更に集合意識につなぐセラピー
おひさまギフトの藤井さやかです。
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(プロフィール)
11月19日から23日まで
千年ノートの仲間と
パラオ共和国に行ってきました。
参考までに、
パラオに行ってきました(11月25日のブログ)
パラオに行ってきました②(12月11日のブログ)
パラオに行ってきました③(12月12日のブログ)
パラオに行ってきました④ペリリュー島編(12月16日のブログ)
パラオに行ってきました⑤ペリリュー島編②(12月30日のブログ)
本日は、大晦日
そして新月
ペリリュー島の
中川大佐の洞窟に慰霊に行った記事だけは、
年内にアップしたいと思い、
書くことにしました。
大掃除と煮物の合間を縫って書いております(苦笑)
ペリリュー島の
守備隊長であった中川州男(なかがわくにお)大佐、
中川大佐には、
いろいろと有名なエピソードがあるのですが、
私が初めて聞いたときに
とても感銘を受けたお話しがあります。
1944年9月になると戦況は日本に不利となり、
ペリリュー島に
いよいよ米軍の上陸が間近になってきたのです。
当時、島民と
日本人の関係はとても良好でした。
島民の代表数人は、
日本の軍人と一緒に戦買わせてほしいと
伝えたのです。
守備隊長の中川大佐は、
普段はとても温厚な人物でしたが、
島民の
要望を聞いて、しばし沈黙のあと、
次のように叫んだのです。
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
島民は、驚き
自分の耳を疑った。
今まで、日本人とは仲間だと思っていたのに
見せかけの友情だったのか・・・
と裏切られた想いでショックを受けたのです。
いよいよ、島民が
船で島を去る日、
日本兵は誰も見送りに来ていません。
しかし、船が島を離れたとたん、
日本兵が浜に走り出てきたのです。
一緒に歌った日本の歌を歌いながら、
手を振って見送ってくれていたのです。
そこには、もちろん中川大佐の姿もありました。
その瞬間、島民は気づいたのです。
中川大佐のあの言葉は、
島民を戦火に巻き込まれないために
救うためのものだったのだと・・・
そのおかげで、
ペリリュー島では、
兵士が全滅するほどの
激戦であったにもかかわらず、
現地の島民には一人も戦死者が出なかったのです。
今でもそのことに感謝している
パラオの人たちがいます。
最初にこのお話を聞いた時には、
本当に、涙涙でした・・・
素晴らしい大和魂を持った
日本人がいてくださったのだと
感動したのです。
さて、いよいよ中川大佐が自決された洞窟へ
往復で1時間くらい
山道を歩いていきました。
ガイドさんによると
訪問者は年間3組くらいだそうです。
当初は、今年は行かない予定でしたが、
ホテル出発を急遽1時間早めて行くことになったのです。
奥まった山道を歩いて行く途中には
当時使われていた水筒やお釜や
薬莢などがそのまま残されているのです。
これは、実は、戦争の遺構や、遺物は、
当時の大統領命令によってそのまま保存してあるのです。
ここを登るといよいよ到着
お供えをし
般若心経を唱えると
晴れているのに、
急にきらきらと少しだけ
通り雨・・・
きらきらと輝いて
まるで歓迎してくださったかのようでした。
無事に中川大佐の自決された
洞窟での慰霊が終了しました。
続きは、また来年に・・・
どうぞ皆様良いお年をお迎えください。
☆愛・感謝☆
お知らせ
※ゲシュタルトセラピーワークショップ
①気づきのワークショップ田町(Zoomオンライン開催)
日程:2025年1月17日(金)
時間:13時半~16時半
担当:藤井さやか
詳細はこちら▶
②いまここワークショップ(こちらはリアル開催です)
日程:2025年1月19日(日)
時間:13時~17時
担当:岡本夫妻
詳細はこちら▶
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☆通常の個人カウンセリングの他、ファミリー・コンステレーションの個人セッションも行っています。