山頭火の「行乞記」昭和5年ー10/14 | 安 明高 の 生 活

安 明高 の 生 活

日頃の気になること と
坂村真民・種田山頭火さんなどの作品を掲載してます

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弘法大師・法然上人・親鸞聖人などの魅力を紹介してます。

【南無大師遍照金剛】 * 7

十月十五日 晴、行程四里、有水、山村屋(四〇・中・下)
宇佐-25
早く立つつもりだつたけれど、宿の仕度が出来ない、

八時すぎてから草鞋を穿く、

やつと昨日の朝になつて見つけた草鞋である、

まことに尊い草鞋である。


二時で高城、二時間ほど行乞、また二里で有水、

もう二里歩むつもりだつたが、何だか腹工合がよくないので、

豆腐で一杯ひつかけて山村の閑寂をしんみりヱンヂヨイする。


宿の主人は多少異色がある、

子供が十人あつたと話す、話す彼は両足のない躄だ、

気の毒なやうな可笑しいやうな、

そして呑気な気持で彼をしみ/″\眺めたことだつた。


途上、行乞しつゝ、

農村の疲弊を感ぜざるを得なかつた、

日本にとつて農村の疲弊ほど恐ろしいものはないと思ふ、

豊年で困る、蚕を飼つて損をする――

いつたい、そんな事があつていゝものか、

あるべきなのか。


今日は強情婆と馬鹿娘とに出くわした、

何と強情我慢の婆さんだつたらう、地獄行間違なし、

そしてまた、

馬鹿娘の馬鹿らしさはどうだ、極楽の入口だつた。


村の運動会

(といつても小学校のそれだけれど、村全体が動くのである)は

村の年中行事の一つとして、これほど有意義な、

そして効果のあるものはなからう。
宿の小娘に下駄を貸してくれといつたら、

自分の赤い鼻緒のそれを持つて来た、

それを穿いて、私は焼酎飲みに出かけた、何となく寂しかつた。
友のたれかに与へたハガキの中に、――

 

やうやく海の威嚇と藷焼酎の誘惑とから逃れて、

山の中へ来ることが出来ました、

秋は海よりも山に、山よりも林に、

いち早く深まりつゝあることを感じます

虫の声もいつとなく細くなつて、

あるかなきかの風にも蝶々がたゞようてゐます。……

 

物のあはれか、

旅のあはれか、

人のあはれか、

私のあはれか、

あはれ、あはれ、あはれというもおろかなりけり。


清酒が飲みたいけれど詰しかない、

此地方では酒といへば焼酎だ、

なるほど、焼酎は銭に於ても、また酔ふことに於ても経済だ、

同時に何といふうまくないことだらう、

焼酎が好きなどゝいふのは――

彼がほんたうにさう感じてゐるならば――

彼は間違なく変質者だ、

 

私は呼吸せずにしか焼酎は飲めない、

清酒は味へるけれど、

焼酎は呻る[#「呻る」はママ]外ない

(焼酎は無味無臭なのがいゝ、たゞ酔を買ふだけのものだ、

藷焼酎でも米焼酎でも、焼酎の臭気なるものを私は好かない)。


相客は一人、何かを行商する老人、

無口で無愛想なのが却つてよろしい、

彼は彼、私は私で、

煩はされることなしに

私は私自身のしたい事をしてゐられるから。


湯に入れなかつたのは残念だつた、

入浴は、私にとつては趣味である、

疲労を医するといふことよりも気分を転換するための手段だ、

二銭か三銭かの銭湯に於ける享楽は

じつさいありがたいものである。


薩摩日向の家屋は板壁であるのを不思議に思つてゐたが

宿の主人の話で、その謎が解けた、

旧藩時代、真宗は御法度であるのに、

庶民が壁に塗り込んでまで阿弥陀如来を礼拝するので、

土壁を禁止したからだと。

(青空文庫作成ファイル)より

 

(続きます)

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆  

 

今日も命を授けていただきありがとう (^-^)

二度とない人生

だから 今日が大事、今日が大切 

今日もいい日でありますように 【合掌】

 

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