十二月八日。

 

80年前のこの日、日本は戦争を始めてしまいました。

 

80年たった今、日本の戦後ははたして続いているのでしょうか。

 

 

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ようやく、今年の秋・冬公演のご報告の最後となりました。

 

先月、私たちは松本正さんとともに横浜市立都田西小学校に行ってまいりました。

 

実は、夏に地元で開催された平和に関するイベントに参加した際に、都田西小学校の先生方も参加されていて、そこで校長先生と知り合いになり、お声をかけていただいたのでした。


 

 

小学5・6年生の前で、「ひろしまのピカ」67回目。

 

元教員・三田政明の解説のあとに、絵本「ひろしまのピカ」が始まります。

 

 

原爆の惨禍を子どもたちは一心に見つめています。

 

 火におわれてきたひとたちが、おおぜいいました。

 

 

 また夜がきて、太陽がのぼり、夜がきて、朝がきました。

 

 

なぜ丸木俊さんがこの絵本を書いたのか。

 

最後に丸木俊さんとして舞台にあがり、子どもたちに向かって語りました。

 

 私には子どもがいないから孫もいません。

 でもこれは、孫たちへの遺言なのです。

 

 

 

つづいて、94歳の被爆者・松本正さんのお話です。

 

 

 

この日はとても寒かったのですが、校長先生が松本さんを気遣って毛布をもってきてくださいました。

 

 

 

寒さをものともせず、最愛の弟・勝さんの話をする松本さん。

 

 

 原爆投下前日の8月5日、自転車のチェーンが切れてしまった松本さんは、弟さんと別れて自宅に戻ることに。

 

 これが弟と永遠の別れになろうとは知る由もなかった・・・

 

 

弟さんばかりでなく、身内10人を原爆で失った松本さん。

 

自分は語る資格がないと長い間口を閉ざしてきた松本さんですが、いまは、身内10人のためにも、二度と同じことを起こさせないためにも、語り続けているのです。

 

 

 

松本さんの証言が終わった後、やはりたくさんの子どもたちが次々と手をあげて、質問や感想を述べていました。

 

 

最後に、校長先生からのご挨拶。

 

 

校長先生は、ずっと戦争を体験した人を探しておられました。

ご自身が先生になりたてのころには戦争のことを語ってくれる人が身近にいたけれど、今は探すことさえ難しい…でも、子どもたちに直接話を聞かせたい、と切実な思いを持っておられました。

 

今日こうして94歳の松本正さんが学校に来て、話をしてくれたこと、それがいかに貴重で大切なことかを子どもたちに話してくれました。

 

 

そして、この日のことを詳細に書いてくださいました虹

子どもたちの感想も載っていますダウンダウンダウン  ぜひご覧くださいビックリマーク

 

 11月11日 Daily Topics|横浜市立都田西小学校

 

 

最後に校長先生とご協力くださった先生方と一緒に音譜

たくさんの先生方が準備も後片付けも手伝ってくださいました。

 

本当にありがとうございました!!

 

 

おかげさまで、2025年の松本正さんの被爆証言、そして「ひろしまのピカ」の公演をすべて無事に終えましたクローバー

 

 

さまざまなご縁に感謝いたします。

 

 

松本正さん、被爆80年も語り続けましたね。

 

本当におつかれさまでした虹

 

 

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