結局何のための戦いだったのか意味わかんない応仁の乱(1467)が終わって、荒れ果てた戦国時代の京都。いち早く自治や再建にのりだしたのは将軍や貴族ではなく町人だったそうです。いつの時代も市井の人は勝手に立て直すんですね、上の人がめちゃくちゃにしたものを、、、。
川中島の合戦の武田信玄にカリスマを感じます。この人、当時もすごい人気あったんだろうな~。「風林火山」とか「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」とか。カリスマはいつもなんかカッコイイけど、よく考えるとちょっと意味不明だ。
町が荒れまくったものだから、もう領主の干渉から離れて自分たちの手で運営する惣村が増えていったそうです。自治なら死んでも荒れても自分の責任だって納得できるもんね。私がこの時代に生きてたらぜったい参加してたと思う。