2019年を振り返って006 | ナンパ奮闘記

ナンパ奮闘記

東京を中心にナンパ活動、その戦績を紹介します。

2019年6月 新会社編

ウィリーさんとの沖縄編でかなりの尺を取ってしまったが、それだけ僕とウィリーさんの沖縄遠征は濃い時間だったということだ。楽しいこともそうだが考えさせられることも多かった。水納島で帰りのフェリーを待っている間にずっと意味もなく遠い海を眺めていた。曇っていても綺麗な水色の海をぼーっと眺め、少し遠くに目をやればずっと水平線の向こうまで曇り空が広がっていてこれから先の結婚した後の自分の人生を案じているかのように感じた。映画「卒業」で主人公が結婚式に乗り込み花嫁を奪ってバスで逃げるという名シーンで幕を閉じるという大団円を迎えるがなぜかそのバスの中には爺さん婆さんばかりで一方で結婚したばかりの自分たち若い二人が対照的に描かれ、さっきまで明るい表情だった若い二人も表情を曇らせたまま映画が終わっていくという、なんとも後味がよくない終わり方だが結婚した後の二人の未来を暗示しているかのような「いいことばかりじゃないんだぞ」という現実的な終わり方だったと思う。「僕の今後の人生はどうなるんだろう?」海を見ながら自分に問いかけてももちろん答えなんかでない、未来はその時になるまで誰もわからないのだ。

 

東京に帰ってきて、成田から夜にもかかわらず混雑している電車に揺られながら地元へと向かうと一気に現実に引き戻された気分になった。ウィリーさんとは実家が近いから自分の家到着のギリギリまで一緒に歩き「ありがとう」と最後に告げてそれぞれの家に入っていった。こうして久しぶりの男だけの旅行を楽しんだが、すぐにその二日後から新しく始まる会社のことで急に不安でいっぱいになった。ほんとにあの会社を選んで大丈夫だろうか?何か見落としていないだろうか?正直少し早とちりしたような気持ちはあった。これから結婚をして一緒に住み始めてという新しい生活が待っているのにもう少し生活が落ち着いてから転職するでもよかった気がする。これからガラッと生活が変わっていくだろう、ストレスも感じるかもしれない、そんな中でやっていけるのか?もし入った会社がブラックだったらとかいろんな不安が一気に頭の中に渦巻き出した。「悩んでも仕方ない」となんとか自分に言い聞かせ眠りに入った。僕はこういう不安な時は独り言で自分に言い聞かせる。いつからかわからないが不安があると僕は独り言で自分と会話するようになった、もちろん誰もいないトイレとか部屋とかだけでやるようにしている。「ああ~、不安だな。どうしよう?でも入社して働き始めるまでわからないよな~」とかを実際に声に出して自分に言い聞かせているのだ。溜めているよりこうして吐き出す方がいい、一番いいのはそれをちゃんと聞いてくれる友人や家族がいることだが、毎日愚痴ばかり聞かされるのも億劫だろう。だから僕は独り言で吐き出し、さらに自分でその意見にうなづいたり、時に「いや、でも…」と反論したりという独り議論のようなことをやる。これはいろんな角度から意見を考えることができるし考えが偏らないように工夫ができる。もちろん一人での議論だから結論がほぼ出ないことが多い、でも結論が出なくても問題はない、自分に言い聞かせているだけだし大事なのは声に出して吐き出すことだ。

 

6月10日、とうとう初出社の日を迎えた。勤務場所は東京駅の目の前の大きなビル、と言ってもそのビルのフロアを丸々借りているわけではなくていわゆるレンタル集合オフィスのようになっているフロアの一部をその会社が借りているだけだ。大きくて綺麗なオフィス内でコーヒーマシンなども完備され飲み放題。大きなビルの貸しオフィスを借りているがこの会社のメンバーは8人しかいないので2部屋程借りてそこに4人:4人で配属というかなり縮小した使い方だ。廊下に出ればこの大きなビルのワンフロアをそのまま貸しオフィスとしているのでかなりの広さだ。天井の高い廊下の端から端までおそらく徒歩大股で2~3分は歩かないと到着しないくらいの広さで所々に会議室に使用する大部屋やリフレッシングスペースなどが設けてありすりガラス仕様になっていてシルエット以外何も部屋の様子が伺えないので窮屈せずプライバシーは守れるという構造になっていた。

 

初出社の簡単な挨拶を終えて自分のデスクに通された「営業さんはこちらです」と。一瞬耳を疑った。僕は営業ではないと再三あの面接で確認したのに営業さん呼ばわり。はめられた…、その後でオフィスのセキュリティカードの使い方や簡単なオリエンテーションをしてもらったが、ほとんど耳に入っていなかった。「僕は営業をやらないといけないのか…?」心臓がドキドキして変な汗が頭皮から垂れてきて一気に不安が僕を襲った。こういう時に僕の悪い癖でもあるのかもしれないが、ちょっとした失敗とかがすぐに「死」に直結してしまう癖がある。「転職失敗→結婚生活破綻→死す」というなんとも短絡的な回路だがすぐにこう考えてしまうんだ。おそらく小心者と言われる人の回路も僕と似ているだろう。例えば仕事でちょっと間違えて違う会社の担当者にメールを送ってしまった、「オハラ様、弊社に佐藤というものはおりませんが」というメールでも届こうものなら「失礼しました!!」と電話で平謝り。それだけで済まず、トイレの個室に駆け込み「うわーやっちゃったよ~」とずっと独り言を言いまくり、「会社クビ→家族露頭に迷う→死す」という回路にすぐ行き着く。メール間違えるくらい誰でも一回はあることだ。金融系の会社だったら一発でクビかもしれないがこれぐらいでクビにされることはほぼない。芸人の山崎邦正さんも昔、自慰行為のやりすぎで下半身のちょっとした手術が必要になったらしいがその時に松本人志さんに真剣な顔で「僕はもうダメなんです」と語ったという。局所麻酔を使った本当に日帰りで終わる手術なのにどうやら彼の頭の中では「切り落とす」「不能になる」「場合によっては死ぬ」みたいな思考回路になったらしく「芸風もそっち系に変えて、キャバレーとかに出て、そうするとなぜか霊感にも目覚めて…」と真面目な顔で語っていたらしい。気が小さい人の共通点はこのように「死ぬ」というところへ思考が直結しやすいのだ。

 

その日のお昼休みに僕より1ヶ月早く入社していた女性の社員のTさんとご飯を食べに行った。そのTさんは僕より2歳年上で僕が入社するまでは彼女が最年少だったらしい。ベリーショートの髪型でフチなしのメガネをかけたキャリアウーマンという感じの女性、念の為言っておくが美人ではない、「激レアさんを連れてきた」の再現イラストで出てくるキャラクターの絵で似顔絵を書いたら似てそうなそんな感じの顔である。お昼に東京駅のどこか適当なお店でご飯を食べながら僕は正直にTさんに事情を話した。「営業とは聞いてなかったけど営業にされた」「僕は営業するために転職したんじゃない」などなど。Tさんはそうか~と親身になって話を聞いてくれた。Tさんは「でも、大丈夫だよ。私も前職営業だったけどなんとかできたし。わからなかったら相談してくれていいよ」と言ってくれた。Tさんは前職は7年くらい油圧測定のためのマシンなどを製造するメーカーに勤めていたという。最初は営業事務みたいなポジションから始めたが最終的にもっともっと仕事にチャレンジしてみたくて自ら営業のポジションへ志願したという。

 

入社最初の週の金曜日の夜にTさんに飲みに誘われた。僕が入社してひどく落ち込んでいることを察してくれて彼女の方から飲みに誘ってくれたのだった。Tさんも飲むことが好きで僕と同じくビール好きだった。Tさんは若い頃にドイツに語学留学に行っていたらしく、ドイツ文化に造詣が深かった。こういう人との話はとても楽しい、留学とか異国でしばらく生活したことがある人は固定概念に囚われず日本の古い習慣とかも気にしないからTさんの方が年上ではあるが敬語を使わないでもいいと言ってくれた、でも僕は最低限「ですます」くらいには気を使いながら話をした。とりあえず僕の言いたいことを全部吐き出した。見積り作る作業はあるが営業じゃないと聞いていたのにとか、結婚したばかりでこれから長く働ける場所を探していたのにとか、新婚生活からこれでは将来不安だとか色々と吐き出した。Tさんは上述したようにメーカーで営業として7年くらい頑張った女性で、実はその時に女性ということで辛い境遇にあったと話てくれた。前職がいわゆるコテコテの日本の古いメーカーでそれなりに大きい会社でEUとかとも繋がりがあり彼女は本当にたまにだがドイツ語を生かすことができて、さらに営業にも挑戦できてチャレンジングな環境だったという。そういうメーカーの営業は古来から男がやるものと決めつけているらしく女性の営業は彼女一人だったという。Tさんは若い頃から女であることで社会的に差別を受けたりすることにすごく敏感でいわゆる男女雇用均等や男尊女卑などの差別に強い関心がある熱い女性だった。僕は女性をからかったりすることはあるが差別はしない、ふんぞりかえっているだけで何もしないはげたおっちゃんより女性たちの方がどれだけ優秀なことか、Tさんは女ってだけで前の職場でかなり悪い待遇を受けたらしい。例えば、営業で得意先に訪問した時も遠回しではあるが「女の君に説明ができるの?」みたいな扱いを何度も受けたという。会社内でも周りのおじさんたちからの協力をあまり得られず「女のお前に何がわかる?現場に口出しするな」みたいな理由で意見が通らなかったりということが何度もあったという。それでもTさんはめげることなく7年間もそこで営業をやり続けた自分自身戦ったことが誇らしいようだった。

 

2020年を迎えようとしているのにいまだにそんなことがあるのか思うようなセクハラも彼女は経験していた。得意先の偉い人と飲みにいくのを付き合わされカラオケまで行って興が乗ったのか得意先の偉いおっさんが彼女に思いきりベロチュウをしてきたらしい。彼女はそれを訴えることもできたが自分がそれをすることで取引に影響が出てしまったり周りに迷惑をかけまいとしてそのことは誰にも言わずに黙っていたという。ただでさえ社内でも「女のくせに」とかよくない待遇を受けている彼女だったがそんな過酷な状況で7年も耐えた彼女は男に負けてたまるかという強い意志を常にその鋭い眼光に滾らせながらも「男なんて糞食らえ」みたいな極端な思想に走ることがない公平さと柔軟性を持った女性だった。僕の愚痴を散々聞いてくれたおかげで少し気持ちが晴れ、今度はTさんの話を聞くことにした。Tさんは僕と同じで去年結婚したばかりだった。旦那は26歳でなんと彼女より10も歳が下である。飲み屋さんで知り合ってそのまま意気投合して付き合い結婚に至ったという。しかし旦那が少し鬱病を患っているようで仕事が長続きしないようだった。「仕事がきつい」「自分のやりたいことがわからない」とか古い考えの人が聞いたら「ただの甘えだろ」としか思わないかもしれない。でも、鬱病の当人にとっては本当に辛いことなのだ。盲腸の痛みは盲腸になった人にしかわからないように鬱病の辛さもなったことがない人にはわからないのだ。病気の人をばかにしたり、障害者をばかにしたり、心の病気を持つ人をばかにしたり、そんなことは絶対にしてはいけない。あなたが今日の帰り道に車にはねられて一生体に障害を持つかもしれないし、「健康を保つのは自己責任、普段から気をつけてないやつがアホ」とか言っているくせに定期検診でガンが見つかった瞬間に自分がこの世で最も不幸だみたいなことを言う奴がいる。いつ自分がその立場になるかはわからないのだ、思い上がってはいけない。鬱病で苦しんでいるTさんの旦那はやっとのことで携帯ショップの販売員に就職して今は頑張って仕事をしているらしい。結婚式は9月に予定しているそうだ。

 

僕は吐き出せた開放感と辛いのは自分だけじゃないと言う気持ちに少し救われた気がしてその日はよく眠れたのを覚えている。しかし翌日からはまた自分が望んでいた仕事とは違うあの職場に行くと思うと憂鬱になった。僕は前の仕事は印刷にかかる仕事で、大手企業が新しい商品を企画してパッケージデザインをするときに印刷に関しての専門的なアドバイスをすると言う少し特殊な仕事をしていた。例えば、「こう言う色を作りたい、キラキラひかるようなエフェクトをかけたい」とかクライアントの要望を聞いた上で僕たちがアドバイスをする「この色を出すには特殊なインクが必要なのでその分コストが上がってしまいます」そうするとクライアントは高くなるのは嫌だとわがまま言い出す「じゃあ、ロゴの色は絶対に崩すわけにいかないからここだけ特別なインクをつけましょう、あとはCMYKで成り行きにすれば問題ないと思います」みたいにクライアントが納得するように印刷知識を使って導いていくと言う仕事だ。本来これは印刷会社の営業さんがやることであるが、海外ではPrint Managementという仕事で成り立っているビジネスである。大きい企業さんが印刷物のことを管理するのが面倒だからプロに全部任せたいという必然的に大手がクライアントになるビジネスだがもちろんその分結果を問われる。しかも外資系のクライアントばかりなので英語力も問われる。そう考えると印刷知識と経験だけではダメで英語ができてさらにイラストレーターとかも使ってデータをある程度チェックする能力がないとダメなのだ。意外にも印刷会社の営業さんはイラストレーターが使える人がほぼいない。データが入稿されても中身の確認もせずそのままオペレーターに投げる人がほとんどだ。そう考えると僕は印刷知識があって英語が喋れてイラレも使えるという海外向けに展開している印刷会社とかからしたらすごく有能な人材なのかもしれない。

 

その経験知識とさらに英語も活かせるというから入った会社だが、やっていることが営業そのものである。主に仕事内容としては3~4社のクライアントを持ち、それらが「ポスター100枚作りたいから見積もりください」と連絡がくる、そしたら僕は3社くらいのパートナー印刷会社に見積もりを同時にかけてその中で一番安く受けてくれるとこを選び、それにマージンを載せて見積もりを出す、受注する、印刷を発注する、納品する終わり。という感じでクライアントは印刷の質など一切話に出さない。安ければ安いほどいい、クオリティは二の次というファストフード的な印刷仕事のやり方。僕が前にやっていたような特色を追加するとかどんな色を再現したいですかとかそんなことは一切触れず安くして、そして僕たちのミッションは営業だからいかにマージンをせしめるか、数字と売り上げが全てというまさに営業さんの仕事である。僕は営業さんを悪く言ってるわけじゃなくて、むしろ常に先頭に立って交渉して仕事をとってきて会社に利益をもたらし、儲けが出るように計算と予測を立てて先読み行動する能力を問われる営業さんをむしろ尊敬しているし、僕は数字とかで物を語るのが苦手で予測とか立てたりが苦手だから営業という仕事は自分にはできないなと思っていた。しかも、印刷だけでなくこの会社は見境なくなんでもやる、クライアントのカタログをしまっておく倉庫をどっかから探してきてその在庫をいつでも取り出せるようなオーダーシステムを作ってくれるシステム会社を探すとか、DMの郵送を代行するサービスとかしまいには人材派遣のためのお給料支払いを代行するようはクライアントに給料支払いの口座貸しをするような、いわゆる何でも屋をやっているのである。

 

ここまで見て、印刷関係ないし今までの仕事と全く違うということを親愛なる読者の皆さんにもお分かりいただけたと思う。僕は見積もりを作って発注をもらって請求書を立てて、月末締めの翌月払いで入金してもらってとかそういうことを今までやったことがないから36歳の中途採用として入ったものの新卒社員のように「見積もりってこれであってますか?」とか「発注書ってどうすればいいですか」とかいちいち聞きながら仕事を進めている。多分こんな36歳の社員はいないと思うが、僕は知ったかぶりとかは嫌いだからわからないことはわからないとはっきり言って恥を忍んで教えてもらうという姿勢で仕事に望んでいる、むしろそれしか能がないのだ。どういうわけか分からないことを認めて質問しながら仕事を進める僕のことをこの会社の社長(面接担当者)はすごく評価してくれていて「オハラくんは分からないことをはっきりわかりませんと質問してくることは偉い」と褒めてくれた。これでいいのかなと思いながらなんとか1ヶ月仕事を続けるもやはりモヤモヤは晴れることがなかった。どこか自分の中に「営業やりたくて転職したんじゃないのにな」という気持ちが拭えないでいた。僕はもやもや悩んでいる愚痴ばかり言っていて何もしないでいることが嫌いだった、よく飲み会で「うちの会社はダメだ終わってる」とか「給料低くてやってらんねーよ」とか好きなだけ愚痴をこぼして結局何もしないでその会社に居続けたりする人がいる。僕はそうなりたくない、何か困ったりしたら行動に移さないと始まらないのだ。とりあえずこの仕事を紹介したエージェントに話をしてみることにした。

 

つづく