「夢」は
底抜けに明るい未来への希望、だけではなく
胸を締め付けるような「切なる願い」が込められている。
と感じたのは20歳の時。
 
 
 
 
彼は言いました。
 
「私にとっての夢は
いつまでも
友人、家族、そして牛と暮らすこと」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
20歳の時
ふとしたきっかけでケニアに渡り
そして、マサイ族の村に4日滞在させていただきました。
 
 
 
 
彼らと出会うまで
私が持つマサイのイメージは非常に乏しく、
「すごい跳躍力」
その一点のみ。
 
 
お邪魔したマサイ族の村の長老である
ジャクソンさんに
「ジャンプ見せてください」
そういうと
 
「疲れるからやらない。
ジャンプは獲物を見つけるために行うもの。」
いきなり「マサイ」のイメージが大崩壊した私。笑
 
(ジャンプを披露するのは
マサイ族の生活を見せることでお金を稼いでいる
「観光マサイ」だそうです笑)
 
 
 
 
私は恐ろしいほどに
目の前の人のことを、
そして世界のことを知りませんでした。
 
 
 
 
なぜ、夢の中に「牛」が入っていたのか。
 
実はマサイの主食は「牛の乳」
 
 
 
主食というより
「食べ物はそれ」と言ってもいいレベルらしく
それさえ飲んでおけば生きていけるそうです。
 
 
滞在した村には300頭ほどの牛がいて
1頭1頭すべての牛に名前があると言っていました。
 
朝焼けの中
牛の首に着いた鈴が辺り一面に鳴り響きながら
草原に向かっていく姿は
「壮大」の一言。
 
 
 
 
そう、
「牛」がいれば
彼らは生きていけるのです。
 
 
 
 
 
私は大学で教育を専攻しました。
 
日本のシステムの中で育った私は
「学校=当たり前」
「学校=子どものため」
「学校がない地域に学校を作る支援=正しい」
と思っていました。
 
 
 
が、マサイ族の方は言っていました。
 
「学校というシステムの導入が
私たちの文化を崩壊させる」
 
 
 
マサイ族の人生には4つの段階があり
20歳くらいまでの男性は
山にこもって集団生活を行い
そこで狩りの仕方や
牛の飼い方
リーダーシップ、
「生きる知恵」を学びます。
 
 
しかし、
「支援」という名のもと
マサイ族の村の周りに学校が建設され
少しずつ、学校に通うマサイの子どもが増加。
 
山で集団生活をするマサイの子どもが減っているそうで
それはつまり
伝承できる文化の減少を意味します。
 
 
学校は人間性を育む場所として最適だと思っていましたが
私が出会ったマサイは
生き方も考え方も本当に素晴らしい人たちばかり。
 
 
マサイが学校に通う意味とは?
 
マサイの文化をなくしてまで
現代社会のシステムの中で生きるためだけの
教育をする意味とは??
 
 
 
 
 
ジャクソンさんの夢はエゴかもしれません。
私の願いもエゴなのかもしれません。
 
 
学校に行き町に出て働くことを望むマサイもいるでしょう。
 
でも私はジャクソンさんと同じく
マサイ族の文化がいつまでも残ってほしい。
 
 
 
「豊かさ」が
「多様な選択肢である」とするならば
 
 
「学校にいく自由」と同時に
「マサイがマサイであり続けられる自由」も残したっていいじゃない。
 
 
 
 
 
 
 
 
「私の夢は
いつまでも
家族、友人、そして牛と暮らすこと」
 
 
 
 
その一言には
 
ジャクソンさんにとっての大切なもの
 
そしてそれらが直面している
社会的な問題や背景すらをも
含有されていました。
 
 
 
 
人の夢は美しいと思います。
希望だと思います。
 
そして同時に
「それを望まなければならない理由」があるから
人はそれを「夢」とするんだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
私は世界一周をしながら
たくさんの人の夢や生き方、価値観に触れ
それを伝えていきたい。
 
 
 
 
それを伝えることで
 
「わ、こんな生き方あるんだ」と
自分の未来の選択肢が広がって
生きるのが楽になる人がいると思うし
 
輝く夢を通して
 
1人1人の
「大切にしているもの」
「その夢を抱く理由」が伝われば
 
様々な生き方を尊重することになって
結果として世界中が仲良くなれると思う。
 
 
 
 
 
「世界中を巡りながら
人々の生き方や価値観を伝える」
私の使命!
果たさなきゃっっっはーとはーとはーと