七夕は旧暦でお盆の1週間前。
先祖供養の準備をはじめる、
先祖の精霊棚と幡を安置する「棚幡(たなばた)」。
だからこの日だったのか、
暑い夏で苦しまないように、
ひとりで旅立たないようにみんながお迎えにきてくれたのか、
実家の愛犬 ジャーマンショートへアードポインターの
ゆうすけが、7月7日、17歳と2ヶ月5日、星になりました。
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先週8日、高松で、「守護霊」や「オーラ」の絵を
パステルや色鉛筆を使い描く事が出来る、
唯一のスピリチュアルカウンセラー斉藤とみよさんに聞いたら、
「おじいちゃん 昔加藤家に犬がいた番犬 加藤清正の用心棒
それがゆうすけで大濵家にきた 「気」をついだ犬
亡くなった後、いっときの安泰が今
大濵家は犬は絶対飼ったほうがいい 番犬 守ってくれる
七夕に亡くなったのは、ゆうすけの兄弟たちがゆうすけを呼んだから
小さい時に離れ離れになった ゆうすけが一番長生きした犬」
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という回答だった。
そうだろうなーとすごく、思う。
写真、頭の上には虹ができてる。
光に守られた犬。
ゆうすけが私のことをどう思っているかと、
タロットでみると、びっくりするくらい、私のことを見抜いていた。
霊感があった犬。そう思う。
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七夕、1ヶ月前から食事を自力でせず水も飲まずだったので、
6,7月週末は毎週、松山に帰省していました。
スポイトでお水をあげたり、
オーガニックのりんごジュースをあげたり、
アロママッサージしたり。
悟ってる顔になってたから、わかっていたんだろうな、空に行くのが。
土日だったから、七夕の翌朝一番の飛行機をとっていたのですが、
金曜の七夕の、運勢が翌日に変わる直前に亡くなって、
あいにく最期は立ち会えなかった。
父と母と妹に見守られ、少し苦しそうな呼吸をした後、息を引き取りました。
七夕の日、前日も神社(三田春日神社や愛宕神社)で、
「元気になりますように。ご飯を食べますように。長生きしますように。」
と神様に、短冊にも書いてお願いしてました。
でも、亡くなっちゃったから、
七夕数時間過ぎちゃったあと、
改めて参拝はできなかったけど、神様へのお願いを変更しました。
「天国でご先祖様や兄弟や近所の仲良しだったわんちゃん達と
一緒に楽しく、元気で幸せな日々を過ごせますように。」
「夢で会えますように。」
ちゃんと、8日に、夢にでてきました。
お礼参りに三田春日神社に行って、
「また夢で会えますように」とお願いしたら、
その日の夜も、夢にでてきた。さすが、大濵家の愛犬。
毎年、7月7日は、大事な日。
お骨は、大濱家のお墓へ。
ご先祖、曾祖父、祖母。
私もここにはいるんだ。
実家に帰るときは、お墓参り。
お家にも、写真とペット供養塔。
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時に、何かを選ぶことは何かを捨てることでもあり、
私は東京に行く、という選択をとった時点で、
ゆうすけに対し、自分が100%責任をおう、
だから餌も散歩も育て方も、病院も治療方針も、全部任せてほしい、
という立場から遠ざかりました。
それらに対する考え方は、家族と私はまったく正反対で、
実家を離れた私に発言権はあっても最終決定権と実行力はなく、
それがもどかしい時もあり、こうしていればもっと一緒に
いれただろうに、と思う事があります。
もちろん、愛媛を、愛犬のそばを離れた事から派生したことで、
家族が判断をする立場になったのは、全て私の意志がもとで決定したこと。
だからこそ起こった現実に対し、過ぎた事に対し、
モノを申す、誰かを責める立場ではないし、
自分原因論、当事者はまぎれもない私。
だから後悔ではなく反省をし、感謝し、次に生かすのみ。
とみよさんに出会えてよかったなと心底思う。
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人は一度巡り会った人と二度と別れる事はできない。影響を受け続ける。
ゆうすけと私も、家族もみんな、きっとそう。
それで十分だし、それが大事なこと。
別れる事も忘れる事も、できないしする必要もない。
大事に大事に、一緒にいればいい。
今も、これからも。