板橋区はピンクローターである。(え? | C.I.L.

板橋区はピンクローターである。(え?

タイトルを不穏に思ったヤツは頑張って最後まで読め。

ただし酷く長いぞ。



さてさて、なぜか今になって2008年に書いた記事がはてなアンテナに拾われている

記事の内容は今は亡き (というか近所に移転した) バングラ料理屋のルチで、ロザリーや店員と取材と称して酒を呑みながらダベった内容を起こしただけなのだが、ヤッツケ記事の割に意外とみんな面白がってくれたようだ。

オレとしては板橋区ではよくある光景なので、ここまで笑ってもらえるとは思っていなかったのだが、その "板橋でよくある光景" というのが、他の地域の人間にとっては "何かがおかしい" のだろう。

では、板橋区の何がおかしいのか?

そんな導入から、"板橋区専門家" という胡散臭さ満点な謎の肩書きを持つオレ様は、あれこれと板橋区の特異性について考えてみた。


はい、一旦CM入ります。


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【日本の特別地域3 板橋区】マイクロマガジンより発売中!!

今回の記事は板橋本と併せてお読みになるとより楽しめます。

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オレは生まれも育ちも板橋区である。

正確に言うと、板橋区仲宿の商店街で長年商売をやってた家に生まれ、一人暮らしを始めてからは大山や区役所周辺に住み続けており、自慢じゃないが板橋以外の土地に住んだことがない。(若かりし頃に家出して知人の家に転がり込んでたとかは省く)

そんなオレは長いこと 『板橋の常識』 を 『=世間の常識』 だと思い込んでいたのだが、30才を過ぎた辺りから段々と 「板橋って特殊じゃね?」 と思うようになってきた。(例えば商店街といえば直線で数百m以上あるのが当たり前とか)

世間一般のイメージだと、恐らく板橋区は 「東京23区の中で足立区と並んでガラが悪い」 とか、「外国人ばっかり」 とか、「DQNの巣窟っぽい」 と思われているだろう。

もしくは 「とにかく地味」 だとか、「貧乏くさい」 だとか、「無名すぎて場所すらわからん」 といった、板橋区が背負っている最大の弱点に着目する人も多かろう。

オレはその辺のマイナスイメージを変えたくて、上で宣伝した板橋本を書いたのである。

しかし 「そんな板橋区でしか売ってねえ本なんか読んでねえよwww」 という人も大勢いるだろうから、今回は板橋区の特異性と素晴らしさについてレクチャーして差し上げよう。

これを読めばキミも板橋通だ!(どこで役立つかは知らん)



・貧乏人が多い
・ガラが悪い、チンピラやDQNが多い
・無名(マイナー)

とりあえず、板橋区に対する3大イメージはこれだと思う。

この3つに関しては、いくら板橋愛に溢れたこのオレ様でも、素直に 「その通りでございます」 と認めるしかない。

確かに板橋区は貧乏人ばっかりで、チンピラやDQNが異常に多いためガラが悪く、23区の中でも特に無名である。


しかし!


だがしかし!


この欠陥とも思える板橋のマイナス面は、板橋がもつ魅力的な面と掛け合わされて、見事に "プラマイゼロ" になっているのだ!


例えば……


・貧乏人が多い
→だからこそ物価が安く、異常なまでに不況に強い

・ガラが悪い
→貧乏人対応の街なので、ガラが悪かろうが外国人だろうが極端に生活に困っているわけではなく、結果として凶悪犯罪は殆ど起こらない

・無名
→だからこそ大資本や公的資金による大規模な開発などが滅多にされず、土地価格や物価の高騰が起こらない


どうこの市民の生活と治安を維持する "板橋システム" の完璧さ。

鉄道文化に乗り遅れたため宿場町として廃れ尽くし、世間に忘れ去られた明治時代。そこに端を発し、大正~昭和~そして第二次大戦を挟んでも順調に忘れられたままで全く注目される事がなく、その結果いまに至るまで何も変わらなかった板橋区だけのゆるゆるオリジナリティ。

それが

板橋流 貧乏は正義システム!



さらに言うと 「外国人だらけ」 という点においても、板橋区は民間レベルの謎のゆるさで見事にグローバル社会を実現してみせている。

例えば板橋区には日本に不慣れな外国人をサポートする団体があるのだが、その団体目当てに引っ越してくる外国人が非常に多い。(しかも貧乏な国から来る人ばかり)

そうした外国人に対して、板橋に長くいる同郷の先輩外国人が、「板橋区で生きて行くには~」 と生活に必要な知識やマナーなどを教えてあげるらしい。

すると外国人であっても短期間で日本での (というか板橋での) 常識が身に付くから、地域から浮いてしまって犯罪に走ったりするケースが極端に少なくなる。

そうなると外国人であっても単に "貧乏仲間が増えただけ" でしかないのだから、周囲の板橋区民は 「貧乏人同士で喧嘩しても意味ねえよ」 と素直に外国人を受け入れてしまう。

またそうした外国人の中には、普通に就職するのではなく、飲食店を経営するケースが目立つ。(バングラ人ならカレー屋みたいな)

しかもそういう人たちは貧乏な母国での感覚を引き摺っているためか、"採算" とか "利幅" といった概念、いわゆる貨幣価値がどこかおかしい。したがって妙に安い価格設定をしてしまい、儲けが少ない分は昼から明け方まで働いてカバーするという力技で生活してのける。

加えて言うならば、元の土地代が安いため、家賃も都心に比べたらベラボーに低く、商品に乗っける金額が低く抑えられるという秘密もある。(=板橋価格の成立)

そして値段が安い飲食店となれば、貧乏なクセに飲み歩きが大好きな板橋区民は放っておかない。我々飲兵衛板橋区民は、差別感情より先に 「おいちいカレーがたべたい」 といった妙に具体的な欲望を優先し、外国人を地域コミュニティーの中に無理矢理引きずり込もうとするのだ。(安く美味い物が食べられる店が減ったら自分が困るから)

また板橋には今じゃ落語の中にしか残ってないような "長屋文化" 的な感覚が未だに生き続けており、こうした外国人経営の飲食店に 「困った事があったら何でも言ってきな!」 という酔っ払いオヤジが大量発生する傾向がある。(時としてそれが区役所・警察・消防勤めの公務員だったり……)

これも別に同情だけで言っているわけではなく、「小銭みたいな金額で美味しい料理を食べさせてくれる大事な仲間なんだから、困っていたら助けるのが当たり前だ」 という考え方なのだ。

言ってみれば、板橋区民の心の中には日本人特有の八百万の神に対する信仰がモロに生き続けているのか、外来の物だろうと人だろうと何でもかんでもメリットを見つけてゆる~く適当ぉ~に受け入れてしまい、それで自分の生活を豊かにしようと考えるのだろう。

だからこそ板橋では外国人よりも、むしろヒステリックで排他的な日本人の方が "地域の平和を乱す悪" と看做される。

だって他人と争ったって右も左も貧乏人だらけだから得る物がないし、そもそも貧乏でも楽に生活できるのだから他人を蹴落とす必要がないし、自尊心を満たしたってお腹が膨れるわけじゃないし、今の会社かなりレベル高い方だし、親父がらみのコネもあるからやめるわきゃないし。(by働く男)

そんな無駄な争いをするくらいなら、バングラ人だろうとイラン人だろうとモンゴル人だろうと仲良くして、彼らのお店に行って美味しい料理を食べる方がよっぽどメリットがある。

これが板橋的な思考であり、日本でも有数のグローバル社会を実現してみせた秘訣なのだ。


<ちょっといいこと言いますよ>


格差問題というのは、貧乏人と金持ちがいるから生じるのではない。

なに不自由なく暮らす富裕層と、生活苦にさいなまれた貧乏人が一箇所に集まるから、軋轢・妬み・ひがみといった負の感情が爆発するのだ。

という事は、貧乏人でも特に不満を感じず暮らせるのであれば、格差自体があっても格差問題は起こらないのである。


そう!

貧乏人が横並びで、そうした貧乏人相手のビジネススタイルが確立されている板橋区において、所得の差なんて "足が早い、目がいい、声が大きい……" といった個人差と同列の話なのだ。

自称グルメライターを名乗る者として、どうしても飲食を例に出してしまうのだが、よく 「六本木(or赤坂or麻布or青山or銀座……) に行かないと美味い物が食えない!」 なんて事を言うアホがいるだろう?

しかしそんな土地で大枚はたいて飯を食ったところで、別に料理自体に金を払ってるわけじゃない。単に家賃・土地代や、グルメ雑誌の掲載料を、料理の代金に乗っけられているだけである。

それを 「高い金を出しているから凄い物を食ってる!」 と勘違いしたバカどもが有り難がり、味もわからんのに 「素晴らしい!ブラボー!」 と喧伝して回る。

そしてマスゴミにしても金回りのいい店の方が気前よく広告料を払ってくれるから、グルメ雑誌やTVなどに都心の店ばかりが次々と取り上げられる。

それを見た情報弱者の田舎者が、広告料をいくら払ったかで掲載スペースが全て決まるような雑誌を鵜呑みにし、「これでボクも都会っ子の仲間入り!」 とばかりに押し寄せる。

これがいわゆるグルメビジネス(笑) の正体だ。

しかし東京23区内で群を抜いて土地代が安い板橋区では、同じ素材を使った料理でも "乗っけられる金額" が圧倒的に低くなるため、田舎者(おのぼりさん) 御用達の店と比較にならないほど安い金額で、同じくらい美味い物が食べられる。

ようは土地がどこかなんか関係なしに、結局は腕のいい職人がいるかいないかの話でしかなく、足と耳を使えばどこの土地でも優れた職人を見つけられて当たり前なのだ。

東京にいて 「都心にしか物や人がない」 と主張するヤツは、自分が情報弱者の田舎者だと宣伝して回っているようなものなのである!

そんな輩は自分の稚拙な感性や、味覚や、経験や、コミュニケーション能力の欠如からくる情報力の無さを、オサレな土地だの一等地だのという全く別問題の価値観を引っ張り出して来て誤魔化した気になっているだけなのだ!

そしてそんな空虚な都心信仰を 「無い物は無い」 と切り捨てている我らが板橋区は、忘れられた土地だけにわけのわからん邪魔が入る事なく、他の土地の人間が気付かぬ間に "貧乏人が金持ちと同じ物を口に出来る隠れたグルメ都市" と化していたのである!(ウソだと思うならオレの渾身の板橋グルメマップを見て適当な☆の多い店に行ってみやがれ)

板橋区には昔ながらの直線?kmなんていう冗談みたいな商店街が何箇所も生き残っている事もあって、とにかく店の数が多い。飲食店に限っても、ちょっとした路地裏まで入れたらいったい何軒あるのか見当も付かず、それだけ絶対数が多ければ、アチコチにとんでもない当たりが隠れていたってなんら不思議ではない。

その中でもモツ焼きなどに代表される大衆酒場料理に関しては、板橋・北・荒川・足立・葛飾といった "ちょっとアレな土地" の方が、ノウハウの蓄積や付き合いの長い仕入れルートがある分クオリティが高くて当たり前だ。

今になって 「不況だから大衆酒場がブーム!」 などと言いながら千ベロ(※) 特集を組む連中が多いけれども、そんなもん "ちょっとアレな土地" からしてみたら何十年も前から主食である。(※千ベロ=千円でベロベロになれる店)


板橋なら昔から寿司を摘まんで酒を飲んで1,000円程度で済むんじゃボケ!


てめえら今まで板橋を 「地味だ」 「貧乏臭い」 「マイナーすぎw」 だのなんだの散々バカにしてたクセに、今さらなにぬかしてんだボケナス!

ちょっと不況になって財布事情が悪くなったからって "こっちの世界" に擦り寄って来んじゃねえ!

まずは今まで散々コケにされ続けた板橋や足立や葛飾に土下座しろボケ!

話はそれからだ!

あれだけ皆さん褒めちぎっていらっしゃったんですから、詐欺でも泥棒でもして有り難いお六本木のお高級おレストランでお食事し続ければよろしいんじゃございませんこと?オホホホホホ。



と、日頃板橋区が受けている迫害を思い出して平常心を失ってしまったわけだが、板橋区では貧乏人は貧乏人なりに満たされているため、所得格差が理由で起こる事件の類が不思議なほど少ない。

ついでに言えば、外国人は多いが外国人による犯罪が多いわけじゃない。

少々ガラが悪いのは問題だが、それにしたってガラの悪い連中の集まる場所に行かなければ回避できるレベルの話である。

難点としては、板橋区には都心にあるようなオサレ系のお店が少なく、田舎者が 「オラもいつかは板橋へ!」 と憧れるような要素が全くない。

なんと言うか、あらゆる物が人々の生活に密着しており、生活に不必要な要素は自然と排除されているようにすら思える。

言ってみれば、板橋は徹底的なまでにリアリストのための街なのだ。

再び飲食店を例えに出してみると、板橋では世の中が不況になる以前から、雰囲気のいいコジャレた店より、小汚くても安くて美味くて盛りのいい店の方が遥かに人気があった。むしろコジャレた雰囲気重視の店なんかあっという間に潰れて忘れ去られるのが当たり前だったのだ。(ただし雰囲気が良くて安くて美味いなら大人気!)

今も昔も 「同じ物をより安く食べられるなら内装や皿なんか何でもいい」 = 「浮ついた要素はいらないからその分も実益をよこせ」 と考えるのが、ごく平均的な板橋区民なのである。

合言葉は 「皿を見たって腹は膨れねえだろ?」 だ。

こうした "ごく平均的な板橋区民" が飲食店に求める要素は

安い >> 盛りがいい >> 美味い >>>>>(越えられない壁) >>>>> 雰囲気がいい >> オーガニックだなんだ

といった順列になるだろう。

ここで注意したいのが、安いだけではダメだという点である。安い上に盛りがよく、さらにちゃんと美味しくなければ板橋区民は納得しない。あえて順列を付けるなら上の通りになるのだが、(越えられない壁) よりも左側の要素が全て入っていないと繁盛店にはならないのである。

ちなみに 「接客が良い」 とか 「店の主人が気さく」 といった項目は考慮に入れない。

なぜなら 「ヘンクツな店主が相手でもしっかりコミュニケーションが図れる」 とか、「新しい店でも10年前から通っているかのように馴染む」 といったスキルは、板橋区民ならば持っていて当然であり、店も客もお互いに気を利かせて "ゆるゆる板橋ワールド" を構築するのが当たり前だからだ。

店のオヤジが客と一緒に痛飲して出来上がってしまったら、辛うじて正気を保っている客が新しく入って来た客を席に案内してお茶とおしぼりを出す。それが板橋の飲食店の由緒正しいスタイルだ。

それに対して 「こっちは客なんだぞ!」 なんて無粋な事を言ってはならない。

それが嫌なら二度と来るな。


それが板橋だ。


THE板橋ルールだ!


異論は認めない。

他人と上手にコミュニケーション出来ないというのは、貧乏人同士肩を寄せ合って生き抜かねばならない板橋において死に直結するから注意が必要である。

「困った時はお互い様」 というが、板橋では初手からお互い様 なのだ。

常時お互い様!

フルタイムお互い様!

年中無休でお互い様!

「歳末助け合い運動」 なんて冗談じゃない!


板橋は365日絶賛助け合い運動中である!



そういえば他の土地の人間に 「板橋人には大阪人に通じる何かがある」 と言われた事があるのだが、板橋人と大阪人の決定的な違いは、板橋人はコストパフォーマンスにうるさい割に、買い物の際に値切らない事だ。

さっき軽く触れた八百万の神信仰にも通じるものがあるのだが、板橋人には何でか知らんが "ありのままを受け入れる" という習性がある。そのため 「で、ナンボや?」 と値切る強引さを恥と考えるのだ。

だから値段が高いと思ったらその店では買わないor入らない。未練がましくグチグチと文句を言わない。それが板橋なりの和の保ち方であり、板橋人の美徳でもある。

この板橋人の流儀が理解できないと、板橋で商売をやろうと思っても絶対に成功しないだろう。

板橋人は意外と新しもの好きで飲み歩きも好きなので、新しくお店がオープンするととりあえず人だかりが出来る。金額的に高くなければ、最初だけはジャンジャン客が入る。

しかし店に対して直接ツベコベ言わないので、1度目がダメだったらまず2度目がない。冷酷なまでに切り捨てる。そしていつもの馴染みの店で 「新しく出来た○○って店はダメだな!」 とクダを巻くのだ。

よって、その店のどこが不満なのか店側に伝わらないまま、波が引くより残酷に客足が途絶え、一度落ちたら余程の事がない限り再浮上はない。

だが一度板橋人に 「ここはいいお店だ!」 と認められると、それはそれは常連顔した連中が毎日のように張り付き、モツ屋だろうと中華だろうとフレンチだろうとイタリアンだろうと、あっという間にゆるゆる板橋ワールドに引きずり込まれてしまうのだ。



ここまで書き散らして再認識したが、板橋って何らかの結界が張られているんじゃないかと思う。

恐らくこの辺を詳しく掘り下げて行くと、江戸四宿の下板橋宿の立地がどうこうという所に行き着いてしまう気がする。

というのも、品川・内藤新宿・千住・板橋の江戸四宿は、お江戸の中心部から微妙に離れており、まさに外界との境界とされていた。

この中で品川や新宿は近代化の流れに上手く乗って姿形を変えながら都会のまま在り続けたが、足立と板橋は失敗こいて忘れられていた時代が長かったため、外界との境界としてのイビツさや歪みがほんのり残ってしまっているように感じるのだ。

少し抽象的に言うならば、『板橋=境界』 として考えた場合に、そこかしこがイビツであるからこそ調和の取れた形なのだとか、板橋は最小公倍数ばかりが融合する事で成り立っているから馴染みやすいといった表現が出来るだろう。

板橋ってのは大掛かりな拷問道具ばりのSMセットではなく、バイブとかピンクローターなんだよ。(眠気MAXによりキチ○イモードに入りつつあります。周辺住民の方はご注意ください。)

ええと、ええと、だからさ、アレですよ。

派手かもしれないけど使いどころを選ぶ高価なレア物よりも、どこでも使えて便利で誰でも買える安価な民生品の方がいいじゃん。それが板橋。

ビグザム1機より10機のザクIIなんですよ。ドムを作る余裕があったらマゼラアタックをいっぱい作るんですよ。MSイグルーのオッゴとか大好き。乗りたかないけど。自分が乗るなら明らかにビグザムだけど。

流石にこれ以上ああだこうだ語るとあまりに長くなり、それこそまた本を書けよという話になってしまうので今回はここらで切り上げるが、板橋という土地の持つ特殊さは頑張れば理屈で説明できるんじゃないかと思う。

板橋区が実益を重視するリアリストの街であるという事や、外国人でも馴染み易い点や、23区の他の土地には見られない特殊さがある点などは、きっと今に始まった話ではないのである。




【日本の特別地域3 板橋区】マイクロマガジンより発売中!!
と、こんなオレのボヤキをもっと聞きたいという特殊な性癖の持ち主は、精魂込めた板橋本をぜひ!隠れ板橋区民である元探偵ファイルの山木もアレコレと板橋について語っております。