秀樹さんはもちろんMサラは豪華メンバーだったなぁ | 『ことば選び』は難しい。。。 

秀樹さんはもちろんMサラは豪華メンバーだったなぁ

81年5月3日にスタートした「秀樹とつかさのモーニングサラダ」

毎週土曜日朝7時からのOAでしたが、

あの番組は前日、金曜日の21時から収録して
我々の業界で言う「撮って出し」という状況で
毎週放送されていました。

はい、生放送ではありませんでした。

秀樹さんはもちろんですが、アシスタントも伊藤つかさちゃんからはじまり、白石まるみちやん、安田成美さん、田中さとみさん、財前直見さん、それにとんねるずと素晴らしいメンバーでした。

構成作家はチーフに
宮下康仁さん、そしてまだまだ若手だったご存知、秋元康さん、脚本家の末谷真澄さん。

ディレクターには、今や有名映画監督の堤幸彦さんや後に日テレのドラマチーフとなる櫨山裕子。

と業界ではもちろん、視聴者のみなさんでも知っている様な面々が作っていた番組でした。

そんな番組が始まって2ヶ月、7月の放送分から新人アナウンサーの私がサブ司会者として加入することに。。。

収録スタジオはHスタジオ。南館と西館の間の様な場所にある古い狭目のスタジオでしたね。

トークセットと歌セットがあって、番組のOAフォーマットに従って撮っていく方式で、新人の私にはほとんど生放送と変わりませんでした。

もちろん初めてのレギュラー番組ですし、毎回、歌手や俳優、アイドルのみなさんがゲスト出演する番組ですから緊張しない訳がありません。

秀樹さんがすごいのは、そんな番組の中で、私がトチったり、間違えたりしても全く動じず、様々な方法でフォローしてくれました。

誰かがトチったり、失敗すると、「撮って出し」というシステム上、ディレクターの井上さんや大島さんに「真夜中の編集」という負担がかかります。秀樹さんは、その辺りも考えて、毎回上手くフォローしながら番組を盛り上げていましたね。

その後、私は様々な番組の司会者として仕事を重ねていくことになるのですが、このMサラ、あっ、これは関係者の中での番組の略称ですが、このMサラで、秀樹さんのスタジオ回しやフォローを間近で経験できたことがとても勉強になったと思っています。

秀樹さんは、僕ら出演者はもちろん、ディレクターやADが間違えても決して怒ったり、声を荒らげることはなかったですからね〜。

収録が終わると、秀樹さんは良く僕らをご飯に連れて行ってくれました。あの頃、四谷三丁目というか、荒木町の辺りにあったタン塩が名物の焼肉屋さんに、良く連れて行ってくれたなぁ。。。

フジテレビがまだ、河田町にあって、CX、あっ、これ業界内でのフジテレビの呼び方ですが、CXの御用達の店って言われてましたね。

え〜〜っと、なんて名前だっけなぁ。。。

フジテレビがお台場に引っ越して程なく閉店してしまったようですが。

なんて店だっけなぁ。。。。

誰か、覚えてませんかぁ???

う〜ん、思い出せない。。。。(笑)