腱鞘炎で痛めている右手首を最近無理をさせてしまい、また痛めてしまいましたダウン

手首が荷物の重さに耐えきれず、プルプル震えていたら、その姿がおかしかったのか、「なにそれ~!」と腱鞘炎のせいだと知っていても、笑う人がいます。

一生懸命がんばって持っていたのに!人の気も知らないで~!DASH!と思ったりしてしまいますが、まあ~それも無理もないことです。(笑)

その痛みを経験したことがないと、辛さはわからないですもんね。



ただ私は逆の立場で、とても後悔したことがありますしょぼん


知人が、ある異常な症状があり不安で、私に相談した時のことです。

私は「病院で検査してもらった方がいい」とアドバイスしました。

彼女と同じ経験がない人のアドバイスとしては、普通で正しいと思います。


ですが、私は同じ症状を経験したことはありませんが、手術をしたことがあり、辛く不安な気持ちを経験したことがある人間の言葉としては「0点」だったと、のちに私が再手術したり、病気の再発を繰り返すたびに深く反省します。


0点というのは、彼女の不安な気持ちに寄り添っていなかったことです。

彼女は、異常な症状に動揺し、怖くなり、家族や親しい友達にも言えなかったようです。

話している間もなかなか病院に行く決心がつかないでいました。


まず、私は彼女の恐怖心や不安感を受け入れてあげるべきでした。

「怖かったよね。一人で考え込んで辛かったね、不安だったよね。」と。



話をしている間に「病院に行ってみる」と決心してくれましたが、彼女の辛い気持ちに寄り添ってあげていたら、彼女の気持ちは落ち着き、もっと早く決心することができたと思います。

結局、彼女は病院で検査をして、原因は一時的なホルモンの不調で、病気ではないことがわかり、私に感謝してくれましたが、一番肝心なところを力になれなかった後悔の気持ちを今でも忘れません。


同じ辛さを経験をしたことがないと、わからないのは当然ですし、経験していても「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、辛いことが過ぎてしまえば、忘れてしまいます。

私はこのことから、相手の痛みを理解するには「想像すること」が大切なんだと思いました。

想像は無意識ですることはできないので、意識的に想像して、相手の身になって考えるということです。

人によって、からだやこころの痛みの感受性の許容は違うので、誰に対しても気持ちに寄り添うこともないと思います。

ただ想像する力がないと、時として、無神経なことや追い込むようなことを言って、相手を傷つけ、お互いの信頼関係をなくしてしまうこともあるかもしれません。


大したことはできないですが、相手の痛みを想像できる人間でありたいなと思います(^-^)