私の苦手なタイプの小説として、昔の男性作家の書いた、「若くて従順な女礼賛」みたいな一部の作品、がある。川端康成、吉行淳之介、そして武田泰淳のこの小説も。
 
こういうタイプの小説を読むと、ものすごい反発を覚えると同時に、不思議な気持ちになる。
たとえば、酔っぱらった主人公がカフェの女に「オッパイに接吻したい!」とか言ったら、カフェの女がボタン外してハイどーぞって、、、女を何だと思ってる!なめんな!文字通りペロペロなめんな!(←ほんとにこういう場面がある)
と、思うんだけど、常々、小説を読んで誰に最も自分を投影するか、というところに性癖が顕れるとおもっている私は、心の中でこう叫んでいる自分は誰だろう、と立ち止まる。
第一人格の私でも、第二人格の夢見る中2のブスでもない、また別の誰かみたいな気がする。その人は、森瑤子さんの小説に出てくるような、自立した女にあこがれています。うーん、誰?
 
あー気になる。前世療法とか行ったら、私が抱えてる複数の人格の秘密がわかるのかなーと思ったりしている。そして私のインナー人格マップ(誰が何人いて、どういうときに誰が出てくるのか)を作る、というのが目下の夢です。