九州の思い出 豊後國の西寒多神社と柞原八幡宮 | 安 明高 の 生 活

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【南無大師遍照金剛】 * 7

大分の豊後國には一宮が二つあります

 

始めに西寒多神社へ参拝するのですが

大分県も生まれて初めての土地なので

ナビの推奨コースに従って走行しますが

住宅地域の狭い道を案内され

挙句の果てに道路工事中故通行止めの看板が

ありゃあ~

ゴール地点はマークされていますので

広い道へ戻り 1km程北進し寒多川沿いにUターンして

境内手前の駐車場に到着です
 

神社名 ;豊後國 式内大 西寒多神社

所在地; 大分県大分市字寒田 1644

T E L ; 097-569-4182

 

創始は

応神天皇九年(西暦278年)4月武内宿禰公の 勅命を奉じて

西寒多山(現本宮山)上に宮殿を建立し

後に大友十代親世公が応永15年(西暦1408年)3月に

社殿を現在地に遷し今日に至ってます

 

尚延喜の制には式内大社に列し

豊後の国の一ノ宮として国司をはじめ

武将の大友能直公大友宗麟公の尊崇あつく

明治4年5月14日国幣中社に列格され

大分県内では宇佐神宮につぐ神社として

皇室、国家をはじめ国民の崇敬深く

現在神社本庁別表神社として尊崇をあつめています。

宝物として

宗麟公愛用の印章をはじめ大友能直、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康 

諸公の古文書を有しています

 

寒田川にかかる太鼓橋「万年橋」
西寒多-1

万年橋からの境内
西寒多-2
手水舎
西寒多-3
鳥居辺りからの境内
西寒多-5
拝殿
西寒多-6
神殿を臨む
西寒多-7
右からの拝殿
西寒多-8
神殿
西寒多-9

神庫(入母屋 校倉造り)
西寒多-10
大分の地名の元となった大分社と

菅原道真公の天神社
西寒多-11
能舞台 ?
西寒多-12
祈願受付所
西寒多-4

合祀社としては
御星社、保食社、龍王社、貴船社、歳神社、愛宕社、高尾社
金刀比羅社、天満社、竹内社、九一郎社、
厳島社などです

 

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大分県で

豊後國 二つ目の一宮を参拝します
 

神社名 ;豊後國 柞原八幡宮

所在地; 大分県大分市大字八幡上八幡 987

T E L ; 097-534-0065

 

境内案内図
柞原-5
南大門
柞原-1
神社札
柞原-2
こんな彫り物も
柞原-3
西門への参道
柞原-4

天長4年(827)延暦寺の僧金亀が創立し

国司の奏聞を経て官社に加えられました

宇佐神宮より勧請した古社で、国府所在地の八幡宮であります

豊後国の一の宮と称し

嘉応3年(1171)の古文書にて確認されました

しかし一の宮の地位については西寒多神社と近世まで論争があり

中世以降は源頼朝の禁制、範頼の奉幣等があり

大友氏ら歴代領主の崇敬篤く

豊後第一の社として上下の崇拝を受けたのです

 

社記によれば宇佐神宮同様33年ごとの造替の制があり

神宮寺は金亀の法脈を伝える金蔵院でありました

 

楼門
柞原-6
柞原-7
柞原-8
西門
柞原-9
東門
柞原-10

本殿境の塀と門
柞原-14
回廊
柞原-11
大友宗麟公が奉納した

開運大太鼓
柞原-13
拝殿・申殿・本殿
柞原-12
宝物殿
柞原-15

 

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今日も命を授けていただきありがとう (^-^)

二度とない人生

だから 今日が大事、今日が大切 

今日もいい日でありますように 【合掌】

 

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