江戸時代の57番札所 岩清水八幡宮(勝岡八幡) | 安 明高 の 生 活

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【南無大師遍照金剛】 * 7

江戸時代までの四国 57番札所は

石清水八幡宮(現在の石清水八幡神社)で

別当の栄福寺が納経を司っていたそうです

9620
 

神社名 ; 石清水八幡神社 

所在地; 愛媛県今治市玉川町八幡日坂乙29,30

 


 【主祭神】 品陀和気命・足仲彦命・息長帯比売命


石清水八幡神社は 

貞観元年(859)大和国・大安寺の行教上人が 

九州は大分の宇佐より八幡大神を奉じて

山城国の男山へ向かう途中 

暴風雨に遭って今治の沖を漂流したそうで


その時

望見した府頭山の山容が男山に似ていたことから
山頂に八幡宮を勧請し

河野躬深が片岡に勧請し、勝岡八幡と称したとされます


永福寺横の階段を登って行きます
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後に源頼義が現社地に遷し

山城国男山の岩清水八幡宮 を模して社殿を建立し

社号も石清水八幡宮に改称したとされます


『山頂にあった栄福寺の本尊は「阿弥陀如来」(八幡様の本地仏)…

そこで、(とりあえず…^^)この地に勧請し分社とした
京都への勧請は、改めて執り行った』(時ちゃんの談より)


と 云う事は

京都の岩清水八幡宮 より歴史が古いのでは・・・

と 思いました

 
鳥居があり
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参道には

「伊豫一社 五十七番 石清水八幡宮」という

社号標があることから

ここが伊豫国の

一国一社八幡宮(国府八幡宮)であったと思われます。


元は長福寺と称しましたが、

享保11年(1726)頃は乗泉寺と称するようになり

寛政4年(1792)に栄福寺と改称しました


石清水八幡神社の別当は栄福寺と浄寂寺の2ヶ寺でしたが

もっぱら栄福寺が納経を司ったようです



落葉がいっぱいの

うっそうとした竹林の参道を更に130段ほど登ると
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境内へ到着です

あれ タイヤの跡があるぞ・・・どうりで

参道が落葉でいっぱいの意味が判っよ


でも境内からは

今治市内と瀬戸内が望める素晴らしい眺望だよ
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手水舎
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境内
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阿形狛犬
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吽形狛犬
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拝殿
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拝殿内部
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本殿
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杵築神社
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御興倉庫
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社務所
615  

 

 *:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..


本腰


なにごとも

本腰にならねば

いい仕事はできない

新しい力も

生まれてはこない

本気

本腰

いい言葉だ

 


坂村真民
 


今日も命を授けていただきありがとう (^-^)

二度とない人生

だから 今日が大事、今日が大切 

明日もいい日でありますように 【合掌】

 

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