50代に入ると 自分の健康に加え
親の健康や子どもの自立など
自分を取り巻く 身近な環境が大きく変わります。
いつの間にか 親も年を重ね
見た目も小さくなってくる・・
自分にとって精神的にも物理的にも大きく見えていた『親』という存在が
頼りなく 小さく見え始める時期
正直ちょっと ショックを感じることもありました。
『そんなに小さかったっけ??』
『そんな失敗あんまりしなかったよね』
『さっき言ってたことだよ』
できていたことや存在していたものの
『変化』を大きく感じて戸惑う。。
『変化』は当たり前なのに
それに気づくくらいの『変化』
これを受け止めること 認めること
随分 増える時期が 50代付近だなと思います。
でもそれは、とても自然な流れで、ほんとうは 悲しいことではない
『人間が生きていくとは こういうことなんだよ』って
身をもって教えてくれる存在が 親でもあると思うのです。
そして 私の場合は
『だとしたら あなたはどう生きたい?』と
この問いが 自分に降り注ぎます。
そこには 肯定的な意見だけではなく、否定的な意見(こんなふうにはなりたくない)も
存在します。
ただ、『自分は 今をどう生かす?』と
自分の答えをもって生きたい これがきっと わたしのこだわりなのでしょう。
ある方が 言ってました。
『自分は親がなくなった年齢を過ぎて今を生きている。
いつまでも身体が元気に動き続ける保証はない。
だから 行きたいところ やりたいこと 見たいものは
なるべく触れ続けていたいと思っている。
いつまでも 同じではないからこそ・・
そんな時間の使い方をしていきたい』
と教えてくれました。
今 50歳の私のノートに 刻む日々はどんな日々でありたいか?
それは 丁寧に自分と向き合いつつ 選んでいきたい道でもあります。
そんなことを思いめぐらせながら 時折我に返ります。
そして クスっとわらってしまうのです。
なぜか?
自分がそうやって自分の周りの変化に気づき驚き
『だとしたら自分はどう生きようかな?』なんて考えている姿をまた
自分の子どもが観察しているかもしれないなと。。
見ているうちに 見られている
どんな顔で考え事をして どんな風に驚いて どんな風に楽しんでいるか?
きっと 自分より子どもの方が 見えているかもしれませんね
おそろし~♪ 自分のことを 自分以上に見ている人がいるなんてw
と クスっと笑えるのです。
おばあちゃんがいつも
『おてんとうさまはみているよ』といっていたけれど
だれかがいつも 観察ではなく
見届けてくれていることを想うだけで
どこか安心します。
『おてんとうさま わたし いい感じでしょ』って言える今日を
すごしたいなと 思います。