新潟滞在最終日。

ホントは1泊でも十分なんだけど、せっかく新潟まで来たのだから観光もして帰りたかったのですね。


観光で向かった先は新発田。

お城好きな私は新発田城を見たかったのです。

ホントは春日山城跡を見に行きたかったのですが、片道で5時間ぐらいかかりそうなので諦めました。




写真は最近復旧された三階櫓。

でもこの新発田城は下の写真のように自衛隊の施設と隣接していて、その為にせっかく立て直されたこの三階櫓には行けなかったのです。

残念!



新発田の駅から新発田城まで徒歩20分ぐらい?

でも、案内板がずいぶん気まぐれに立っているので、私は道に迷って30分ぐらいかかってしまいました。





正門とその向かいには堀部安兵衛の銅像。

新発田城には安兵衛の父が勤めていたのですが、大失敗をやらかして浪々の身になります。

その為に後に安兵衛は高田馬場の助太刀で名をあげ、堀部氏の養子となり、赤穂浪士の1人として今も人々から愛されているのですね。禍福はあざなえる縄の如し。

でも、安兵衛は新発田城で働いていたわけではないはずなので、彼の銅像を建てるのはどうかと・・・。^^;


このお城の石垣は昔はデコボコした野面積の石垣だったそうですが、江戸時代に地震で崩れたのを修復する際になだらかに表面を切りそろえた”切り込みはぎの石垣”になったそうです。

戦争が耐えなかった時代は実用を重んじ、戦が耐えた江戸時代からは見た目の美しさを重んじる余裕が出来た・・・そう言うことでしょうか?



シャチホコです。

普通シャチホコと言えば左右1対ですが、この新発田城の三階」櫓では3体で一組という珍しい形態を取っています。

何故シャチホコが3体?

なにやら重し色言い枠がありそうで、いずれ調べてみたいですね。



新発田市内はやたらとツバメを見かけました。

そういえば新発田城の本丸である辰巳櫓内にあった資料に、徳川幕府に城主が差し出した起請文にもツバメと思われる鳥らしき絵が多数描かれていましたね。この場所は昔からツバメが多かったのでしょうか?



新発田城は室町時代にまで歴史を遡ることが出来る古いお城です。

そのせいか沢山の別名を持つお城で、舟形城(本丸の形状から名付けられたそうです)、菖蒲城(周辺に田畑を作らせず、菖蒲が沢山自生していたのが由来)、浮船城水害が起きると本丸が水の中に浮いている船に見えたことから名付けられたとか)、狐尾曳ノ城(城を建てる時に縄張りしていたら狐が現れ、その尻尾からヒントを得たという伝説がある)など、いろいろな呼ばれ方をしています。


今回このお城の周囲を歩き回ってみたところ、地元の方々からは菖蒲城という名で親しまれているように感じました。