こんばんは、宇宙人です。

なんだかブツブツと途切れ途切れに記事をアップしたので、

戸隠神社の九頭龍社の龍神のお言葉を

一度、まとめようと思います。

長いので、そして再録なので、

すでに読んだ方はスルーしてください。

この記事の後に、今日の記事をアップしようと思っています。

(私が寝落ちしなければ……ですが……)

 

 

九頭龍社でしばらく神様とお話をしていたシャーマン、

 

シャーマン「ここ、五頭龍がおわします」

 

巫女「え?九頭龍さまなのに、5つなの?」

 

シャーマン「そうなんですよ。

なんで9ついないんだろう……

でも、球はあるんですよ。

ドラ◯ンボールみたいに。

五頭龍の周りに……」

 

ローマ法王「足りない分、4つ球があったりするの?」

 

シャーマン「うーん、はっきりと数はわからないです。

でも、3つ以上はある感じがします。

……まだ生まれてないのかなぁ……???」

 

神様がまだ生まれていないって、

なんだかすごいです。

これから生まれるってことは、

つまり戸隠神社のエネルギーは、

まだまだ進化、変化の途中ということが考えられるからです。

 

シャーマン「それで、

九頭龍社に、白い、白竜様がどーんとど真ん中におわします。

で、そのそばに、

2、2で、他の戸隠神社の色の龍がおわしますね。

ホントね、すっごくでかい龍がおわしますよ!

しかも、口を開けてる状態なんです。すごいですよ!」

 

シャーマンの説明をビジュアル化すると、

こんな感じらしいです。

 

雑なコラージュですみません。

わかりますかね?

九頭龍社の御社殿いっぱいに龍の頭があり、

ガーッと口を大きく開いているんだそうです。

 

宇宙人「口を開けてるってことは、

パクって食べられないんですか?」

 

シャーマン「そう、それ!

いつでも喰うぞってことです」

 

宇宙人「喰われることはいいことなんですか?」

 

シャーマン「ダメなの!

喰うか喰われるかっていう、

別にそういう勝負ではないんだけれど、

ここまできたら、

もう逃げるなっておっしゃってます」

 

ここまできたら、逃げるな。

ここはもう、空(そら・クウ)の世界。

”我”を持ち、使命を果たす世界である。

 

シャーマン「ただし、

使命――つまりお役目を果たすには、

”我”があってこそ、なんです」

 

お役目・使命を果たすとき、

”欲”が生まれてくると、

その”欲”のエネルギーの強さによって、

自滅する。

つまり、喰われる。

 

ここまで来たということ、

すなわち、

他の社を経て九頭龍社までやってきたということは、

この世界に生まれ直し(宝光社、火之御子社)、

自分を清め、内面を見つめ、

何をしたいか、どこに進むかを決めてきたということ(中社)。

 

それらのプロセスを経てここ(九頭龍社)までにたどり着いたということは、

神からの相当な力も得られる。

 

その代わり、

”欲”が生じれば、喰うぞ。

 

シャーマン「その危うさがあるんです、逆に。

”欲”が生じれば、自滅するってことです。

 

その危ういキワで踊れるか?!って、

龍神はおっしゃってます」

 

ローマ法王「えー、踊れるよねー」

 

シャーマン「でた、ローマ法王www」

 

宇宙人「さすが恐れ知らずwww」

 

巫女「かなわないよねwwww」

 

ローマ法王「ていうか、踊れることを選びたい」

 

シャーマン「常に際に立っているということと向き合って、

逃げないということが重要です」

 

決めて、ここまできたということは、

神がかっているということ。

 

神の力が加わって、だから来れている領域。

 

そしてその領域に達したならば、

もう逃げられない。

 

そのくらいの壮大な力が降りてくる代わりに、

”欲”に支配されると逆に喰われる。

 

だからこそ、常に向き合うことが重要。

 

シャーマン「で、我の先に……

自分がこうしたいっていう使命を、

”じゃあ、そうする!”って決めたとき、

そこは道無き道なんだ、と」

 

宇宙人「えー道、ないんですか」

 

シャーマン「うん、道はもうないんだって。

今までというか、これまでは、

道っていうか、ルート、道のりがあるんだけど、

使命をやると決めた先は、

完全なる空の世界。上の世界なんですよ」

 

それから先は、

ただ無の世界が広がっている。

 

シャーマン「でもね、完全なる自由の世界なの!

なんでもできる!限界がないの!」

 

道無き道に一歩を踏み出す。

道があったところから、

道がないところに一歩踏み出す。

 

それが、

小河から大河への世界になるってことなんです。

そういうことなんですよ!」

 

やたら納得顔なシャーマンですが、

 

ん?

小河?

大河?

いきなり飛んだよね???

 

と、私たち三人は顔を見合わせます。

 

シャーマン「あれ?わかりますか?」

 

宇宙人「わかりません!」

 

ローマ法王「わかりません!」

 

巫女の長「うーん、大事なところだからもうちょっと説明して?」

 

シャーマン、ええ!?と若干ショックっぽいです。

が、続けてくれました。

 

シャーマン「だからですねー、

自分の与えられている道っていうか、

自分が”こうしたい”と思って歩んできた道っていうのから、

”使命”というものなってくると、

もう自分の意志とか思考とかが及ばないってことなんです」

 

自分という枠、我という枠はあるのだけれど、

そこから先は、

枠の中を空っぽにして受け取る。

そういう世界。

 

宇宙人「じゃあ、掴みに行くということでも、

来るものをキャッチするということでもない?」

 

シャーマン「そう。

ただ、”ある!”って世界なんですよ」

 

巫女「なるほど。

”それをやる”とか、

”何をどうしたい、どうする”とかじゃないってことね?」

 

シャーマン「そうです。

イコール、我であるってことなんですけど……」

 

巫女「ただ自分自身であればいい。

何者にもなる必要はない」

 

シャーマン「そう!

何ものにもなる必要はないんだれども、

それがイコール、お役目であるってことなんですよ」

 

宇宙人「うーん、つまり、本当の自分を生きるってことが、

すなわちお役目につながるってことですか?」

 

シャーマン「そう。

本当の自分を生きるっていうことは、

イコール、空(クウ)の世界なんですよ。

枠はあるけれども、欲がないっていうか」

 

ローマ法王「空になれば、

いっぱいなんでも入ってくるっていうことでしょう?」

 

シャーマン「そう。勝手に入ってくる!」

 

巫女「そのままでいることが大切なのね」

 

シャーマン「そうです。

でも今まで清まったり、決めたりしないと、

ここまで来れない。

だけどここまできたら、

あとは、ただ”我である”という世界です」

 

ただ”我である”……

わかったようなわからないような……

 

宇宙人「じゃあじゃあ、

私は使命を果たすぞー!って意気込むことでもないってことですか?」

 

私は使命を果たすぞー!と思うということは、

純粋に”何ものでもない自分”という存在からは離れているわけです……よね?

だって、”何かしらの使命を果たすべき自分”という、

純粋な”自分”とは別の”私”が

自分の中で出来上がっていることになるわけですから……

 

シャーマン「うーん、使命を果たすぞー!って意気込みではなくて、

”もう決めてきたであろう”って、龍神はおっしゃってる。

決めたのだから、逃げない。

決めたら、あとは何もないということなんですよ。

ただ”我”という存在であるっていうことです。

”何をする”とか、”こういう使命を果たす”っていう

行為じゃないんです」

 

宇宙人「うーん……」

 

いまいち腑に落ちません。

 

ローマ法王「なるほどねー」

 

どうやらローマ法王は合点がいったようです。

 

ローマ法王「この中で宇宙人が一番わかりやすい例だから、

宇宙人に例えて説明すると、

書く!って決めたら、

どんどん書く依頼もくるし、

それをただ書けばいいってことでしょう?」

 

このブログの初めの頃、

ほんの少し書いた気がしますが、

シャーマン曰く、

私の使命は「書く」ことなんだそうです。

 

宇宙人「ただ書くって、

選り好みせずに、無心で書くってことですか?」

 

シャーマン「そう!」

 

宇宙人「お金儲けとか考えずに?」

 

シャーマン「お金儲けもついてくるんですよ!

 

”これが私である”っていうことが決まっている状態で書く

 

ってことなんですよ!

 

”書くこと=我である”

 

それが世のためっていうか、

神の仕業ってことなんですよ。

 

でも、

それは、”我”っていう枠がないとできないことなんです。

わかりますかね?」

 

宇宙人「うーん、”私”というフィルターを通して、

何かしらを発信する、書くってことですか?」

 

シャーマン「そういうことです!

でもそれでも、

”我”がないと、神が宿らないんです」

 

宇宙人「その”我”っていうのは、

私はこういう人間である!とか、

有名になりたい!認められたい!

お金持ちになりたい!彼に愛してもらいたい!

なんでもいいんですけど、

そういう”自我”というか、”エゴ”とは違うんですよね?」

 

シャーマン「そういう”エゴ”があってもいいんです。

でも、清めて決めて来るという間に、

そういう思いが”空”(クウ)になっていくんです」

 

ローマ法王「そうだよね。だってさ、

”自我があるな”って思う自分は、

”真実の自分”のところだもんね。

だって、自我に気がついている”私”がいるわけだから。

本当の自分が気がつければいいんだよね」

 

巫女「その”自我”とか”エゴ”に気づくことが、

小河から大河になるってことなのよね?」

 

シャーマン「そう!

”自我”に気づくのが、龍なんですよ!

だからいつも、龍神はその際にいるってことなんです」

 

”自我”とか”エゴ”とか”真実の自分”とか、

サラーっと書いてしまいましたが、

わかる方、素晴らしいです!

わからない方、私もよくわかっていませんので、

すいません、こんな感じになりました。

 

また改めて、

エゴって何?私って誰?的な記事を書きたいと思います。

(そのあたりのことはローマ法王と巫女の長が大得意なので、

そのことを書いてもらおうかな……)

 

とりあえずここのことがよくわからない方は、

ふーん、と流しておいてください。

 

シャーマン「そこの際が、九頭龍社なんですよ。

でも!

 

”この際から飛べ”って、おっしゃってます。

 

もう飛べるってことなんです。

それが、

 

道のない道を進むことだ

 

と。

 

この先は地上ではないというか、

そこから先は飛ぶ世界。飛べる世界。

 

道がない、

つまり、

 

次元を超えた世界ということなんです!」

 

シャーマン、ドヤ顔で言い切りました。

 

宇宙人「……」

 

次元を超えて飛ぶって、

つまりどういうこと????

 

ローマ法王「たとえば、宇宙人でいうと、

”時間が足りない!”とかがなくなるってことだよね?」

 

シャーマン「そうです!」

 

ローマ法王の説明を合わせて私なりの解釈すると、

次元を超えるということは、

今、私たちが認識している”枠組み”の外の世界ということなんだと思います。

 

今、私たちが(私たちの多くが)認識できる世界は、

”3次元”と言われている世界です。

 

縦、横、高さの、空間を認識できている状態です。

 

そして次元を超えるというのは、

縦、横、高さだけで測れる世界を超えるということです。

 

3次元において言うと、

”時間”って、どいしようもなくままならない、

どうにも操作できないものですよね?

 

でも。

たとえば、ドラ◯もんの4次元ポケット。

3次元ではなく、4次元です。

時間と空間を超えて、

道具を保存したり、取り出したりしてますよね?

 

次元を超えるっていうのは、

今、私が認識している枠組み、

今、あなたが認識している枠組みを超えた世界。

そういうことなんじゃないかと。 

 

それこそ、

”道”とか、

足を着地させられて、別の足でキックすることもできてっていう、

物理的な、というか、

物質的な”道”すら存在しない、

時間というも存在しない、

 

何もない世界。

空(くう)の世界。

 

宇宙人「だから、

道がないと進めないっていう考え方すらないってことなんですかね?

つまり、

本当の本当に、物理的なものが何もないっていう世界だから、

”歩く”とか”進む”とかできないわけなんで、

飛ぶしかない、そういうことですか?」

 

シャーマン「そう!

それくらい、真っ白な……なんていうか、

超完全な自由な状態をもう作れる。

そこまで行けるってことを、

龍神はおっしゃってます。

 

でもそこには神が関係しているってこと。

神の力が加わっているってことなんです。

 

ていうことは、

実は天河神社で言われたことと同じですね」

 

宇宙人「え、そうでしたっけ?」

 

シャーマン「天河の神様は、

このことを、ものすごく直球でおっしゃっられたんですよ。

ド直球で、凝縮して、ガンッて厳しくおっしゃられたんだけど」

 

ええ、厳しすぎる雰囲気バシバシなのと、

さらに厳しいお言葉に、私は縮みあがりましたよ……。

 

シャーマン「そういう意味では、

戸隠神社は穏やかですね。

 すごく許されきています。

 

なぜなら、

天河神社とは違って、

戸隠神社は、すごく際なんです。

地球と繋がっているところ」

 

宇宙人「人間にすごく近いところってことですか?」

 

シャーマン「そう。

……でも、ていうことは、

龍神って、神々の次元と人間の次元を繋ぐっていうか、

そこを見極めるお役目の神様なのかもしれないです……」

 

宇宙人「門番みたいな?」

 

シャーマン「あ、そうだ!

神様がおっしゃってました」

 

飛べば龍。

 

落ちれば蛇(ジャ)。

蛇(ジャ)の道である。

 

蛇の道は苦難の道。

 

シャーマン「蛇の道……なんかこう、ごちゃってる感じ……」

 

宇宙人「えー!

じゃあ、飛ぶにはどうしたらいいんですか?」

 

飛ぶのにも……というか、

飛ぶからこそ勇気がいるわけです。

しかも、落ちれば苦難の道、なんて言われたら、

落ちたくないですねぇ……

 

ローマ法王「”やる!”って決めればいいんでしょ?」

 

ローマ法王がドヤ顔で言い切りました。

 

シャーマン「そうです!」

 

と、簡単に言われても……

 

ローマ法王「それがいわゆる”サレンダー”ってことだよね。

降参する、ゆだねるってこと。

落ちるか落ちないかの際だろうと、

龍が大口開けてようと、

もうどうしようもないから降参して踊ります!ってことでしょ?」

 

宇宙人「うーん……それで飛ぶことになるんですか?」

 

シャーマン「飛ぶことになるんです」

 

宇宙人「じゃあ、蛇の道に落ちるっていうのは???

”私、お金もらえないと踊れません”って感じですか?」

 

ローマ法王「ていうより、

際で踊れるか?って言われて、

”怖いんで私は踊りません!”って拒否するってことだよね?」

 

シャーマン「そうそう!

それは、極まっていくということらしいです。

つまり、

人間でありながら神の領域に入るということだと」

 

ローマ法王「頑張らなくても、

もうパワーがガーッて自然に与えられてて、

そのパワーを使うか、使わないかっていうことなんでしょ?」

 

シャーマン「そういうことなんですよ!

使うかどうか。

そして、

その大きなパワーは、

良い方にも悪い方にも使えるってことです」

 

宇宙人「と、いうことは、

飛ぶことと、欲があるってことは、

また別ってことですよね?

欲目を出したら落ちるぞ〜

蛇の道が待ってるぞ〜っていう意味ではなく」

 

シャーマン「欲があってもいいんですよ。

その大きなパワーを欲の方にも使っても

うまくいくかもしれない」

 

なんと。

 

シャーマン「ただ自分であればいいんです」

 

けれど欲が自分の軸になると、

欲そのものが自分になってしまうと、

龍に喰われる。自滅する。

 

シャーマン「だけど、欲はあってはいけないってことじゃないんですよ。

あっていいんです」

 

欲があっていい……

そういえば、

東京大神宮でも同じお言葉がありましたね。

ちょっと意味は違いますが。

欲があっていい。愚かであれ〜東京大神宮の神様のお言葉

 

シャーマン「飛ぶっていうのは、

道を切り開いたり、

まだ誰もやっていないことをやるっていうことです」

 

宇宙人「それ、預言カフェで言われましたねぇ、私。

あなた自身が道を作るのです、って」

宇宙人へのメッセージ〜預言CAFEに行ってきました Part 3

 

シャーマン「つまりそういうことですよ!

道のない道をいく、

そうすると、神が降りてくるんです。

だから、決めなさい。

飛びなさいっておっしゃってますよ。

その領域にいるんです。

……伝わりました?」

 

ローマ法王「超伝わった!合点がいった!」

 

シャーマン「大丈夫?」

 

巫女の長「うん。わかったよ。

みんなそれぞれの解釈の仕方があると思うんだけどね」

 

宇宙人「質問です。

戸隠神社、特に奥社や九頭龍社にきても、

パワーをもらえる人と、もらえない人って

分かれるんですか?」

 

シャーマン「わかれますね」

 

特に何も決めず、何も考えずに来た人にとっては、

あまりご利益はないとのことです。

 

といって、何も決めていないことを

神様は怒ったりはしないそうです。

 

でも何事かを決意して辿り着いた人は、

神がかったパワーを得られるとのことでした。

 

シンプルに言ってしまえば、

戸隠神社の九頭龍社は有と無との境界。

 

シャーマン「陰と陽の境目でもあるんですよ」

 

宇宙人「戸隠って”戸”がついてますけど、

その際(キワ)とか、境目っていうのと何か関係あるんですか?」

 

シャーマン「本当の戸っていうことです。

境目、キワにある扉ってことです。ここは。

で、その扉は、

自分が見つけるってことです」

 

清め、決意したならば、

次元のない世界、神の領域へと続く

境目にある扉を自分で見つけること。

 

ここまでたどり着けたということは、

キワにある扉も自分で見つけられるということ。

 

そして扉を見つけたなら、

扉を開けてそこから飛べ!

 

シャーマン「だから隠されてるんだと思います。

”戸隠”って、戸が隠されてるって書くでしょう」

 

巫女「天の岩戸開きで飛ばされてきた戸を、

ここに隠したのよね?」

 

ローマ法王「アマテラスオオミカミがもう隠れちゃわないようにね」

 

シャーマン「おそらく、

自分の中に隠されている天の岩戸を塞いでいる戸を探し出すってことなんですよ。

自分が自分の中に見つけていくもののようです」

 

ドンッと太鼓が大きく鳴りました。

どうやら、そういうことらしいです。

 

シャーマン「戸は、自分の作り出すブロックなんです。

だから、自分の中に、戸があるわけなんです。

 

戸=ブロックで、

魂を隠しちゃってるっていうことなんです。

 

その戸、つまりブロックを探し出して開けるのが、

道であり、人生であるんだけれども、

それがなくなったときに、

天照大神、すなわち自分の魂が出てきます。

そして、自分で在る状態になれるっていうことです」

 

戸隠神社に参拝することで、

戸隠神社の神々と、

戸隠の自然、そして龍神のエネルギーを借りて、

自分の嫌な感情……不安や心配、

そういう嫌な部分を清めてもらい、

自分の中に戸を見つけ、

そして最後に飛ぶと決めると、

戸を開けることができる。

 

そうすると、

もう戸はない世界が広がっている。

 

シャーマン「自分の中にある、

隠れている戸を見つけるとここで決めたら、

戸が開くということです!」

 

ローマ法王「じゃあ、もう一回、

それも含めてお参りしましょうか」

 

巫女「自分の扉を開くってね」

 

宇宙人「宣言すればいいんですかね?

自分の中に扉見つけましたー!

見つけてないけどって思ってても?」

 

ドンッと太鼓が再び鳴りました。

……が。

 

宇宙人「あれ、”見つけてない”に正解ドンッ?」

 

シャーマン「見つけた方だってwww

"逆逆逆逆”っておっしゃってるからwwww

 

宇宙人、ビビらなくても大丈夫ですwww

もうキワまで来たんだから、

飛べるよって、

優しくっていうか、

軽い感じで”飛べるか?”って聞かれてるだけだから」

 

ということで、

戸隠神社の九頭龍社におわす龍神様は、

本当にスケールの大きい、

それでいて、人間の領域まで降りてきてくださる、

とてもお優しい、厳しくない神様だそうです。

 

戸隠神社編、もう少し続きます。

 

 

 

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