すこし前の初めての伊勢参りの旅こと。
出かけるときにうっかりとハンカチを忘れ.てしまい、
でも、どうしてだか、手ぬぐいがバッグの中に入っていて...
行く先々で手ぬぐいにお世話になりました。
禊の朝も、月と星の見守る中、手ぬぐいを広げ心経を唱和。
ハンカチを忘れ、代わりに手ぬぐいが入っていたのも道理。
二見興玉神社
その創建には、行基菩薩が関わられ、
観世音菩薩が迎えられたという。
南無観世音菩薩
南無大師遍照金剛
*
先日写経会でのこと。
普段般若心経を思い出すことがあるのかなと訊いてみた。
それぞれの付き合い方があるのだなぁと思った。
わたしは子供の時からの習慣で、無意識に唱えている。
とくべつに心経だけではないけれど。
歩いている時、座っている時、息をしている時、
おしゃべりの合間に、ふとした時に、
気づけば、あらゆるところに、瞬間、瞬間に。
「それ」でないものが、あるだろうか。
どの瞬間も、「それ」で。
いたるところに。
かみほとけは、いたるところに
それを感じる心と、見つける瞳があれば。
だから、頭を垂れる。
だから、素直と謙虚しかなくて。
かみほとけの御坐す世界の中
我よ我よと、我を張ることの哀しさよ。
自分自分は、もう充分だろう。
もっと幸せになりたい、もっと。
もっと愛されたい、もっと。
真の幸せはそこにはない。
自分よりももっと
周りに心の目を向けよう。
幸せはむしろ
そこにこそある。
みな、ともに。
生きとし生けるすべての命が幸せでありますように。
みんな、みんな、幸せに。
そのために生まれて来たのだから。