拷問や虐殺の話をします

苦手な方は読まない方がいいと思います

しかし、たった30年ほど前にあった事実です

 

 

 

 

 

カンボジアが語られる際によく話になるのが

ポルポト政権下での虐殺

 

はっきり言って

目を逸らしたかったんだけど

それでもやっぱり少しでも理解しようと思って

人々が連行され

拷問を受け

虐殺されたかつての刑務所

トゥールスレン博物館に行ってきました

 

 

かつて虐殺が行われていたとは信じられない

今は緑あふれる静かな場所です

 

 

 

 

(カンボジア全土には

こういった刑務所が

確認されているだけでも

200箇所以上あるらしい。)

 

 

ちなみに私たちからしてみると

ただただ虐殺しただけに見えるんだけど

 

ポルポト政権としてみたら

一応連行・拷問・虐殺するに

価する理由があったみたいで??

 

その思想が分かりやすく書かれていたサイトがこちらです

https://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n87481

 

 

 

争いのない平和な国家を作るには

「教育いらーーん!!!」

「芸術いらーーーん!!!!」

「その血を受け継いだ

子どもや家族も残しておいてはいけなーーい!!」

「文字が読める!??教育受けただろーーー!!!」

と教育者・専門職・アーティスト・

そしてその家族・外国人も(スパイとみなされたみたい)

次々と収容され

 

 

1975年から1979年の4年あまりの間

カンボジア全土で

国民の3分の1、4分の1を占める

200万人とも300万人とも言われる

尊い命が失われたのだとか

(ポルポト政権は

この虐殺・連行を秘密裏に行っていたため

正確なことは闇の中みたい)

 

 

1979年って

がっつり私の親はこの世に生を受けてるし

親が10代とか20代の頃の話なんだな、って思ったら

最近の話すぎてびっくりした

 

 

ポルポト政権=虐殺、のイメージなんだけど

教育を受けた人たちだけじゃなくて

 

そうじゃない人たちも

強制疎開させられて農業に従事させられていたらしく

 

首都プノンペンを含めた大都市は

もはやゴーストタウンになっていたみたい

 

 

ポルポト政権は

本当にカンボジアの全国民に

大きな傷を与えたんだな~と感じました

 

 

 

 

トゥールスレン博物館は

高校が刑務所になった場所で

ここでは4年間の間に2万人が収容され

生還できたのはたった7人

 

しかもその7人は絵描きや整備士だったりして

ポルポト政権の下で働いてもらお、ということで

拷問を受けずに刑務所内にいた方々らしい。

 

最後ポルポト政権が崩壊して

この刑務所にベトナム軍とかが入ってきた時。

刑務官たちは

まだ生きていた収容者を

情報が漏洩しないようにと

わざわざ殺して逃げていったみたい

 

博物館には

最後殺された14名の方々のお墓と

最後の姿の写真が残されていたんだけど

 

鉄のベットの上で手足を繋がれ

やせ細って

どこがどの部分なのか分からないくらい

めちゃくちゃにされていて

こんなことを何百万人にもしてたんだ、って思うと

胸がつまって

呼吸ができなくなった。

 

白いものが

その方々のお墓

 

 

 

校舎は

・拷問を行う部屋

(叫び声が外に聞こえないように

窓や空気孔が全て塞がれていた)

 

・拷問を行う前の待機部屋である独居房

(1つの教室がレンガで20くらいの小部屋に分かれていた。

排泄物は小さな箱にしなきゃいけないみたいで

そこから漏れたら舐めて掃除させられていたらしい)

 

・60人が横になって鎖で繋がれていた大部屋

に分かれていて

 

2階以上の廊下には

自殺防止に鉄格子がはめられていた。

 

この環境下では

自殺する方が幸せと感じた方も多かったようで

石油ランプを頭から被ったり

取り調べで使っていたペンで喉を刺したり

生きるため、ではなく

死ぬため、に必死な人々の説明もありました

 

 

拷問も

なんの罪も犯していない人たちに

「殺すに価する調書を取らせるため」に拷問しつづけ

 

納得できる答えが出て

調書に自筆でサインさせたら

殺していたらしい。

 

 

 

なので「とりあえず殺せ!」ではなくて

「調書とってから殺す」ことが大切だったらしく

拷問で死んだら困るから

2、3ヶ月ちょろっと医療の勉強した?刑務官達が

医療という名の

これまた拷問と大差ない行為を行っていたみたい

 

でも医療器具も何もないから

点滴が野菜の汁だったり

ひどいものだったよう。

 

 

刑務所の刑務官?は

ポルポト政権の思想に染まりやすいから、と

10代前半から

高くても20代前半の子ども達が選ばれていたそうです

(でも結局この子ども達も

この刑務所の事が外に漏れないように、と

最後は殺されたみたい)

 

 

刑務官の話もあったけど

「拷問することに何の抵抗もなかった」

という話をしていて

操作とか思考とか教育の影響の強さを感じました

 

 

拷問内容も

子ども達が使っていた遊具を絞首台みたいにして

気絶したら

汚物が入ったツボに漬けるとか

 

女の人の体を刻んで

傷口にムカデ放す、とか

 

水責めにする、とか

 

 

 

 

いや~

これが本当に人間のすることなのかな?

しかも同じ国の人同士でしょ?

と本当に信じられなくて

争いの無意味さを本当に実感しました

 

 

「この時代に生まれてよかったね」って主人が言ってたけど

この時代の日本に生まれてよかったね」

というのが多分正解で

 

 

今この瞬間も

争いで苦しんでいる人がたくさんいて

 

痛ましい現実が

この博物館みたいに

「見える化」されるのって

 

それが「過去の出来事」

になったからだから。

 

 

過去の痛みから学ぶことはもちろん大事なんだけど

 

その痛みが「今」のうちに

その苦しみが少しでも早くなくなるよう

何かできることってないのかな、と

日本に帰ってから

私ができること、を考えるきっかけとなりました

 

 

学校の門をくぐると

私たちは簡単に日常に戻れて。

 

だけど

この門から

出ることを許されなかった人たちもたくさんいて。

 

 

 

ここで知ったことを

忘れることも

目を逸らすことも出来るんだけど

教えてもらったことをしっかりと活かしていこうと決めました

 

 

 

 

 

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