おはようございます。
ブログへのご訪問ありがとうございます。
この素敵な出会いに感謝致します。
これは、発達障害、ADHD、高機能自閉症、
後発難聴の私のエピソードです。
今朝のエピソードは、
「子供おばさん」にならない、幸せな生き方。秋の夜長の読書のお話です。
※追記は文末に掲載しています。
11月の秋の夜長を読書で過ごしています。
最近、久しぶりに読んだ本があります。
それは、ひかりさんというコラムニストさんが書かれた。(ひかりさんは、アメブロ で公式ブロガー さんとしても活躍されています。)
“子供おばさん”にならない、幸せな生き方〜自分を愛するということという本です。
(2015年4月29日発売)
この本には、
「大人女子」と「子供おばさん」という2つの言葉が出てきます。そして、その2つの言葉の違いについてわかりやすく解説し、「子供おばさんにならない」とは?幸せな生き方とは何か?の核心に迫ります。
これは、その中で、私が、特に興味深いと感じた内容を抜粋したものです。
2.喜ばれる愛し方と、接し方
好きな人が出来たとき、大人女子と子供おばさんとでは、“思うこと”が違います。
子供おばさんは、好きな人に対して「自分の思い通りにしたい」と思います。
だからこそ、相手の気を惹くようなことをしたり、付き合った後も自分の理想を押し付けたりします。
大人女子は、好きな人に対して「幸せにしたい」と思います。
だからこそ、片思いの時も、付き合った後も、相手が喜ぶことを色々とします。
◼️「自分の思い通りにしたい」という思いに苦しめられる
どんなに縁がある相手だとしても、彼は恋人のためだけに 生きているわけではありません。
彼には彼の人生があり、価値観があり、思いがあります。それを尊重しないで、自分の思い通りにしようとすると、相手が窮屈な思いをし始めます。あなたに対して反発心すら持つようになるでしょう。
そんなとき、子供おばさんはどうなるのか?
彼が自分の思い通りにならければならないほど、苦しむのです。
そもそも自分とは違う存在が、自分の思い通りになるはずがありません。そんなことにどうして気づかないのか?というと、結局は「自分の事しか見えていない」からです。
相手を愛しているのではなく、愛しているのは「自分だけ」なのです。
さらに正確に言うと、自分のことも愛しているわけではありません。本当に自分を愛していたら、そんな自分勝手なところを直すことが、自分への本当の愛だからです。
◼️まずは「自分を思い通りに」にしてみては?
相手を思い通りにしたがる人は、実は自分のことすら思い通りに出来ていません。
だから、自分の感情や欲望を抑えられなかったり、自分が快適になるために相手を利用したりします。
実は、相手が自分の思い通りにならない時は、それが原因でイライラするだけではなく、心のどこかではそんな“自分の弱さ”にもイライラしているのです。
でも、他人はともかくとして、意識をすれば、自分のことは自分で思い通りにすることはできるはずです。
(ひかり著、“子供おばさん”幸せな生き方〜自分を愛するということより、抜粋)
これは彼(恋人や恋愛)に対して書かれているものですが、この内容は、友人や家族などの周りの人間関係にも当てはまるのではないでしょうか?
友人や家族など(周りの人間関係)を自分の思い通りにしたいと思ったり、自分の気持ちや理想を押し付けてはなりません。
何故なら、
友人や家族など(周りの人間関係)は自分のためだけに生きているのではなく、皆、其々の人生があり、価値観があり、思いがあります。
それを尊重しないで自分の思い通りにしようと、自分の気持ちや理想を押し付けてしまうと、友人や家族など(周りの人間関係)から反発され、人間関係にヒビをいれかねません。
人は自分が幸せになるために生きています。
誰かの思い通りや理想を叶えるために生きているのではありません。
自分の環境は自分で整えるものであり、誰かにお膳立てして貰うものではありません。
そもそも、
自分が上手くいかないのは誰かが自分の思った通りに〇〇をしてくれないからだ、お膳立てしてくれないからだ。なんて事を言っているうちは、物事は上手くいきません。
そして、
「童心を持った大人女子」と「子供のままの子供おばさん」は、表面上は一見似ていますが、その、本質は全く違います。
「童心を持った大人女子」は愛されますが、「子供のままの子供おばさん」は、迷惑がられます。
そもそも、相手には、その事を叶える義務はなく、しかも、断る権利があるのにも関わらず、
相手の気持ちを尊重しないで、自分の思い通りにさせようと、自分の理想を押し付け、それにより、相手から反発された「子供おばさん」は、逆ギレし、
(人は自分に似た性質を持つもの同士が引き寄せられ集まると言われています。)
自分によく似た。「子供おばさん」同士で集まり、
そして、自分の思った通りにしてくれない、自分の理想を叶えてくれない事を理由に、
あの人は、愛の無い人だ、冷たい人だ、酷い人だ、悪い人だと、騒ぎ立てるという。ネガティブキャンペーン(ネガキャン)を始めます。(時には、その事とは、関係のない人達も巻き込みます。)
まるで、スーパーでお菓子を買って貰えるまで、ゴネ続ける子供の様に、
自分の思った通りにして貰えるまで、自分の理想を叶えるまで、「子供おばさん」達はゴネ続けます。
(これを、試し行動を行う大人といいます。試し行動とは、本来、子供が行う愛情確認行動の事です。)
ですが、その様な子供じみた事をすればする程、相手からは、スルーされ、相手にされなくなっていくのがオチです。
何故なら、大人として振る舞えない「子供おばさん」は、大人として扱われなくなるからです。
それは、大人から相手にされなくなるという事です。
それにより、ますます、「子供おばさん」は「子供おばさん」同士で付き合う様になります。
ですが、「子供おばさん」の殆どは、自分が「子供おばさん」だという自覚はありません。
これは、本のタイトルから「子供おばさん」にしていますが、おそらく、世の中には、無自覚な「子供おばさん」と「子供おじさん」が沢山いるのではないかと思われます。
ここで、重要なのは、それを自覚し、迷惑行為だと理解しているかどうかです。
自覚と理解の「あるか、ないか」では、全く違うものになって来ます。
そして、人様に迷惑をかけなければ、どの様に生きるのかは、本人の選択の自由だと思います。
さて、この様に色々と書きましたが、人の振り見て我が振り直せです。
私も「大人女子」として、幸せに生きていける様に、己の襟を正して、日々、精進していきたいと思います。
そして、私の周りの人達は、皆、素敵な「大人女子」と「大人男子」な方達ばかりですので、
お陰さまで、楽しく、穏やかで、幸せな日々を過ごしています。ありがたい限りです。
人は、今、ここで生きています。
愛と感謝で今を大切に生きていこうと思います。
お付き合い頂きましてありがとうございます。
感謝致します。
今日も素敵な一日をお過ごしください。
おひいさま(ヘタレ)
※追記しました。
四半世紀の付き合いであった友人との人間関係の断捨離を決意した。今から11年前の2012年の年末に私は、本屋さんで「大人女子」と「子供おばさん」(ひかり著)という本に出会いました。
「大人女子」と「子供おばさん」という、インパクトの強いタイトルに惹かれ、その場で本の内容をいくつか確認したところ、
この本に書かれている「子供おばさん」とは、友人の事を書いているのでは?と思える位、当てはまる事だらけでしたので、本の内容を全て読んでみたくなり、購入しました。
友人は私と同い年で、10代の終わりからの付き合いでした。年齢を重ね、周りの友人が皆、精神的にも大人になっていく中で、
友人だけが10代のままで、まだ、そんな事言っているの?やっているの?いつまで15の夜を続けているの?状態でした。
その為、年齢を重ねる毎に、以前からの付き合いの友人が離れていき、ふと、気がつけば、付き合っているのは、私、ひとりになっていました。
私は、以前より、この中身が子供のままの、年齢だけを重ねていく友人を表現する言葉があるとすれば、何だろうか?と考えていたのですが、
よくぞ、この「子供おばさん」という、6文字の短い言葉で表現してくださいましたと、
ひかりさんというコラムニストさんのネーミングセンスに感動し、感謝しました。
そして、「子供おばさん」とは、どの様なものなのか?を、何故、友人があの様な言動を繰り返すのか?を、より、詳しく知る「参考資料」になりました。
さらに、私は、この本を読む事により、友人との人間関係の断捨離を決意するまで、友人に対して行って来た事が間違いだった事に気付きました。
私は、「子供おばさん」である友人が、「大人女子」として、誰かに依存する事なく、自分の足で立って歩いていける様に、自分の機嫌は自分で取れる様にと、長い年月をかけて、自立を促して来たのですが、
友人の本当の望みは、「子供おばさん」で居続ける事だという事に気付きました。
友人が私に言っていた。
「変わりたい、大人になりたい。」というのは、私に構って貰う為のただの理由付けだったのです。
その証拠に、友人は、そうなりたいと言い、アドバイスを求めるわりには、実際には、何もしようとしませんでした。
友人は「大人女子」になりたいのではなく、「子供おばさん」のままで居続けたかったのです。
私に、構って欲しくて、「大人女子」になりたいと言っていたのを、間に受けていただけだったのです。
なので、私は、友人が「子供おばさん」のままでいたいのなら、そのままにしておこうと思いました。
「子供おばさん」として生きたい友人と、「大人女子」として生きたい私が一緒にいる事は、お互いにとってしんどい事であり、
そうありたい自分、そうなりたい自分に、より、近い人達と一緒にいた方が、お互いにとって幸せだと思いました。
こうして、私は四半世紀の付き合いであった友人との人間関係の断捨離をスタートさせたのですが、なんと、それから、3年に及ぶ長期戦となりました。
(かつて、離婚をした時の方が楽だったのでは?とすら思えました。)
そして、遂に、彼女との人間関係の断捨離を終えた時に、本屋さんで、見つけたのがこの本でした。
この、“子供おばさん”にならない、幸せな生き方〜自分を愛するということを読み、
友人と私は、ようやく、別々の道を歩き始めたのだと思いました.だから、後は振り返ってはいけない、前を向いて歩いていこうと思いました。
その後も「子供おばさん」との人間関係の断捨離を迎える度に、終える度に、私はこの2冊の本を読みました。
そして、つい、最近も、ひとりの「子供おばさん」との人間関係の断捨離を終えて、この本を読みました。
さて、私は人間関係の断捨離において、別々の道を歩んだ人達に対して、それまでの事に感謝し、
これからの人生において、そうありたい自分、そうなりたい自分に、より、近い人達の中で、幸せに過ごせます様にと願う事にしています。
そして、時々、ふと、その人達の事を思い出す事があります。その度に、その人達が、元気で、幸せでいてくれるといいなと願う事にしています。
お付き合い頂きましてありがとうございます。
感謝致します。
今日も素敵な一日をお過ごしください。
おひいさま(ヘタレ)