時間と空間とSNS | 花よりビール

花よりビール

お花とビールに、みんなの笑顔があれば、それで幸せな日々。そして、そんな日々の幸せの中で感じたことを言葉にしてみようと……。自由気ままに綴るだけ。そんな日記。

子供の頃、母に

「日記を書いたら?」って

提案してもらった時

 

「何の意味があるのかわからないから書かない」

という趣旨の返事をした記憶がある。

 

可愛くない~ニヤリ

 

だって、ほんとにわからなかったんだもん💦


 

今思えば、

私が自分の話をしないから、

母は、話すことの代わりに

書いてみたらいいんじゃないか、

と思ってくれたのだと思う。

 

その時は、

特に話したい事も

書きたいことも思いつかなかった。

 

聞いてもらいたいと思うことがあれば

話していたし、

それ以上、何か聞いてもらいたいことは

ないって思っていた。

 

 

でも、本当は

自分のことを知ってもらうことや

話を聞いてもらえることって

嬉しいことだよね。

 

だから、これだけ多くの

SNSが生まれて、

活用されているのだものね。

 

わざわざ電話をして

話すほどのことではないけれど、

 

世の中に、自分の体験を

放り投げると、

反応したい人が反応してくれる。

 

現代なりに、心地よい距離感の

コミュニケーションが

SNSで生まれているのだなと思う。

 

もちろん、どっぷりと対面して

お話しする時間もとっても大切だと思う。

 

 

どうでも良いけど

ちょっと見てっていう感覚も

いいと思う。

 

昔、パプリカをカットしたら

ムンクが出てきたの爆  笑

(みたいなこととかさ!)

 

 

 

さて、今日は、ある試みをしたくて

その準備のために

このブログを見返してみた。

 

読み進めてみて

自分の文章のテイストが、

FacebookやX、Instagramで

書いているテイストと

ちょっと違うなと思った。

 

タイムラインに流れる

それらのSNSは、

なんとなく、文章も

さらっとしている感じがする。

 

スマートフォンで、

スクロールしながら

読む媒体だから、

 

読んで理解したり

感じたりする時間も、

さ~っと、速く

流れるように進んでいくような

 

自然に、読み手としての

感覚も踏まえて書いているのかもしれない。

 

 

一方、ブログを読むと

自分の思考、心の動きに

もう少し、ゆったりとした

時間と空間があるように感じた。

 

ページを開いて

一つ一つの文章を読む

その行為にも

ゆとりがあるんじゃなかろうか。

 

当時の出来事を思い出したり、

あぁ、そんな風に考えたんだねって、

納得しながら読んだり……。

 

せわしなく過ぎていく日常の時間を

取り戻すような感覚が生まれた。

 

 

子供の頃は理解ができなかった日記も、

ブログに残した記録で振り返ることができた時、

どんな体験も、愛おしく思えた。

 

記録しておいて良かったって思えた。

 

自己満足だけど、

自分の人生に与えてもらった

素敵な日常が大切だったって

感じることができたから。

 

その日常に、

たくさんの大切な仲間たちが

関わってくれていたことに

感謝することができたから。

 

 

そうそう。

今、ブログにしても、

他のSNSにしても、

 

記録、というよりは

「発信」の比重が高まっていて、

 

相手に役立つ情報や

楽めるコンテンツ、学べるコンテンツ、

あるいは、広告、告知的なコンテンツを投稿する媒体として

成熟してきている面があると感じるのだけれど

 

肩の力を抜いた、

何者でもない、

ただの一人の人間が

生きている

 

そのありのままが

記録されている文章の空気感には

 

今ココを生きる

感覚を取り戻す

 

そんな役割があるのかな

とも、思ったりしたのでした。