秋の雨が今日も続いています・・・
ようやく八月の終わりに開催された大切なイベントのことを書きます。
核のない平和な世界の実現を願い、
その思いを語り継ぐつどい
~原水禁運動発祥の地 杉並から未来へ~
日本女子大学桜楓会杉並南支部の主催で、高井戸区民センターにて開催されました。
支部長のMさんは「ひろしまのピカ」を事前に見に来てくださり、丹念にこの会の企画準備をしてこられました。
第一部は「ひろしまのピカ」
第二部は 光友会会長の久保田朋子さんの被爆証言と会場のみなさんとのトーク
久保田朋子さんとは、杉並区で行われた「ひろしまのピカ」60回のときにご縁があり、それ以来交流させていただいているので、この日お会いできるのをとても楽しみにしていました。
第一部は「ひろしまのピカ」。
元教員・三田政明の解説に続いて、絵本「ひろしまのピカ」を語っていきます。
あの日のひろしま。
チンチン電車がゆっくり走っていました。
とうろう流し。
白一面の壁に、丸木俊さんが描いた美しい原画が映し出されます。
74回目の「ひろしまのピカ」。
丸木俊さんの思いを語るのは、幾度回を重ねても、いや重ねるほどにその覚悟が問われます。
被爆81年、これほど危機感を覚えた夏はない、その思いを込めて、74回目の「ひろしまのピカ」を語り終えました。
そして、第二部。
久保田朋子さんのご登場です。
久保田朋子さんは、杉並区の被爆者団体・光友会の会長。
御年89歳とはとても思えない凜とした口調で、ご自身の体験を語っていかれます。
1945年、東京では空襲が頻繁に起きるようになってしまい、東京大空襲を機に広島に疎開されたという久保田さん。東京に比べると、広島はそれまで空襲がなかったせいか、かなりのんびりしていると感じたそうです。
その後広島市からも再疎開していたけれど、たまたま広島市内のお祖母さまの家に戻っていた8月6日、原爆に遭いました。
真っ白い光に包まれた後、爆風でとばされ気絶し、耳の後ろから血が出ていたけれど止血して、川原へ逃げていくときに地獄の光景をみることになります。
近くに住んでいた旧知のお兄さんの顔はひどくふくれあがって、誰だかわからないほどだったと。
お祖母さまは亡くなり、お母様は陸軍病院の手当てを受けて一命をとりとめました。
戦後は東京に戻りますが、お母様からは「原爆のことは人様に話さなくていいのよ」と言われていたそうです。
被爆4年後にお姉様、被爆8年後にお兄様が亡くなり、お母様も被爆12年後に白血病で亡くなったとのこと。
久保田さんはのちに光友会に入り、ご自身の被爆体験を証言するようになっていかれました。
原爆の恐ろしさはなにより、投下されたそのときで終わらないことです。
被爆者は、いつ原爆の後遺症が出るかわからない恐ろしさを抱えて生きています。
悲惨な体験というのはずっと記憶から消えてくれません。
喉が渇いて水を飲もうとするとき、あの日水を求めていた人を思い出しますし、空き地で次々と遺体を焼いたにおいも忘れることができません。稲光はいまでも怖いです。
戦争の実態は話し続けなければ忘れられ、再び繰り返される危険性があります。
戦争は知らないうちに私たちに忍び寄ってきてずるずると始まる。私も当時戦争が始まるなんて思わずにのどかに暮らしていたのですから。
「ひろしまのピカ」、久保田朋子さんのお話を聞いていただいたあと、支部長のMさんの進行で、会場のみなさんと《語り継ぐ》をテーマに語り合いました。
三田と私も久保田さんと並んで、いろいろお話しさせていただきました。
久保田さんは、三田の解説にあった空白の7年間(1945~1952年)、原爆のことは一切話すことができなかったことに触れ、1954年ビキニ環礁の水爆実験で被爆した第五福竜丸の事件で、杉並区の魚屋さんから始まった署名運動から世論が高まり、日本被団協が発足していったことを話されました。
三田はさらに、日本被団協の歴史、2024年のノーベル平和賞受賞で田中煕巳さんのスピーチに込められた意味について言及しました。
会場のみなさんからもいろいろな声が寄せられました。
やはり今の世界情勢に大きな危機感を抱いている人が多く、日本は重要な岐路に立っている、声をあげていかなければならないという発言もありました。
父親の戦争体験について、長い間こわくて聞くことができなかったが、今ようやく向き合えるようになり、亡父が記した戦争体験を復刊した。これからは次世代に語り継いでゆくことにも取り組んでいきたい、という声も。
久保田さんの話を直接聞いて感銘を受けた方も多くいましたし、「ひろしまのピカ」から炎に追われてきた人をしっかり想像できたといってくださった方もいました。
会場は、熱いエネルギーに満ちていました。
いま聞いたこと、語り合ったことを行動に移していこうというそれぞれの思いがふくらみ、広がっていったように感じました。
最後に、お世話になった桜楓会のみなさんと、久保田朋子さん、遠方から駆けつけてくださった方とともに、記念写真![]()
この思いを持ち続けながら、私は今日も生きています![]()
ありがとうございました![]()









