50代からのこころ美人 ~ライフコーチYUM~

50代からのこころ美人 ~ライフコーチYUM~

メンタルコーチとして「人を育てる」活動に邁進。マザーズスマイルアンバサダー協会代表理事、企業の人財育成、エグゼクティブコーチング実施 50代になり『自分を生きる』ことができるこころ美人を世の中に増やす活動をはじめました。






 

50代に入ると 自分の健康に加え

親の健康や子どもの自立など

自分を取り巻く 身近な環境が大きく変わります。

 

 

いつの間にか 親も年を重ね

 

見た目も小さくなってくる・・

 

 

自分にとって精神的にも物理的にも大きく見えていた『親』という存在

頼りなく 小さく見え始める時期

 

 

正直ちょっと ショックを感じることもありました。

 

 

『そんなに小さかったっけ??』

 

 

『そんな失敗あんまりしなかったよね』

 

 

『さっき言ってたことだよ』

 

 

できていたことや存在していたものの

『変化』を大きく感じて戸惑う。。

 

 

『変化』は当たり前なのに

それに気づくくらいの『変化』

 

これを受け止めること 認めること

 

随分 増える時期が 50代付近だなと思います。

 

 

 

 

でもそれは、とても自然な流れで、ほんとうは 悲しいことではない

 

 

 

『人間が生きていくとは こういうことなんだよ』って

身をもって教えてくれる存在が 親でもあると思うのです。

 

そして 私の場合は

『だとしたら あなたはどう生きたい?』

この問いが 自分に降り注ぎます。

 

 

そこには 肯定的な意見だけではなく、否定的な意見(こんなふうにはなりたくない)も

存在します。

 

 

ただ、『自分は 今をどう生かす?』

自分の答えをもって生きたい これがきっと わたしのこだわりなのでしょう。

 

 

 

 

ある方が 言ってました。

 

『自分は親がなくなった年齢を過ぎて今を生きている。

 

いつまでも身体が元気に動き続ける保証はない。

 

だから 行きたいところ やりたいこと 見たいものは

 

なるべく触れ続けていたいと思っている。

 

いつまでも 同じではないからこそ・・

 

そんな時間の使い方をしていきたい』

 

と教えてくれました。

 

 

 

 

今 50歳の私のノートに 刻む日々はどんな日々でありたいか?

 

それは 丁寧に自分と向き合いつつ 選んでいきたい道でもあります。

 

 

 

そんなことを思いめぐらせながら 時折我に返ります。

 

そして クスっとわらってしまうのです。

 

なぜか?

 

 

 

自分がそうやって自分の周りの変化に気づき驚き

『だとしたら自分はどう生きようかな?』なんて考えている姿をまた

 

 

自分の子どもが観察しているかもしれないなと。。

 

 

見ているうちに 見られている

 

 

どんな顔で考え事をして どんな風に驚いて どんな風に楽しんでいるか?

 

 

きっと 自分より子どもの方が 見えているかもしれませんね

 

 

おそろし~♪ 自分のことを 自分以上に見ている人がいるなんてw

 

と クスっと笑えるのです。

 

おばあちゃんがいつも

 

『おてんとうさまはみているよ』といっていたけれど

 

だれかがいつも 観察ではなく

 

 見届けてくれていることを想うだけ

 

どこか安心します。

 

 

 

『おてんとうさま わたし いい感じでしょ』って言える今日を

 

すごしたいなと 思います。

 

 

 

 

 

『ゆんちゃん とっても良かったよ』

コーチング指導をしていた初期の頃

先輩講師にフィードバックをもらうことがあった。

 

 

講師として先輩からのフィードバックはとてもありがたい

 

ただ、どんなにいい他者評価を頂いても

自己評価を上回ることはなかった

 

 

自分はどうおもうのさ?

いつもそう呟いてくる内なる自分と会話をしていた気がする。

 

 

 

『よくないよね 今日の私の講座』

 

他者評価よりも自己評価

 

特に 他者評価が良きものな時ほど

自分の声は大きくなっていた

 

心が非常にモヤモヤして 

 

『何があればよかったのか?』脳内はぐるぐる反省会

 

一緒に活動していた先輩は 私よりも5年経験値がある先輩だったが

 

この5年のブランクを埋めることはできないかもしれない

 

そんなことは 私にはどうしようもないことだと最初から割り切っていた

 

 

ただ、私に習いたいと来てくれる生徒さんに

 

私ができることは ただ一つ

 

『未熟でも 今の全力を出し切ること』だと決めていた

 

『本当に今の全力でやれたのか?』

 

『もっとよりよい方法はなかったのか?』

 

毎度 そんな問いの答えを探し当てるまで

 

私の脳はとまらなかった。

 

目の前のことに必死になっている間に

 

12年が過ぎていた

 

 

もはや ひとつのことを10年もやれば

 

『その道のプロ』であることは当然のこと

 

 

 

その日の全力でやる・・というよりもむしろ

 

『成果を上げて当たり前』という意識に変わったなと思う

 

 

 

 

数字としてあらわれる業務を企業から任されて仕事もしているが

 

わざわざ 私に依頼を下さる方に対して

 

成果を出さないのは 申し訳ない

 

成果を出せなくて心が痛いのは私ではなく

 

きっと 私の依頼してくれる経営者さんでもあるということを

 

いつも心に置いている

 

 

 

 

仕事はそんな緊張感が伴うもの

 

成果を出して当たり前のもの

 

そこをスタンダードに仕事をしている私にとって

 

 

 

スイッチを切ることは

 

本当に大事な習慣

 

だから、拠点を変えてスイッチを切る

 

だから、海に行く

 

だから、山に行く

 

だから、身体のケアを怠らない

 

だから、内なる自分を整える

 

 

 

オンとオフを切り替えるのが

 

非常に苦手だった私が

 

自分をコントロールできるようになったのは

 

自分に向き合い 自己理解をし 自己受容をし

 

自分を心から信じ

 

自分の味方になる内なる存在を育んだから・・

 

 

 

誰かに認めてもらわなくても

 

自分を愛し 自分を認め 自分を励まし

 

そして 自分とともに生きていく力

 

得たからだと実感している。

 

 

私はこれまでもそんな女性たちを育む活動をしているけれど

 

これからの時代だからこそ、その力を引き出したい。

 

 

 

人がこの世に生まれ 生き そして 卒業の日を迎えるまで

 

せっかく生まれてきたのだから 自分をイキイキと生きる力を持ってもらいたい

 

そう感じている

 

 

 

 

京都生活から 大阪に戻り そして今 四国です。

 

 

 

こうやって自由に

 

環境を変えられる現状を 本当にありがたく思います。

 

移動している最中も、普通に仕事ができる。

 

Wi-Fiと マイパソコンがありさえすれば・・ね。

 

 

私は学生から社会人になり そして管理職も経験させてもらったのち

 

専業主婦を12年していました。

 

人をマネジメントする経験を通して

 

自分が成長しないといけないんだという事を学びつつも

 

仕事を手放して 専業主婦になったんですね。

 

 

まだ若かったですから、同年代の友人たちは

 

バリバリ仕事をしてキラキラ輝いていました。

 

 

 

でも、私は 仕事をしなければならない焦る気持ちを持つ自分と向きあいながら

 

『今は 目の前の自分や子どもや家族に 自分の時間を投資しよう』と決めたんです。

 

 

なので、焦りや不安は、一旦横に置き

 

人を育てる=自己成長を伴う子育てに向き合いました。

 

 

 

ほんと かけがえのない 学びの時間でした。

 

 

私が生きるよりも長く生きる子どもとともに

 

人間の成長を目的とした日々

 

 

上手くいかないことばかり

 

未熟な私は本を読んだり 誰かの話を聴いたり

 

家庭のことを担いながら、どうにもならない自分の成長に

 

子どもとともに向き合った日々でした。

 

 

 

経済的にはとても苦しかったです。

 

若い夫の稼ぎだけでは 大変でした。

 

 

 

それでもお金の価値ではなく、別の価値を見出し

 

苦しい中で、工夫をして、私という人間の命の時間を

 

注いだ時期ですね。

 

子どもが思春期になり始めたあたりから

 

自分に戻ってきた時間で、

 

人を育てるために育まれたマインドと

 

新たにインストールしたスキルで

 

社会に貢献したくなり、起業したわけです。

 

 

私にとってはとても自然な流れでしたね。

 

そして 心から納得できた時間を過ごしたなと思っています。

 

 

そう思うと、私は『我がつよいw』

 

 

自分で決めるということは

 

いつの時代も大事にしてきたことだなと思います。

 

 

 

仕事をしているのも 子育てをしているのも 家事をしているのも

 

わたしはわたし

 

 

嬉しい 楽しい 悲しい 苦しい等

 

感情をもち 日々心臓を動かしているわたしであることには

 

変わりありません。

 

 

 

愚痴や不満を吐きながら過ごす自分は

 

間違いなく避けたい自分だった

 

自分の時間がもったいないから・・

 

 

 

子育ても 仕事も どちらも好きだったわけではなく

 

好きになるために 熱中できるために

 

自分と向き合い 環境を整え 目的を見出し そう取り組めるようにしている自分がいるのです。

 

 

 

 

与えられたものが そのままピタリの自分を満たしてくれなくても

 

何をするにしても必要な 自分の命の時間をどう使うのか?

 

どんな気持ちで使うか?

 

自分で決めていくことだと思っています。

 

 

 

人と同じような人生を歩く必要は正直全くありません

 

 

 

だとしたら、自分が自分の道を見出せるだけの人間としての成長

 

そして 選択と行動をしていく。

 

これに尽きるなと感じています。

 

 

 

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 大阪京都 二拠点生活がはじまって

ひとつだけ まだ納得できていないことは

京都で さらっといける『花屋』に出逢えていないところ

 

 

 

小学生の頃 母は週末好んで 『園芸店』に行く人だった

 

『今から富田林の園芸店に行くけど あんたもいく?』と

誘われたこともよくあった

 

 

目をキラキラさせて 花や観葉植物を見る母を見ながら

『何が面白いのかね~。よっぽど百貨店の方がよさげなものあると思うけれど』

と 心の中でつぶやいていた

 

 

 

子どもたちが二人とも思春期あたりに育ってくれたくらいの頃から

 

私は家に観葉植物を迎えることが増えた。

 

理由は、近所に素敵な花屋さんができたこと

 

 

 

基本は切り花を売っているお店なんだけど

 

月に何度かワークショップを開催されていたり

 

観葉植物もちょっとだけ置いてあった

 

 

愛犬の散歩の途中に 度々立ち寄らせてもらっていたり

ワークショップに参加しはじめたら

自分のDNAのスイッチが入り始めてしまったw

 

 

もはや 我が家は若干ジャングルのように

植物ちゃんたちに囲まれて

 

 

朝イチで 植物ちゃんのお手入れをしたり

水をあげたりすることが

日課になっていた。

 

 

 

 

 

当時の母と 同じくらいの年齢になってきた自分が

当時の母と 同じようなことをし始めたことが怖いなって思った。

 

 

わたしが花屋に行くのは

もっぱら 行き詰った時

 

母はどんな時に 花屋に行ったのだろう?

ちょっと 想像をしてみたりもするw

 

 

花を飾ると『心が華やぐ』

 

 

 

『行き詰ったので お花を買いに来ました』といいながら

愛犬と花屋に訪れることを

ママさんも 笑顔でいつも迎えてくれる

 

 

仕事のこと

子どものこと

親とのこと

 

 

わたしも普通にいろいろある

 

 

心に雲が立ちこめる時は

『そうだ 花屋に行こう』と行動をおこす

 

 

 

 

自分の内からエネルギーがわかないときは

自分がエネルギーをもらえるものに

あっさり頼る

 

 

そうやって 自分のエネルギーコントロールをしながら

なるべく 機嫌よく生きること

 

行き詰ったら 花を飾り

心を解放してやること

心に花を飾ってやること

 

 

心が解放されたら また あらたな閃きが

もらえるかもしれないしね

 

心が華やいだら それだけで 心は晴れる

 

 

『ゆんちゃんちの植物たち みんなめちゃ元気ね?』と

友人も言ってくれるけれど

 

植物も愛を必要としているのよ

 

そして 会話もできる気がする

 

『いつもありがとう』といただいているものへの感謝を伝える

 

彼らは

純粋なエネルギーをたくさん溢れさせてくれる

大事な存在

 

 

そして いつもありがとう花屋さん

 

3週間も育ち続ける切り花は

ママさんの目利きの凄さだと思っている

 

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7月に入り、日に日に 起床時間が早くなってきている

 

日中が暑くて 愛犬の散歩が『快適』ではなく『苦行』に

なってしまわないように

 

『あ~ 気持ちよいね~』と感じられる時間からの行動を

大切にしていくと どうしても早くなってくる

 

 

 

ただ、今週末は その役割を夫にお任せして

私は早朝6時には すでにサウナ道に身を置いていた

 

 

おひとりさまで 早朝6時からお風呂に行く

 

 

6割がた 眠っている自分の細胞を

ゆっくりと 入浴しながら目覚めさせていく時間

 

 

最初は ぬるめのお風呂に入り

目覚めてきたら サウナと水風呂と外気浴をあびる

 

 

そもそも 私がサウナに覚醒したのは

沖縄旅行の最後に

搭乗するまえの空いた時間

 

 

 

 

飛行機の離陸が見える日帰り温泉に行き

沖縄の最後の日に 汗を流して帰ることにしたのだ

 

 

 

 

そこでのサウナ⇒水風呂⇒外気浴で

旅の疲れなんて吹っ飛ぶ上に

脳内が完全にリセットされた気がした

 

 

だから、早朝からあの感覚をもう一度味わいたくて

今日もでかけていったのだ♪

 

 

なるべく その時間は

誰とも話さないだけではなく、目を閉じるようにしている

 

 

 

 

目から飛び込む情報を遮断すると

かき消されそうな 鳥のさえずりや

風鈴の音を 聞き逃すことはない

 

 

耳から届くものと

風を受ける皮膚の感覚だけで

情報は十分だなと思う

 

 

現代人は 情報に疲れていると私は思っている

 

情報を遮断し、目から入る以外の自然な情報を

もう少し味わってもいいかもしれない

 

 

今朝は 蝉の声が一瞬きこえてきたのを

聞き逃さなかった✨

 

 

頑張ることが得意な私には

こうやって 力を抜く努力が必要

 

 

足し算ではなく 引き算から生まれる自分の余白を

生み出す小さな努力は 機嫌よく生きるために

つづけていきたい

 

 

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