「THE MILLENNIUM PARADE」millennium parade
お笑いコンビ千鳥のノブが、「キング・ヌーの曲の歌い出しぐらい繊細じゃ」とツッコミを入れるほどメジャーになったキング・ヌー。その中心メンバー、常田大希率いるもう一つのバンドがミレニアム・パレードだ。ミュージシャン、映像ディレクター、CGクリエイター、デザイナー、イラストレーターなどから構成される音楽集団という触れ込みだが、ファーストアルバムを聴く限り、常田大希の趣味性がよりストレートに反映されたユニットと言っても過言ではないだろう。キング・ヌーの曲を聴いて思うのは、彼らがピカレスクロマン的な世界を表現するのにふさわしいバンドではないかということ。ピカレスク小説のように歌詞に犯罪や悪漢が出てくるわけでもないが、「白日」や「三文小説」における常田と井口のパフォーマンスからは背徳と浪漫の香りを、あるいは太宰治的な自堕落さへの偏愛を感じてならない。生きるということの罪深さと、デラシネの不安と憧れ。道化の悲哀。そこにあるのは、かっっこう悪さを白日のもとにさらけ出すということのかっこう良さだ。
ミレニアム・パレードはそんなキング・ヌーとは異なり、諧謔や自嘲よりも、サウンドの造形的な面白さをひたすら追求しているように見える。ハープ音から始まる②「Fly with me」の不穏であるがスタイリッシュな導入において炸裂するメタリックな音像はまるでフライング・ロータスが主宰する〈Brainfeeder〉のサウンドのようだ。それもそのはず、常田はフライング・ロータスへのリスペクトを公言しているらしい。綾野剛主演、清水祟監督の映画「ホムンクルス」のサウンドトラック④「Tepanattion」はクラシックのシンフォニーとヒッブホップを融合させた美しい楽曲。ピアニスト兼サウンドクリエーターのチリー・ゴンザレスを
筆頭に、この手の試みは多いが、これほど深みのあるアプローチは少ないだろう。⑥「Plankton」もタイトル通り、水中をたゆたうような無重力感が印象的だ。続く⑦「lost and found」は繊細なヴォーカルと破壊的なインダストリアルビートとの対比が狂おしくも美しい。そして白眉は⑨「2992」。オーケストラとヒップホップの出会いが、カオスを楽園へと昇華させていく過程が圧巻だ。⑪「philip」はアルチュール・アッシュさながらの頽廃的なヴォーカルとバンドネオン風の伴奏がフランスを感じさせる。⑫「Fireworks and Flying Sparks」は日本語の歌声とコンピューターヴォイスがデュエットを奏でるニヒルな哀愁ソング。ゲストヴォーカルに井口理を迎えた⑭「FAMIILIA」だけは、さすがにキング・ヌーの影がちらつくが、猥雑さの中に賛美歌のように響き渡る荘厳なバラードがアルバムの終焉に希望の光を添える。
①「Hyakki Yagyo」の祭り囃子、⑧「matsuri no ato」のオーケストラ、⑩「TOKYO CHAOTIC!!」のサウンドコラージュなど、要所要所に入るインタールードがアクセントになっているが、東京の過去・現在・未来を百鬼夜行(ミレニアム・パレード)=カオスという視点から描き出したアルバムとも言えるだろう。ジャケットに描かれているのは花火だが、このご時世に花火と言うとどうしてもアルベール・カミュの「ペスト」のラストで疫病克服の象徴として打ち上げられる花火を思い出さないわけにはいかない。(あるいは東京オリンピック?)武漢の花火を連想する人もいるだろう。しかし、描かれている花火は百鬼夜行の象徴のように見えるし、パッケージされているサウンドは濃密なしろものだし、すべてがソーシャル・ディスタンスをなし崩しにしていくカオスの狂気に満ちている。つまり、「ペスト」の花火とは対極にあるわけだ。そもそもこれはパレードなんだから、密になるのがあたりまえ、飛沫なんて関係ないというのがアルバムの裏テーマなのかも知れない。だとすれば、花火はかつて2000年の始まりを華々しく彩ったミレニアム花火の残像/亡霊という解釈も可能だろう。それでは余りに救いがないからラストに鎮魂歌のような⑭「FAMIILIA」を持ってきたと考えると納得がいく。
本来は映像やライブ演出にも触れなければならないのだろうが、ここでも和と洋、光と影、絶望と未来といった具合に対立する要素が混在したミレニアム・パレードワールドが具現化されているとだけ言っておこう。
