ヒヨコの鳴き声~その4
2時間後。
「いっただきま~~す!うわっぁ、美味しっ!うまっっ!」
日勤が終わった絹田は、休憩室でニコニコと美味しそうにケーキを食べていた。
「三枝先生~、ごちそうさまです~。美味しいです~~」
「もう、じゃんじゃん食べてよ。お礼だからさ。本当にありがとう、絹田くん!ほら、みんなも。ここのケーキ、好きだろう?」
三枝先生から、スタッフへ山盛りのケーキが届けられたのだ。
チョコレート、イチゴ、フルーツ、チーズなどなど。色とりどりのケーキで箱がいっぱいだ。10個以上あるだろうか?
さらに、同じような箱がもうひとつ。スタッフの頭数以上の量だった。
三枝先生が、皿にケーキを取り分けている。いつもの先生よりも、ずっと腰が低かった。
イチゴのタルトを食べながら、2個目のショコラを皿に受け取る絹田。先輩たちも、2個目を食べていた。
皆、コーヒーの香りと甘いケーキの香りに包まれながら、今日の疲れを癒していた。
「それにしても、あの装置って、何ですか?なんか、大きすぎません?あの倉庫ただでさえ物で溢れているのに、より狭く感じますよ~」
モグモグ・・。モグモグ・・。
「あれ?絹田くん、知らなかったのかい?あれは、フリーザーだよ。超低温冷凍庫。俺たちの研究用の検体が眠っているんだ」
超低温冷凍庫・・?
周りを見ればケーキを食べながら先輩たちも頷いている。どうやら周知の事実だったようだ。
「研究室のフリーザーだと、先輩の分でスペースがいっぱいでさ。俺たちの分まで割り当てがないわけよ。この前、教授が病棟用に購入してくれたお陰で、スペースが出来たんだ!他の科と合同で使っているからな。絹田くん、婦人科と血液内科と・・ああ、あと泌尿器科も!あいつらにもケーキおごってもらえよ!」
「いえいえ、あまりよく知らない先生にケーキをおごってくださいって言えませんよ~。新人ですし~」
・・・。
((そういえば、新人だったな))
皆が、同じ事を思っていた。
高橋副看護師長は、
「アレって、先生たちの研究用フリーザーでしょ?管理の責任は先生たちですからね?」
と、ケーキをモグモグ食べながら言った。
倉庫内の物品管理は、病棟の物品管理係で担当している。心電図以外にも備品の管理は、担当係の仕事だ。
昨日から、病院全体で非常用電源のテストがあり、一時的に非常用電源コンセントが使用出来ない期間だったのだ。そのため、通常電源へ差し変える作業をしていた。絹田が見た時、心電図などの医療機器は全て非常用から通常電源に差し換えが済んでいたので、充電は問題なく行われていた。
だが。
超低温冷凍庫コンセントの差し換えは、どうやら先生たちの責任のようだ。
「今後、二度とこのような事態が起こらないように。しっかりと管理させていただきます」
はっは~~。
三枝先生は、大袈裟に頭を下げた。
ふふふ。
ははは。
休憩室が笑い声に包まれた。
笑いながら、先ほどのことを思い返す先輩たち。
ーーー「なんか、ヒヨコの鳴き声がする」ーーー
平田さんのこの言葉は、とりあえず後回しにしようと、聞いた誰もが思っていたのに。
ーーー「私、ちょっと様子を見てきますね」ーーー
自分の担当でもないのに、すぐ立ち上がって現場へ向かった絹田。
その結果が・・・、こうなったか・・。
おそらく。
あと数分遅かったら、完全に電源が落ちてしまい鳴き声も聞こえなかっただろう。
もしも。
あの時、
・・・・だったら・・?
・・。
絹田さん、ファインプレーだったわね・・。
絹田はよくわかっていないのだろう。
幸せそうに、ケーキを食べていた。
「あの~、食べきれないので・・、残りのふたつを持ち帰ってもいいですか?」
言いながら、ショコラケーキを包み出す。
その様子を黙って見つめる三枝先生と先輩たち。
絹田がそのケーキをどうするのか?
その先の質問を口に出す者はいなかった。
「三枝先生、ごちそうさまでした~。美味しかったで~す。では、お先に失礼します。ありがとうございました!」
ケーキを二つ手に持ったまま、ペコリとお辞儀をして絹田はその場を去っていった。
看護師更衣室。
退勤時には、必ずここで着替えることになっている。
絹田は、そことは反対方向の談話室へ向かっていた。
第一発見者たちが、のんびりしているはずだ。
・・・。
「内緒・・ですよ・・」
「えええ!絹田っち!ありがとう~」
「いいんですか?私まで・・」
絹田は知らない。
ゆりかご1号の意味を。
それは。
医局の垣根を越えた共同研究。
"病院としての研究"で始めた新しい試み。
一人の手柄にこだわらず、他科一丸となり取り組み始めた研究チーム。
チームゆりかご。
リーダーは、第一外科。
五十嵐教授が、事務長と揉めてもどうしても購入したかったもの。
三枝先生の研究チームが願いを込めて名付けた超低温冷凍庫。
その名も。
ゆりかご1号。
各科の相互研究がもたらす結果。
ここには、病気と戦う若者たちの夢と希望が詰まっているのだ。
まだ、小さい希望だが。
それは、確実に大きな夢へと繋がっている。
絹田は知らない。
この研究で開かれる未来を。
・・・数年後。
ーーーーー凍結精子と凍結卵子による受精率が上がったらしいね。癌治療の影響もデータ化されたことが、大変大きいな。採取時期や最適な治療、放射線の影響に抗がん剤のデータも・・。学会へ報告の件は・・。なるほど、三枝先生、ここのデータですが・・。ーーーー
癌治療に伴う不妊。
それは。
ヒヨコになる前の希望。
『ピヨ・・。ピヨ・・』
終わり。
おまけ。
非常用電源
原浜大学は、緊急時に備え自家発電装置を所持している。とはいうもの、この装置が発電できる電力量には限りがあるため、大学構内の全てを賄うことができない。そのため、手術室、ICU、NICUなどの絶対的必要な部門や、人工呼吸器、心電図などの医療機器を優先できるように、非常用電源が設けられている。通常用と区別するため、コンセントカバーが真っ赤である。
この非常用電源と自家発電装置は、数回、点検が行われる規則がある。点検期間中は、非常用電源が使用できないため、出来る限りの手術、救急受け入れを控えて"万が一"に備えることになる。病院スタッフなら誰もが知っているこの点検。研究棟で暮らす三枝先生が知らないことも無理はない。(病院内お知らせメールを全く開かず、未読数100を超える三枝先生の自己管理不足もありえるが)
これで本当に
終わり。
次回、あとがきへ。