冷静に考えると、
私の大学生活は、
「構造主義」が、
最も重要な
キーワードだった
ようである。
そもそも最初に、
ゼミに参加したのは、
北沢方邦氏の
構造人類学
だった。
ここでは、
レヴィ=ストロースの
手法を応用して、
古事記や
浦島子の
分析をしていた。
小松和彦氏が、
集中講義で、
民俗譚の
構造分析も
行っていた。
そして、
山本哲士氏の
社会学ゼミ。
ここでは、
イリイチを
はじめとして
数多くの理論を
学んだが、特に、
フーコー、
ブルデュー、
アルチュセール、
といった、
構造主義が
主だった。
さらに、
佐々木孝次氏が
ラカンを
漱石の作品の
分析に使用していたが、
ここのゼミにも
参加していた。
学生同士では、
マルクス、フロイト、
ヘーゲルなどを
読んでいた。
(よく考えてみたら
学生時代は、
ニーチェを真剣に
読んだ試しが
なかった・・・)
どこからどうみても、
私は、構造主義の
影響を受けている。
そんな私が、
この20年のあいだ、
ニーチェを読み、
フーコーを読みなおし、
デリダを読み、
ドゥルーズを読み、
そのうえで、
カントを読み、
ハイデガーを読み、
フッサールを読み、
ベルクソンを読み、
アリストテレスを読み、
スピノザを読み、
サルトルを読み、
ウィトゲンシュタインを読み、
キルケゴールを読み、
ようやく、
「構造主義の私」ではなく、
別の何者かに、
変容しているような
気がする。
でもそれは、
「ポスト」構造主義
ではないと思う。
構造主義を、
柱として、その
前とか後とか、
そういう説明を
したくない。
ただ一言で
説明するならば、
それは「哲学」で
良いのかもしれない。
もしくは、とりあえず
仮称するならば
「21世紀哲学」
である。
私の大学生活は、
「構造主義」が、
最も重要な
キーワードだった
ようである。
そもそも最初に、
ゼミに参加したのは、
北沢方邦氏の
構造人類学
だった。
ここでは、
レヴィ=ストロースの
手法を応用して、
古事記や
浦島子の
分析をしていた。
小松和彦氏が、
集中講義で、
民俗譚の
構造分析も
行っていた。
そして、
山本哲士氏の
社会学ゼミ。
ここでは、
イリイチを
はじめとして
数多くの理論を
学んだが、特に、
フーコー、
ブルデュー、
アルチュセール、
といった、
構造主義が
主だった。
さらに、
佐々木孝次氏が
ラカンを
漱石の作品の
分析に使用していたが、
ここのゼミにも
参加していた。
学生同士では、
マルクス、フロイト、
ヘーゲルなどを
読んでいた。
(よく考えてみたら
学生時代は、
ニーチェを真剣に
読んだ試しが
なかった・・・)
どこからどうみても、
私は、構造主義の
影響を受けている。
そんな私が、
この20年のあいだ、
ニーチェを読み、
フーコーを読みなおし、
デリダを読み、
ドゥルーズを読み、
そのうえで、
カントを読み、
ハイデガーを読み、
フッサールを読み、
ベルクソンを読み、
アリストテレスを読み、
スピノザを読み、
サルトルを読み、
ウィトゲンシュタインを読み、
キルケゴールを読み、
ようやく、
「構造主義の私」ではなく、
別の何者かに、
変容しているような
気がする。
でもそれは、
「ポスト」構造主義
ではないと思う。
構造主義を、
柱として、その
前とか後とか、
そういう説明を
したくない。
ただ一言で
説明するならば、
それは「哲学」で
良いのかもしれない。
もしくは、とりあえず
仮称するならば
「21世紀哲学」
である。
