こんにちは。Oguです。
お盆が終わったのに暑いですね。
私の会社はお盆休みはないので、基本は出勤日。
主人が休みなので14日のみ休んで後は出かける予定もなかったので
出勤していました。
お盆なので、もちろん主人の実家にも行ったのですが、
義理父が歯の治療中でやわらかい物しか食べれないらしく、
会食は9月にしましょうとなったので、お参りのみ。
しかも仕事終わってから1時間30分ほどで済ませました。
義理父が久しぶりにあったのですごく喜んでくれたので、
たまには行ってあげないとなぁと一瞬だけ思いました(笑)
そんなこんなでお盆らしいことはしていませんが、
私の実家は禅宗で、13~15日は食事の準備をしたり、母は大忙し。
今時こんなにやる人いないよと言いつつ、
母は「私の代までだけど、やれるうちはやるわ。」と言っています。
ただ、肝臓が悪く疲れやすいので手伝いに行きました。
何かのテレビを見ていた時、なぜその話になったかわからないけれど、
自分の子供はすごくかわいい、かわいいというか大切みたいなことで究極論まで話が進み、
「私が殺人犯したとしてもかわいいと思う?」と聞いたら、
母は「戸惑うし、泣くと思うし、殺した相手にもよるけれど、でもやっぱり
最後は許すし、心配すると思う。」と。
すっかり体も弱くなり、守ってくれる感ないけれど、母の強さと愛の深さを感じました。
私は子供を持つのは積極的にはやめたけれど、お酒も好きな時に飲めるし、
お金の心配もなくなったし、いろいろ精神的にも家計的にも楽になったのか
とも思っていて、後悔はしてないけれど、この母の母親的感覚は一生持つことはない
だろうなぁと思いました。
私は私以上に大事な存在はいない。
母はきっと自分以上に私や兄が大事な存在。
私は主人を大事に思っているけれど、自分のことを犠牲にしてまでは思っていない。
そして、私は母をこんな弱くなった母を頼りにしている。
私のことを頼ってくれる人、絶大に信頼してくれる人を持つこともない。
子供を持つのをやめた時、この感覚を持つのもあきらめた。
子供のいない私にはもてないこの感情。持つことのない感情。
従妹とその子供とハワイに行った時、とある場所でショーを見ていた時、大きな
ムカデが出てきた。私は思わずきゃーとなり、逃げたけれど、
従妹はすぐ子供を抱き上げていた。
私はその子がめちゃくちゃ可愛くて、大好きだけれど、ムカデを見た瞬間は
自分の恐怖が勝り、いること自体も一瞬忘れた。
きっと身の危険を感じた時も私は私以外に考える人がいないのだと思った。
母になるってすごいなぁ。
それをあきらめた私が持つことのできない感覚。
なんだか変なブログになりすみません。
丁寧語と普通語がまざった読みにくいブログですみません。
お盆はお気に入りのお取りよせで手巻き寿司注文しました。
相変わらず美味しかったです。