昭和六年十二月、
山頭火は一時住んでいた熊本から
再び行乞の旅に出発しました。
漂泊の旅、
行乞の旅に生きるほかない自分自身を客観的に見て、
山頭火は「自嘲」しているのでしょう
自分の後ろ姿は、自分で見ることはできません。
山頭火は、
「他者に見られる自分」を強く意識しています。
後ろ姿を他人に見られている自分を見て、
自らを嘲る、という句です。
では、どのような「姿」を自嘲しているのでしょうか。
句の後半にある「しぐれ」は、
初冬に降る通り雨のことで、
山頭火も「しぐれ」という語を含む句を多く詠んでいます。
死をまへの木の葉そよぐなり
陽を吸ふ
死ぬる夜の雪ふりつもる
生死のなかの雪ふりしきる
十二月廿二日
晴、汽車で五里、味取、星子宅。
私は一年ぶりくらいに旅に出た。――
『私はまた草鞋を穿かなければならなくなりました、
旅から旅へ旅しつゞける外ない私でありました』と
親しい人々に書いた。
山鹿まで切符を買うたが、
途中、味取に下車してHさんGさんを訪ねる、
いつもかはらぬ人々のなさけが身にしみた。
Sさんの言葉、
Gさんの酒盃、K上座の熱風呂、和尚さんの足袋、……
すべてが有難かつた。
積る話に夜を更かして、
少し興奮して、
観音堂の明けの鐘がなるまで寝つかれなかつた。
晴、冬至、汽車で三里、山鹿、柳川屋(三〇・中)
九時の汽車で山鹿まで、二時間ばかり行乞する、
一年ぶりの行乞なので、何だか調子が悪い、
途上ひよつこりS兄に逢ふ、
うどんの御馳走になり、お布施を戴く。
一杯ひつかけて入浴、
同宿の女テキヤさんはなか/\面白い人柄だつた、
いろ/\話し合つてゐるうちに、
私もいよ/\世間師になつたわいと痛感した。
十二月廿四日
晴、徒歩八里、福島、中尾屋(二〇・上)
八時過ぎて出立、
途中ところ/″\行乞しつゝ、漸く県界を越した、
暫らく歩かなかつたので、さすがに、足が痛い。
山鹿の宿も此宿も悪くない、
二十銭か三十銭で
これだけ待遇されては勿体ないやうな気がする。
同宿の坊さん、籠屋のお内儀さん、週
旋屋さん、女の浪速節語りさん、
みんなとり/″\に人間味たつぷりだ。
(青空文庫作成ファイル)より
(続きます)
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今日も命を授けていただきありがとう (^-^)
二度とない人生
だから 今日が大事、今日が大切
今日もいい日でありますように 【合掌】
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