猿投山登山~愛知の山11座目~豊田ライフ4日目 | 山と素人絵日記

山と素人絵日記

週末を待ちわびて夫婦であちこちの山や観光地に出かけています。
数年前から思い出を絵にすることにしました。

 猿投山 629m
<日付> 2018年1月18日
<天候> 晴れのち曇り
<山域> 豊田市の西に在り、三河高原の北西端に位置し、古くから霊山として崇められ山麓に
       は猿投神社がある。

娘たちとの豊田生活も4日目となると孫より山の僕には厳しい。だから暗黙の裡にフリータイムが

一日与えられるようになった。で、今回が11山目ということになる。



豊田市内の中心部を貫くR248だ。前方に見える山が猿投山ということを今回の山行で初めて知っ

 時間は7時半、まもなく豊田市駅が左方にみえるはず。

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豊田市内のR248からR419を一路北上してきた。途中、南山国際高校の隣を走ったがこんな田

舎に、と驚かされたり、ゴール直前には、東海環状自動車道の巨大な橋げたの下をビニースしたり

猿投グリーンロードをクロスしたりで、僕は初めての地を走ると自然と血が騒ぐ体質らしいキョロキョロ


家を出てから約30分で登山口に近い猿投神社裏の駐車場に着いた。すでに15台先着の車が

あった!広場の隅の登山案内掲示で登山口を確認していたら、かなり高齢の男性が、声をかけて

くれて通り過ぎた。僕は後を追う形となった。

<猿投神社>  ここからPまで約500mです。     <トロミル水車>  現在は観光用水車                                   
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僕の山行スタイルは、「初め超ゆっくり、中ゆっくり、帰りは早い目」ですが、先輩は小柄にもかかわ

らず足が速く、なかなか距離が詰まらない。、ようやく登山口で追いつきました。これより山道です。

<御鞍岩>  パンフと表記が違っています。    <登山口> 山頂まで3,4キロ、1:40分の標識
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登山口の上の御門杉を越え約30分で東海自然歩道避難小屋に到着しました。先輩は上着を脱

ぎ、ザックに収めついでに水分補給です。僕も同じようにします。まさに瞬殺でした。すっかり先輩

に魅せられてしまいました。その時はどれだけ時間がかかっても構わない。山頂まであとに従おう

と決めていました。

<先輩のプロフィル> 

今年5月で、85歳! 腰の闘病後、リハビリのつもりで約10年ほど前から山行を始める。猿投

山にはすでに千回以上登頂!お住まいは東豊田IC付近で僕より遠い。片道約40分。週3回は猿

投山山行。出会うハイカーは皆先輩に挨拶を欠かさない、云わば、猿投山の主。

この後、別ルートである武田道との合流地点を越えてほどなく、僕を気遣ってか、東海自然歩道を

はずれ巨岩の間をぬって展望地へと案内していただいた。

<展望地>                           <豊田市内>
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気持よい登山道と木の階段道を繰り返していると、突然車道に出た。左折するとすぐ東の宮の入り

口にあたる鳥居が現れる。

                                <東の宮・鳥居> 東の宮まで30分の標識
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東の宮鳥居を潜ると、木の階段の急登が続く。階段は間伐材で随時補修されているらしい。緩や

かな山腹の道を往くとツガの大木の林となる。↙下の大木の根元の穴は別の木で埋められていた。

スズメバチの巣ができハイカーたちが大勢襲撃を受けたという。山では常に気をつけておかねばな

らない。道端にツルニンジンの竹杭が3本立っていたが言われなければわからない。シーズンには

ツルアジサイが杉の木に生え美しいらしいので見てみたいものだ。

所で、この辺り一帯は日本三大はげ山だったんだと言って先輩はニヤリとする。この先山頂の向こ

う側は瀬戸市らしい。成程と合点がいった。

最後の木の階段を登り詰めると、広い境内に続く平坦な参詣道に出た。

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先輩に続き山での安全とを家族の健康を祈願する。社殿の左下の鉄の橋を渡り尾根上の登山道

を進む。山では話しながら歩くというのは結構骨が折れるものだが、先輩はヘッチャラのようで歩行

に乱れはない。 途中樹間から、展望が覗く。大川入山(間違っているかもしれない)はマークして

いた山で、先日南信州のひまわりの湯でも情報収集済みだ。近畿の最高峰、八経ケ岳とほぼ同じ

標高(19*0m)を持つ山だ。今春が楽しみだ。

<東の宮>                           <恵那山(左)&大川入山(右)>
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好展望地のすぐそばに異様な磐が出現する。誰かが目を描いたようだが、後から来た常連風の女

性が余計なことをすると言ってお冠であった。カエルのお尻のあたりの木に巣箱が架かっていた。

通り過ぎるハイカーは一様にのぞき込んでは、「今日はいないわね。」と言って残念がる。

モモンガの巣らしい。この隣の登山道をはずれ降れば西の宮の近道だと先輩に教わる。

<カエル岩>                         <モモンガの巣>
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この後先輩のお仲間たちが来た。先輩は僕を写真オタッキーとおもわれたか、好

展望地へのルートを授けてくれた。行かないわけにはいかぬ。

 <中央アルプス> 右端は恵那山           <ズーム> 木曽駒や空木はどれや?
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なだらかな尾根を回り込むと前方に、大勢のハイカーたちの中に先輩の姿も認めた。山頂だ!

反対側(瀬戸市雲興寺5,5キロ、3時間コース)からのハイカーもみな顔見知りらしく山頂は足跡

サロンと化したようだ。僕が三重県の津市からだと知ると皆さん、とても歓待してくれた。これも先輩

のお陰なのだが。

                                 <猿投山山頂> 
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先輩に正面が白山だと教わるがはっきりしない。御岳山は?と尋ねると先輩は大きく視線を右側に

振りながら屈みがちに体を逆方向へ移動させた。一段低くなったところから御岳山が意外なほど鮮

明で大きく見えた。


                                                <うっすらと白山( ^ω^)・・・>
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                   <御岳山> 当時は噴煙もはっきり目視できたらしい。
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先輩は、往路と同じルートで皆さんと下るというのでここで別れることになった。先輩に教わったモ

モンガの巣付近から、急な山腹を西の宮をめざし駆け下りた。モモンガは姿を見せなかった、残念

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急な尾根道だが踏み跡は鮮明で途中、御船石という好展望地で立ち止まる。更に下ると頭上に異

様な遺跡跡(廃墟?)が出現した。訪れてみたが石塀の中は空洞なので風化する社殿跡かな?

ぐらいで興味も沸かず後にした。 

後で知ったことだが、と言って、この地の開拓に尽くされた大碓命の墓であったのだ。大碓命は

日本武尊(ヤマトタケル)の双子の兄弟としても有名だということだ。ふむ~!?。

<御船石(おふねいし)>                  <御墓所>
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御墓所からは立派な石の階段が続く。最後に両手を話して歩くのは怖いほどのきつい勾配となり、

降り切った地点が広い西の宮の境内の片隅だ。

                           <西の宮>
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 <西の宮への鳥居>
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 西の宮から約10分登山道を下ると

 鳥居と車道が見え始める。 車道を

 左折し1,8キロの苦手な車道歩きが

 続く。

車道の合流地点に出た。右からの道は通行止めになっている。 その廃道を150mばかりはいり

『猿投七滝』の最上流部にあたる血洗いの滝を目指した。

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七つの滝はどれも規模が小さくて、地形的な魅力に乏しく画像的には映え不足のため割愛した。

歴史的には・・・これも疎いし( ^ω^)・・・

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七滝の途中で知り合った伊良湖の男性と猿投神社まで同行した。釣具屋さんで、「仕事は海で、

遊びは山」というから幸せだね、と言って笑い合った。彼は蝶にも憧憬が深く僕ととても気が合っ

た。山道から里に下り集落の裏側を歩く。

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山の裾に関葵(カンアオイ)というギフチョウの好む植物を教えていただいた。僕はまだ生きたままのギフチョウには出会ったことがない。そのお返しに猪の罠を、これは誰でも知っているか((笑))

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猿投神社

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境内から出て猿投川の右岸を走る山腹で2度出会った車道を5分ばかり歩くと、

大悲殿 東昌寺前の駐車場に着いた。出発前の車の倍以上に増えていた。人気の山と知る。


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