現金を盗まれたあとの心境の変化もメモ。

①悔しみ

自分がうっかりしていたとはいえ、私のお金が盗まれてしまった悔しみをかみしめる。

②視点を拡大

突然のことで、お金を私だけの問題としてとらえていることに気がつく。お金は私から離れていったが、お金の総量は変わってないんだよな、と思うと、なんか何も失ってないような、いつか巡り巡って戻ってくるような気がしてくる。

せめて盗んだその人が、お金を自分のためだけに使うんでなく、より多くの人が喜ぶように使ってくれたらと祈るが、まー置き忘れた財布からお金抜き取る人にとってのお金とは、すごく個人的な所有物としての意味しかないだろうな〜と思う。

とはいえお金と人に喜んでもらうチャンスをみすみす私からのがしてしまったことを、お金に申し訳なく思う。

③我が身を振り返る

私が、お金のことを気にかけてあげてなかったんだろうか?たしかに最近忙しくて、お金との会話が減っていたのを反省。3月にも財布を一瞬なくした。あのときも忙しくて疲れ、注意が欠陥していた。

でも財布を置き忘れるなんて、人生でほとんどないのに、この短期間に2回あったということは…。そういえば私の財布、買ってからもう3年以上経っている。大事に使っているが、財布がもうくたびれて、離れたがっているのかな、と思う。

あと、叶恭子お姉さまの真似してバッグ・イン・バッグとか、慣れないことをするもんじゃないと思った。

④盗んだ人を想像する

その人は、トイレに財布が置き忘れられていたとき、何を思っただろうか。一瞬でも届けようとか思ったかな。人の財布からお金抜き取るときってどういう気持ち?どうしてもお金が必要なことがあったのかな。過去にお金盗まれたりしたのかな。どんな顔でそのあと仕事に行ったり友人に会ったりするのかな。家に帰って何を考えながら今日あったことを家族と話すんの?もしくは話さないの?子どもや奥さんはいるのかな。子どもにはお金のことをどう教えるのかな。台湾の神様・媽祖さまにだけは、そっと懺悔したりすんのかな。そのお金を使うとき、どういう気持ちで何に使うのかな。そのとき、お金はどう思うかな。

とか想像していたら、あー、これは他人事じゃないんだなぁ、と思った。というか、その人とくべつ悪い人とかじゃないんだろうな。誰にでも、もしかしたら私にだって起こりうるような一瞬の判断で、彼が私だったかも、私が彼だったかもしれなくて、人生ってこういうことして試してくるんだなぁ。

まあだいぶ気分は収まったが、なんとなくまだ現実逃避したくて、叶姉妹の動画をネットで見たら、いよいよ五千円とか小さなことに思えてきた。

叶恭子お姉さまの真似をして分不相応な結果になっても、叶姉妹を見るといろんなことがどうでもよくなる、ということがわかった。

何か変なまとめに…。

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