今日は初めての旅先であった、ヨーロッパの事を書きます。
まず、これからのお話はかなり古い情報であるという事を言っておきます。
今みたいに、スマートフォンもPCも無い時代。
30年前のお話ですから、興味ない人はスルーしてください。
まず、当時の為替レートは、1ドル=250円くらい。
イギリス・ポンドは360円ほどもしました。
確か、8月から11月下旬までの3ケ月半、17ケ国を旅しました。
当時、私はまだ24歳でした。
ユーレイルユースパスを買える年齢でしたので、格安で旅ができました。
このパスは、26歳以下の青年が買える鉄道やバス、美術館や博物館などが割安になるパスで、かなり重宝しました。
公共機関であればパスを初めに見せて使用可能かどうか聞いてから切符を買いました。
このパスは、1等車両には乗れませんで、2等しかダメですが、寝台も乗れましたので、夜中に寝台を宿代わりに使うという荒技で何度も北から南へ行き来するという人もいました。
ヨーロッパは、それほど大きくないというのが実感です。
鉄道が発達していて、隣国へいく時も出国入国も非常にスムーズでした。
(日本人は、例の菊の御紋付きの赤いパスポートを見せれば何も問題なかったですが、一度スペイン人の方が同じコンパートメントに居て、その人だけは非常に念入りにパスポートチェックされていたのを思い出します。当時のヨーロッパでの経済の優劣というものをちょっと垣間見た気がしました)
さて、最初の到着国は、イギリスでした。
(あっと、フィリピンの空港でトランジットした時が、本当の意味で海外を見た最初かもしれませんが。アキノ大統領暗殺の翌日でした)
ヒースロー空港に飛行機が着陸するときのシーンを私は今でも覚えてます。
それは、8月の初め。
霧に煙るような天候で、傘をいつも持参しているイギリス紳士のお国にふさわしい。
低空飛行の下には、青々した芝生のグランドが広がり、まるでおとぎの国の街並みが広がってきました。
そして、悪名高い、ヒースロー空港での入国審査。
ここで入国拒否、強制出国にならないように、事前に綺麗な格好に着替えて、短期旅行者を装えば良かったのでしょうが、そんな事つゆしらない私は、非常に軽装でナップサックにスニーカー、キュロットスカートにセーターでした。
日本から同乗していた日本人の娘さんたちは、事前に衣装も着替え、質問にもテキパキと答えて難なく通過。
それに引きかえ私は労働目的と思われたようで、、最後まで引きとめられて、根掘り葉掘り尋問され続けていました。
(宿は、事前予約はしておりません。頼りにしているのは、地球の歩き方の情報のみ。自分の英語力に全く自信がなかったので、この仲良し3人娘達と一緒に宿探しすることをお願いしたのです)
帰りの旅券を出せだの、トレベラーズチェックを出せだの、旅程を言えだの、相当な英語力を必要とされるような細かい事を聞いてきます。
もう、なんでやねん!!!
あったまくるわ~。
人を外見で判断するとは、けしからんじゃないの!
で、最後に
「ここに、知り合いはいないのか?」と聞かれまして、
日本の郷里の友達から渡されていた友人の住所(イギリス人の高校の先生)を見せました。
そしたら、すぐに電話をかけて確認。
そうしたら、直後に、今までの仏頂面から想像も出来ないような満面の笑みを見せて、
Welcome to London!
みたいな事を言って解放されました。
スタートが、最悪。
で、はれて夕刻のLondonの街の中へ、宿探しに日本人女性3人と一緒に向う事になりました。
途中、道を聞いた英国紳士のおじいさんの紹介である大きな女子寮のような建物に到着。
ここがその後、1か月過ごすことになる、私の定宿となるのでした。
続きは、又。
まず、これからのお話はかなり古い情報であるという事を言っておきます。
今みたいに、スマートフォンもPCも無い時代。
30年前のお話ですから、興味ない人はスルーしてください。
まず、当時の為替レートは、1ドル=250円くらい。
イギリス・ポンドは360円ほどもしました。
確か、8月から11月下旬までの3ケ月半、17ケ国を旅しました。
当時、私はまだ24歳でした。
ユーレイルユースパスを買える年齢でしたので、格安で旅ができました。
このパスは、26歳以下の青年が買える鉄道やバス、美術館や博物館などが割安になるパスで、かなり重宝しました。
公共機関であればパスを初めに見せて使用可能かどうか聞いてから切符を買いました。
このパスは、1等車両には乗れませんで、2等しかダメですが、寝台も乗れましたので、夜中に寝台を宿代わりに使うという荒技で何度も北から南へ行き来するという人もいました。
ヨーロッパは、それほど大きくないというのが実感です。
鉄道が発達していて、隣国へいく時も出国入国も非常にスムーズでした。
(日本人は、例の菊の御紋付きの赤いパスポートを見せれば何も問題なかったですが、一度スペイン人の方が同じコンパートメントに居て、その人だけは非常に念入りにパスポートチェックされていたのを思い出します。当時のヨーロッパでの経済の優劣というものをちょっと垣間見た気がしました)
さて、最初の到着国は、イギリスでした。
(あっと、フィリピンの空港でトランジットした時が、本当の意味で海外を見た最初かもしれませんが。アキノ大統領暗殺の翌日でした)
ヒースロー空港に飛行機が着陸するときのシーンを私は今でも覚えてます。
それは、8月の初め。
霧に煙るような天候で、傘をいつも持参しているイギリス紳士のお国にふさわしい。
低空飛行の下には、青々した芝生のグランドが広がり、まるでおとぎの国の街並みが広がってきました。
そして、悪名高い、ヒースロー空港での入国審査。
ここで入国拒否、強制出国にならないように、事前に綺麗な格好に着替えて、短期旅行者を装えば良かったのでしょうが、そんな事つゆしらない私は、非常に軽装でナップサックにスニーカー、キュロットスカートにセーターでした。
日本から同乗していた日本人の娘さんたちは、事前に衣装も着替え、質問にもテキパキと答えて難なく通過。
それに引きかえ私は労働目的と思われたようで、、最後まで引きとめられて、根掘り葉掘り尋問され続けていました。
(宿は、事前予約はしておりません。頼りにしているのは、地球の歩き方の情報のみ。自分の英語力に全く自信がなかったので、この仲良し3人娘達と一緒に宿探しすることをお願いしたのです)
帰りの旅券を出せだの、トレベラーズチェックを出せだの、旅程を言えだの、相当な英語力を必要とされるような細かい事を聞いてきます。
もう、なんでやねん!!!
あったまくるわ~。
人を外見で判断するとは、けしからんじゃないの!
で、最後に
「ここに、知り合いはいないのか?」と聞かれまして、
日本の郷里の友達から渡されていた友人の住所(イギリス人の高校の先生)を見せました。
そしたら、すぐに電話をかけて確認。
そうしたら、直後に、今までの仏頂面から想像も出来ないような満面の笑みを見せて、
Welcome to London!
みたいな事を言って解放されました。
スタートが、最悪。
で、はれて夕刻のLondonの街の中へ、宿探しに日本人女性3人と一緒に向う事になりました。
途中、道を聞いた英国紳士のおじいさんの紹介である大きな女子寮のような建物に到着。
ここがその後、1か月過ごすことになる、私の定宿となるのでした。
続きは、又。