お別れしてきました | 『ことば選び』は難しい。。。 

お別れしてきました

空が青く澄んだ日曜の午後

秀樹さんにお別れしてきました。

元モーニングサラダのプロデューサーに声をかけて頂き、一緒に弔問に。。。

迎えてくれた奥様と事務所の前社長は、少し窶れた表情で私たちを迎え入れてくれました。

入れ違いに出て行く弔問客に会釈で挨拶を交わし、奥様たちは休む間もないんだろうなぁと申し訳なく感じました。

少し痩せた秀樹さんは、しっかりとメイクが施され、今にも目を見開いて、悪戯っぽく笑ってくれそうでした。

赤のシャツにネックレスをした秀樹さんは、この日もやっぱり格好良かったなぁ。。。

秀樹さんとの出会いは、日テレにアナウンサーとして入社した1981年7月

毎週土曜の朝に放送していた「秀樹とつかさのモーニングサラダ」のサブ司会者を入社早々に担当することになり、生まれて初めて憧れのスーパースターに麹町のスタジオでプロデューサーから紹介されました。

緊張でろくに言葉も出ない新人の私に
「よろしくね!小倉くん」と優しい笑顔で話しかけてくれました。

その日から毎週、西城秀樹さんと仕事し、食事に行き、酒を酌み交わし、仕事のこと、芸能界のこと、社会人としてのこと、遊びや恋愛のことまで沢山たくさん話し、教えて頂きました。

私たちの結婚式では、私のリクエストで「ラストシーン」を「ジュン、これ別れの歌だぜ!(笑)」って言いながら歌ってくれました。

子供ができたら、まるで我が子のようにメチャメチャ可愛がってくれました。

ちょくちょく我が家に立ち寄ってくれて、「おまえの家は落ち着くなぁ!」なんて言いながら妻の手料理を美味しそうに食べてくれました。

モーニングサラダが終了した後もちょくちょく飲みに誘ってくれました。

秀樹さんの結婚が決まった時も、うちの家族に奥様をキチンと紹介してくれて、すごく嬉しそうに笑ってました。

夫婦同士、家族ぐるみで時折、食事にも行きました。

秀樹さんのご長男の名前は字こそ違いますが、うちの息子と同じ名前です。

体調を崩した後、大変そうな秀樹さんに会うのが辛くてつい足が遠のいてしまったこともあります。

でも、秀樹さんはいつ会っても、いつもの笑顔で
「ジュン、元気か?!体調管理しなくちゃいけないよ!」って注意してくれました。

選挙に出ることを相談した時には、
「絶対やめろ!芸能界よりタチの悪い世界なんだぞ!!」って叱ってくれました。

楽しい25歳のなり方も、明るい30歳の過ごし方も、充実した40歳の迎え方も、厳しい50歳の耐え方も教えてくれたのに、僕の還暦も祝ってくれないまま、僕の息子の結婚報告も聞かないまま、秀樹さんは逝ってしまった。。。


誰に70歳のなり方を教わればいいんですか?!


しばらくしたらそちらに行きますから、また、いろいろ教えてくださいね!


長い間、本当に本当にほんとうにお世話になりました。

ありがとうございました。

ジュン