二十歳だった私がエステティシャンの仕事を選んだ理由 | コスメコンシェルジュのそこまで言ってイインカイ

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現場経験14年目のまたまだ修行中エステティシャンです。沢山の化粧品を販売・施術をしてきました。
自身が肌悩みが昔から多く、同じような悩みの方と
シェアしていきたいです。

ここでは正直に私のことをお話ししますイヒ(笑)
 
それは、給与がよかったからです:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
 
私が就職活動をしていた十数年前、短大卒で地方就職する私には
 
一人で生活できる給与を貰える求人はありませんでした。
 
就職相談室の先生は、銀行員や受付の仕事を勧めてきました。
 
給与は短大卒で12~14万です。
 
そして、銀行員てキャラクターではなかった(;´・ω・)
 
 
いくら地方とはいえ、駅裏レオパレスのアパートで家賃は6万8000円。
 
田舎なのになぜかアパートは安くない…
 
でも私の家庭は複雑な事情を抱えていたため 実家に住むことは考えられず、
 
お水でもやりながら勤めるしかないかな…と、思っていたところ
 
大手のエステ求人を見つけました。
 
初任給18万~ その他報酬あり という求人は、地方短大卒の私には夢の様な仕事でした。
 
 
 
 
入社後、研修としてお店の化粧品を購入することに。
しばらく天引きされ苦しい生活が続いた
 
でも、自社の化粧品を使うのは美容部員も同じ。自分が使ったことのない化粧品を
 
お客様に販売することはできない。ちゃんと理解しているけれど、エステの化粧品は一般的に
 
価格帯は高級化粧品。中々継続して揃えるのは難しい…
 
研修中、そして天引きされている三か月は 振り込まれる給与が12~14万ほどで、
 
閉店してからのサロンワークもあるから帰宅はAM 1~2時。
 
それから作って食べる気力もなく、結局コンビニご飯を買ってしまうので生活は厳しかった。
 
研修が終わると少し生活に潤いが出るかと思いきや、仕事がどんどん増えていき
 
体力的にも精神的にも疲れてしまい、ご飯を作るなんて気持ちはなくなっていった。
 
多分、鬱症状があったと思う。躁鬱ってやつですあせる
 
そんなことには気づくはずもなく、真面目な私は必死に働いた。
 
新人だけど○○〇万のノルマを達成したので、海外にも連れて行ってもらった。
 
なんていうか、アメリカンドリームじゃないけど、エステで成功するような夢をみていたんだと思う。
 
現実と夢との境界がわからなくなっていきました。後で知りますが、鬱の人の特徴らしいです。
 
営業活動が新人の中ではできたので、お手入れに回されることはなくなり、
 
いつもお客様に営業する役割でした。なので、契約していただいた後、
 
自分のお客様に入ることもなく、接客の醍醐味がどんどん無くなっていきました。。。。
 
 
店長に「あんたはこの店の数字を追って、みんなを引っ張っていくんだよ!」
 
「私があんたを主任に、店長に絶対するから!」
 
…そういわれると期待に応えなきゃと、どんどん追い詰められていき、
 
ついに、恐れていたことが起こった。
 
 
 
ストレスで血を吐いた。
 
慢性的な頭痛、めまい、吐き気、手の震え、気が遠くなる…
 
そんな症状が半年ほど続いた時だった。
 
店を出たのはAM1時。
 
そこから必死に歩いて最寄りの病院に駆け込むとそのまま入院。診断結果は
 
十二指腸潰瘍。
 
 
それまで会社に退職したいと話をしていたけど聞いてくれなかったのですが、
 
過労を病院で指摘され、会社の方でもそれを聞いたら早く消えて欲しくなったらしく
そのまま退職することに。
 
これが21歳の冬。
 
ちょうど一年で大手のエステ企業を退職して、次の日から誰もが知る
 
化粧品会社に入社することになったのです…
 
 
 
今から十年以上も前の話なので、一人〇〇〇万の目標なんてエステはなくなってきてるのでは?
 
とは思いますが、依然それなりに大企業であれば厳しい仕事だとは思います。
 
鈍感でハートが強い私でも、21歳の私には難しい仕事でした。。。。うーん
 
 
なんか、、、清水富美加ちゃんの報道を見て凄く感情移入してしまったのは私だけかしらほっこり(笑)
 
 
化粧品会社はその分、驚愕な金額のものを販売したりすることもなかったので
 
とーっても楽しい仕事でしたラブラブでも、これも専門職で中々大変なので辞めていく人も少なくないですけどねうーん
 
子供生まれたら協力してくれる環境がある人にはいいかもです。
 
帰りも遅いし、休み関係ないので子供のことが一番気がかりになりますからね。
 
 
また時間のある時に、私がみてきた美容業界について書いていきます音譜