山頭火 明治44年の夜長ノート | 安 明高 の 生 活

安 明高 の 生 活

日頃の気になること と
坂村真民・種田山頭火さんなどの作品を掲載してます

御先祖の御加護に感謝をし
日本百観音などを参拝の後
お四国を錦札で巡拝できる喜びを感じて
弘法大師・法然上人・親鸞聖人などの魅力を紹介してます。

【南無大師遍照金剛】 * 7

コロナから解放されて

故郷へ正月の里帰りが

よもやの

親子兄弟の命日になってしまうとは

多数の尊い命の御冥福を心より御祈り申し上げます。

 

とんでもなく大きな地震に見舞われた

能登半島は

北陸の楽園が一転地獄になってしまいました。

 

全国の各自治体などからの救護・支援があるなか

元旦から半月が経た被災地では

体力・気力の限界と闘いながら

避難生活を余儀なくされておられる高齢者の方々には

この先、気を強く持たれて

お体をご自愛されますことを祈念致します。

 

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆  

 

時はちょっと前後して

1911年(明治44年)の夜長


小春日和のうららかさ。

のんびりとした気持になって山の色彩を眺める。

赤い葉、黄色い葉、青い葉、薄黒い葉――

紅黄青褐とりどりのうつくしさ。

 

自然が秋に与えた傑作をしみじみ味わうたのしさ。

いつしか、うっとりとして夢みごころになる。

自然の無関心な心、秋の透徹した気

午後三時頃の温かい光線が衰弱した

神経の端々まで沁みわたって、最う社会もない

家庭もない――自分自身さえもなくなろうとする。


 けたたましい百舌鳥の声にふっと四方の平静が破れる。

うつくしい夢幻境が消えて、いかめしい現実境が来る

見ると、傍に老祖母がうとうとと睡っている。

青黒い顔色、白茶けた頭髪

窪んだ眼、少し開いた口、細堅い手足――

枯木のような骨を石塊のような肉で包んだ

古びた、自然の断片――

ああ、それは私を最も愛してくれる

そして私の最も愛する老祖母ではないか。


 老祖母の膝にもたれて

『白』と呼び慣れている純白な猫が睡っている。

よほどよく睡っていると見えて

手も足も投げ出して長くなれるだけ長くなっている。

かすかな鼾の声さえ聞える。


 その猫の尻尾に所謂『秋蠅』が一匹とまっている。

じっとして動かない。

翅の色も脚の色もどす黒く陰気くさい。

衰残の気色がありありと見える。


 秋の田園を背景として

蠅と猫と老祖母と

そして私とより成るこの活ける一幅の絵画。

進化論の最も適切なる、この一場の実物教授。

境遇と自覚。本能と苦痛。生存と滅亡。


 自覚は求めざるをえない賜である。

探さざるをえない至宝である。

同時に避くべからざる苦痛である。

       ○
 殊に私のような弱者に於て。         
新刊書を買うて帰るときの感じ、恋人の足音を聞きながら

その姿を待つときの感じ

新鮮な果実に鋭利なナイフをあてたときの感じ。……


 その日の新聞を開いたときの匂い

初めて見る若い女性に遇うたときの匂い

吸物碗の蓋をとったときの匂い

 

 埃及煙草の口を切ったときの匂い

親友から来た手紙の封を破ったときの匂い。……
穏かな興奮と軽い好奇心と浅い慾望と。……
       ○
俳壇の現状は薄明りである。

それが果して曙光であるか

或は夕暮であるかは未だ判明しない。

(「青年」明治四十四年十二月号)

(青空文庫作成ファイル)より

 

(続きます)

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今日も命を授けていただきありがとう (^-^)

二度とない人生

だから 今日が大事、今日が大切 

今日もいい日でありますように 【合掌】

 

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