ベトナム戦争でアメリカ軍に破壊されたソンミ村。

と、ざっくり紹介されても、こういうことは毎度のことながら何にも伝わらない。
そこでこの、吉岡忍さんのルポルタージュなど読んでみる。

短い話のなかに、生身の人間がたくさんでてきて、もう小説みたいだ。

戦争とかいう大きな話も、つきつめていくと、自分が何者かであるということを諦めきれない、一人ひとりの人間の姿が見えるような気がする。

たとえば米軍であること、テレビ局に勤めていること。ここまではわかりやすい。でも、取材したベトナム人のおばあさんの、小さな嘘がバレるとき、ああ虐殺された側の村の人でさえ、この落とし穴に落ちてしまうことがあるのだなあと驚いた。

そういうアイデンティティみたいなところに、自分を小さく固定することなくありたいと思った。地味でとりとめもなさすぎるように見えるけど、長い目でみると、実はそれが平和を下支えしているような気がする今日この頃です。