の放射性物資が、海水、大気、さらには土壌に放出されるだろう。
特に3号機の場合、原子炉の格納容器から、相当量のプルトニウムが出る。
そうなった場合、日本のなかに、居住できない地域が生まれ、さらには、食物連鎖を通じて、そして、風や海流によって、地球全体に影響を及ぼすだろう。
過失と隠滅を図る日本
日本のこの核をめぐるクライシスは、思慮をせずに、利益を優先した結果である。
地震が起こりやすく、津波が発生しやすい土地にこの発電所が建てられたということを忘れるべきではない。
また、災害発生当初において、原子炉の損傷が発見されたとき、彼らは、なんとかこの炉をこれからも使えるようにしようと考え、大きな誤りを犯した。
温度が下がっていない使用済核燃料プールを外気にさらし続けたことにより、多重防護システムが使えなくなるくらいの損傷を引き起こしてしまった。
政府ならびに東京電力の責任者たちは、自尊心と傲慢さを入り混じらせつつ、そして、内密主義と情報非公開の意識によって、国民にも国際社会にも災害の状態をしっかりと知らせないだけではなく、海外からの救援をも拒んできた。
同時に、勇敢な、しかし、正当な賃金を支払われていない労働者たちだけが現場に置き去りにされ、原子炉を冷やす、という訓練を受けたこともないようなきわめて危険な仕事をさせられた。
彼らを危険にさらしたことを、外の世界にきちんと伝えなかったことを認めない当局は、今、外国人の専門家の協力を拒否している。
国際社会がなぜかかわれないのか
「国際社会」(インターナショナル・コミュニティ)は、わずかな違反に対しても厳しく追及してきた。たとえばサブプライムローンの場合も、人権侵害の場合も、各国が連携してグローバルなスケールで迅速に対応が行われた。
今回の場合、日本の政府は、本当は何が起こっているのかを、まるで礼儀正しさが大事であるかのように誤魔化してきたが、パニックを広げないために外部の助けを拒むというのは意味をなさない。
すべて、馬鹿げている。
核産業というものは、グローバルな金融市場と一緒で、災害がどうにも制御できなくなった場合、おそらく防護できないだろう。
このあいだのドイツでの選挙の結果は、世界中で起こりうる反応の第一歩にすぎない。
世界は、人々を守る責任がある
今、緊急に必要なのは、グローバルなコンソーシウム(協議会)を各国と専門家たちによって立ち上げ、協力し合って、この原子炉の損傷を食い止めることである。
日本人たちは、こういった干渉を受け入れねばならない。
こういった主張に対して怒ったり屈辱に感じたりする必要はない。
信頼関係など、安心できる状態になったときに、もう一度、確かめ合えばよいのである。
この協議会が動き出せば、国際コミュニティは、飛行機、ヘリコプター、消化ホース、ロボット、無人機、そしてコンクリートミキサーなどをためらわずに日本に送るべきだ。
危機が「ボーダー」をこえて広がっているさなかで、主権国家が国民を守ることができず、かつ、守る意思がないのであれば、世界には「干渉する責任」があるのだ。
元のテキストは、こちら
© 2011 Global Viewpoint Network/Tribune Media Services. Hosted online by The Christian Science Monitor.
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言わずもがなですが、これはアタリの主張です。当ブログを書いている人間の主張とは異なります。