2010年9月1日 東京都慰霊堂(震災慰霊堂) 秋季慰霊大法要 | C.I.L.

2010年9月1日 東京都慰霊堂(震災慰霊堂) 秋季慰霊大法要

9月1日といえば、相変わらず末期症状レベルのオツムの弱さを誇る新風一味が東村山駅前でグダグダ街宣をやっていたそうなんだが、オレはそんなこと割とどうでもよく、彼女様 と2人でお相撲さんの街を訪れた。


C.I.L(Charismatic Itabashi Lover)
お相撲さんの街らしくライオン堂。知る人ぞ知るお相撲さんサイズの洋服を取り揃えているお店であり、板橋区にもメタボ用にBIGサイズの洋服屋があってもいいんじゃないかと思う今日この頃。

メタボ人間を多く擁する板橋区だけに、23区対抗相撲大会でも開かれたら意外と強いんじゃないかと。(墨田区はコミッショナーで)


C.I.L(Charismatic Itabashi Lover)
今日はそんなライオン堂さんのある交差点から清澄通り沿いを歩くのだが、毎年9月1日はこの通りがちょっと大変な事になる。

確か何年か前にも記事にした と思うけど、数百mに渡って細い歩道に延々と屋台が立ち並ぶのだ。


C.I.L(Charismatic Itabashi Lover)
C.I.L(Charismatic Itabashi Lover)
前回訪れたときは夜遅いピーク時だったので、ロクに身動きが取れない酷い状況だったんだが、今回は早めの時間に行ったので混雑もなくスイスイ。


C.I.L(Charismatic Itabashi Lover)
C.I.L(Charismatic Itabashi Lover)
ちなみに日が暮れる頃になるとこのような有り様に。


C.I.L(Charismatic Itabashi Lover)
で、この日の目的は屋台巡りではなく、横網公園の敷地内にある東京都慰霊堂の秋期慰霊大法要である。そういえばこの公園は両国だから "横綱" 公園だと思ってる人が多いらしいが、正しくは "横網" 公園なのでお間違いなきよう。

かく言うオレも彼女様に罵倒されるまで横綱公園だと思ってたんだけどね!敷地内に歴代の横綱の像とか肖像画が飾られてるんだと勝手に思い込んでた!

それはともかく、今回は早い時間に行ったので慰霊堂の中に入る事ができ、展示されている震災時の様子を描いた地獄絵図の数々を見る事ができた。

なんでもここはそもそも大規模な軍の被服工場(被服廠) があった場所で、それが移転してから長いこと空き地になっていたらしい。そこに震災発生時に周辺の住民がわんさか避難してきて、彼らの荷物(家財道具含む) に火の粉がかかり、あっという間に避難所全体が炎に包まれ、運の悪い事に火災旋風まで巻き起こってしまい、この周辺だけで4万人近い方が亡くなられたそうな。

しかも当時の両国は衣類を扱う仕事をしている人が多かったため、それはそれは景気よく街全体がボウボウ燃え、逃げる間がなかったらしい。(不謹慎で申し訳ない)

そしてその後この辺りの身元の確かめようもないような遺体を埋葬し、同じ悲劇を二度と繰り返さぬようにと、この慰霊堂が建てられた。また近くにある記念館の中には、関東大震災時に海外から送られた救援物資や、「日本を助けよう!」 という内容の義援金を募るポスターなんかも展示されている。

またこの施設は元々は 「震災慰霊堂」 という名称だったのだが、時代が戦後になると、東京大空襲の被害者もここに祀られるようになり、今の 「東京都慰霊堂」 という名称に変更された。言ってみれば東京という土地の不幸な歴史が凝縮されているかのような場所なのである。


C.I.L(Charismatic Itabashi Lover)
この日は横網公園の敷地内に様々なテントが出されており、平和を願うコンサート的な催しも開かれていたのだが、最も面積を取っていたのが 「囲碁大会」 だったのはきっと気のせい。きっと何かの見間違い。


C.I.L(Charismatic Itabashi Lover)
で、横網公園内にはこのようなオブジェが置かれている。


C.I.L(Charismatic Itabashi Lover)
これらが何かというと、一口で言えば震災時に発生した火災で溶けた鉄である。上の写真は元々は釘だったそうだ。それが熱で溶けて1つの鉄の塊になったと。


C.I.L(Charismatic Itabashi Lover)
これなんか元の形が残っている分、溶けて崩れた部分に怖さを感じる。


C.I.L(Charismatic Itabashi Lover)
中には自動車の残骸なんて物もあり……


C.I.L(Charismatic Itabashi Lover)
こええ……。爆弾が落ちてこうなったとかじゃなくて、火災の被害でコレだもんなあ。(いくら大正時代の自動車とはいえ)


こうした展示物の他にも色々と慰霊碑があり、中には震災時の 「在日朝鮮人が暴動を起こす!」 というデマに乗せられた日本人達によって虐殺された、在日朝鮮人被害者を弔うものもあった。

バカなネトウヨ連中が何を言うか知らんが、オレはここでは素直に手を合わせる。


東京に生まれ育った日本人にとって、9月1日は "こういう日" である。





■蛇足
そういや靖国には掃いて捨てるほど右翼が集まるのに、東京都慰霊堂には全然それらしい連中がいないのね。そりゃバカ揃いの右翼は一大イベントと化してて目立てて何かやった気になれる靖国だけを重視しますよねー。

まあこんな場所に特攻服着たキチガイに集まられても困るから来てもらわなくて結構なんだけどさ。

ここだけじゃなくて、日本各地に同じような場所があるはずなんだけどね。日本人が日本について、歴史について、未来について深く考えなきゃいけない場所ってのが。

なんで靖国だけなんだろうなあと。