九月十七日 曇、少雨、京町宮崎県、福田屋(三〇・上)
今にも降り出しさうな空模様である、
宿が落着いてゐるので滞在しようかとも思ふたが、
金の余裕もないし、また、ゆつくりすることはよくないので、
八時の汽車で吉松まで行く
(六年前に加久藤越したことがあるが、
こんどは脚気で、とてもそんな元気はない)、
二時間ばかり行乞、二里歩いて京町、
また二時間ばかり行乞、街はづれの此宿に泊る、
豆腐屋で、おかみさんがとてもいゝ姑さんだ。
こゝには熱い温泉がある、ゆつくり浸つてから、
焼酎醸造元の店頭に腰かけて一杯を味ふ
(藷焼酎である、このあたり、焼酎のみでなく、
すべてが宮崎よりも鹿児島に近い)。
このあたりは山の町らしい、
行乞してゐると、子供がついてくる、
旧銅貨が多い、バツトや胡蝶が売り切れてゐない。
人吉から吉松までも眺望はよかつた、
汽車もあえぎ/\登る、
桔梗、藤、女郎花、萩、
いろんな山の秋草が咲きこぼれてゐる、
惜しいことには歩いて観賞することが出来なかつた。
なんぼ田舎でも山の中でも、自動車が通る、
ラヂオがしやべる、
新聞がある、はやり唄が聞える。……
宮崎県では旅人の届出書に、旅行の目的を書かせる、
なくもがなと思ふが、私は「行脚」と書いた、
いつぞや、それについて巡査に質問されたことがあつたが。
今日出来た句の中から、――
はてもない旅の汗くさいこと
・このいたゞきに来て萩の花ざかり
山の水はあふれ/\て
・旅のすゝきのいつ穂にでたか
・投げ出した足へ蜻蛉とまらうとする
ありがたや熱い湯のあふるゝにまかせ
此地は県政上は宮崎に属してゐるが、地理的には鹿児島に近い、
言葉の解り難いのには閉口する。
藷焼酎をひつかけたので、だいぶあぶなかつたが、
やつと行き留めた、
夜はぐつすり寝た、
おかげで数日来の睡眠不足を取りかへした、南無観世音菩薩。
九月十八日 雨、飯野村、中島屋(三五・中)
濡れてこゝまで来た、午後はドシヤ降りで休む、
それでも加久藤を行乞したので、
今日の入費だけはいたゞいた。
此宿は二階がなく相客も多く、
子供が騒ぎ立てるのでかなりうるさくてきたない、
それにしても昨日の宿はほんとうによかつた、
何もかも一切がよかつた、上の上だつた。
・濡れてすゞしくはだしで歩く
・けふも旅のどこやらで虫がなく
ひとり住んで蔦を這はせる
身に触れて萩のこぼるゝよ
朝湯はうれしかつた、
早く起きて熱い中へ飛び込む、ざあつと溢れる、
こん/\と流れてくる、
生きてゐることの楽しさ、旅のありがたさを感じる、
私のよろこびは湯といつしよにこぼれるのである。
けふは今にも噛みつくかと思ふほど大きな犬に吠えられた、
それでも態度や音声のかはらなかつたのは
自分ながらうれしかつた、
その家の人々も感心してくれたらしい、
犬もとう/\頭を垂れてしまつた。
同宿の人が語る
『酒は肥える、焼酎は痩せる』彼も亦アル中患者だ、
アルコールで自分をカモフラージしなくては生きてゆけない
不幸な人間だ。
鮮人か内地人か解らないほど彼は旅なれてゐた、
たゞ争はれないのは言葉のアクセントだつた。
同宿の人は又語る
『どうせみんな一癖ある人間だから世間師になつてゐるのだ』
私は思ふ『世間師は落伍者だ、強気の弱者だ』
流浪人にとつては
食べることが唯だ一つの楽しみとなるらしい、
彼等がいかに勇敢に専念に食べてゐか、
その様子を見てゐると、
人間は生きるために食ふのぢやなくて
食ふために生きてゐるのだとしか思へない、
実際は人間といふものは生きることゝ、
食ふことゝは同一のことになつてしまうまでのであらうが。
とにかく私は生きることに労れて来た。
(青空文庫作成ファイル)より
(続きます)
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今日も命を授けていただきありがとう (^-^)
二度とない人生
だから 今日が大事、今日が大切
今日もいい日でありますように 【合掌】
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