『加藤周一 青春ノート』(鷲巣力 半田侑子)本書の脚注に、半田侑子さんは次のように書いている。「『青春ノート』において、加藤は一人称として「僕」や「私」を使っていたが、この「一九四一年十ニ月八日」以降、一人称は一貫して「私」であり、「僕」は使われなくなる。」(p 269)たいへん面白い指摘だが、これは書き言葉のことであり、話し言葉としては、「僕」も使っていたようだ。上の座談会(1974)の冒頭に「僕」が出ている。ほかの文章にも出ている可能性はあるのではないか。たとえばヒルダに寄せた詩「ぼくはおぼえている おまえの声を」(1953)。