フンドアンにある温泉に向かう時

ガイドが必要なため

ドライバーのエドヴァンが

街のはずれでガイドさんを探してくれて

その人と一緒に小一時間歩きました

 

この人は英語が全くできなくて

名前も聞けなくて。

 

ドライバーのエドヴァンは英語が堪能なので

なんの違いだ?と思って

後でエドヴァンに聞くと

 

学校に行っているか行っていないかの違いだ、と。

 

とってもお世話になったエドヴァンさん♩

 

 

 

ハッパオにも学校があるけれど

親の仕事が忙しければ

学校に行かせずに働かせるから

学校に行ってなかったんだろう、と。

 

親の仕事って

この棚田の仕事かな??

 

もしかしたら

この人の教育の機会を奪ってまで創られているのが

この美しい景色なのかな?

なんだか複雑な気持ちになった

 

実はこの棚田達は

「世界遺産」と同時に

その存続が危ぶまれる「危機遺産」にも登録されている

後継者不足が原因だそうだ。

 

ある意味、当たり前かな、とも思う。

 

この棚田がある中は

私たちがフィリピンで見てきた町の中でも

極端に貧しかったように思う

 

フィリピンの人たちは英語ができる。

英語が出来ればガイド、という道が開ける。

そこには交通や情報の発達、という時代背景もあったはずだろうけど

 

だけどこの流れを加速させたのは恐らく、

皮肉なことだけれど

 

世界遺産への登録なんじゃないかと思う。

 

世界遺産というビックネームが

この村に観光客を呼び寄せ

 

そしてその結果

人々は「農業」という

ガイドや観光業に比べると

賃金の低い職業に見切りをつけてしまったんじゃないかな?

 

1日目にお世話になったドライバー エドヴァンも

朝と夕方はお米作って

昼間は観光客向けにドライバーしてる、って言ってたし

 

旅行者から見ると

自然と共存した素晴らしい生き方だし

ずーーーっとこの素晴らしい景色や生活が続いていけば、と願うんだけど

 

同時に

「発展から取り残された」という貧しさと

「農業しか選択肢がない」という生活が

この景観と生き方を人々に続けさせているようにも思う

 

 

私が知っている日本で農業を愛し頑張っている人って

色々な世界を見た上で

「やっぱり農業が大事だ」って

「帰ってくる」人が多い印象がある。

 

最初から農業っていう道しかなかったら

誰だって

その重要性や素晴らしさ、楽しさに気づきにくいんじゃないかな

 

バナウェの人たちが

どれほど外の世界を感じていて

どれほどバナウェ、という町に生き方や職業選択の自由があるかは分からないけれど

 

今見ている景色が

バナウェの人たちの犠牲によって出来ているのではなく

 

希望と楽しさで出来ていますように。

 

 

 

 

 

 

ブログランキング参加始めました♡

よければポチっと応援よろしくお願いします♡

 

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村