ogricat-creationのブログ

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趣味の写真と、包丁を研ぐことなどを書いていこうと思います。
カメラはソニーのα7Ⅲを使用しています。

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それをきっかけに過去の記事を読み返していると、四年ほど前に、裁ち鋏を再生した記事が出てきました。

弟子
「覚えていますよ。切れない庄三郎を、あれこれ研いだやつですね」

そうでした。

当時、どうしても切れなかった「庄三郎 上作」の裁ち鋏です。数日間、その鋏のことばかり考え、刃を研ぎ、噛み合わせを調整し、いろいろと手を加えました。

記事の題名は、

『庄三郎 上作の復活劇の巻(SDGsとは)』

です。

あれから四年。

その庄三郎は、今では妻のお気に入りになっています。

 

 

日本の裁ち鋏の始まり

そもそも、日本の裁ち鋏が大きく発展したのは、明治時代になってからといわれています。

和服は基本的に直線裁ちです。そのため、古くは布を裁つ際に、裁ち包丁のような刃物を使うことができました。

ところが、洋服には曲線部分が多くあります。西洋式の衣服が広まるにつれ、布を曲線に沿って切るための大きな鋏が必要になりました。

裁ち鋏は「ラシャ鋏」とも呼ばれます。ラシャとは毛織物のことで、西洋の服飾文化とともに日本へ広まったものです。

同じ頃、明治9年、1876年の廃刀令によって、刀を作る職人たちは大きな転換を迫られました。

そこで、日本刀を作るために培われてきた、

  • 鋼を鍛える技術
  • 地金と鋼を合わせる技術
  • 焼入れの技術
  • 刃を研ぎ上げる技術

などが、包丁や鋏といった生活のための刃物に生かされていきます。

日本の裁ち鋏の祖として知られるのが、吉田弥十郎、通称「弥吉」です。

その技術の流れをくむ鋏として、「長太郎」「長勝」「庄三郎」などの名前が伝えられています。

 

長勝――岡本勝弘作

まずは「長勝」です。

作者は岡本勝弘さん。東京の伝統的な裁ち鋏職人として知られ、無形文化財に関わる職人として紹介される方です。

この鋏は、まさに「持ってけ泥棒」のようなお値段で入手しました。

おそらく総火造りの鋏だと思います。

全体を眺めると、一つ一つの面にわずかな揺らぎがあります。機械で均一に削り出したものとは違う、人の手で形を作った温かさを感じます。

一度、新潟の研ぎ屋さんに出しています。

現在、切れ味に問題はありません。

ただし、切れることと、使いやすいことは必ずしも同じではありません。重さ、刃の当たり、開閉の感触なども、鋏の使い心地を大きく左右します。

 

この長勝には、本体と要ネジの両方に「5」の刻印があります。

以前、ChatGPTはサイズを表す番号ではないかと答えましたが、本体とネジの両方に同じ数字が入っていることを考えると、サイズ表示というより、製作時の「合番」ではないかと思います。

裁ち鋏は、左右の刃と要ネジを一組ずつ擦り合わせて調整します。

調整済みの本体とネジが入れ替わらないよう、同じ番号を打ったのではないでしょうか。

もちろん、これは今のところ私の推測です。

 

四年前に触った庄三郎

次は、以前あまりにも切れなかったため、私が散々触った「庄三郎 上作」です。

三本の中では、年代的に最も新しい鋏だと思います。

私の手元に来た当初は、本当に切れませんでした。

今回、昔のブログを読み返して、

「そうか。私は、こんなにいろいろ触っていたのか」

と、あらためて思い出しました。

刃を研ぐだけではなく、刃の当たりや噛み合わせについても、かなり悩んでいたようです。

 

 

その鋏が、今では妻のお気に入りです。

確かに、滑らかな切れ味をしています。

長勝もよく切れます。

しかし、刃が触れ合うときの当たりは、庄三郎の方が軽く感じられます。開閉にも重さがなく、妻にはこちらの方が使いやすいのでしょう。

鋏は、単純に切れ味の鋭さだけでは評価できません。

使う人の手の大きさや力、切る布、使い方によって、好まれる鋏も変わります。

四年前、どうしても切れずに悩んだ鋏が、今では妻に選ばれ、日常の中で使われています。

それが何よりうれしいことです。

 

 

もう一本の古い庄三郎

最後も庄三郎です。

こちらは、先ほどの庄三郎より古いものだと思います。

残念ながら、現在はよく切れません。

まったく切れないわけではありませんが、布を気持ちよく裁てる状態ではありません。

気が向いたときに研ぎへ出すか、それとも自分で調整するか。

迷うところです。

以前の庄三郎のように自分で触ってみたい気持ちもありますが、古い鋏には、長い年月の中で作られた独特の当たりがあります。

研げばよいというものではなく、どこまで手を入れるかの判断が難しいところです。

 

手作りの鋏

現在の工業技術を使えば、非常に精密な刃物を大量に作ることができます。

医療用の刃物さえ、一定した品質で大量生産される時代です。実用品としてよく切れる鋏を作ること自体は、決して難しいことではないのでしょう。

それでも、私は手作りの鋏に引かれます。

岡本勝弘さんが作った長勝は、岡本さんにしか作れません。

仮に同じ寸法、同じ材質で別の職人が作ったとしても、それはまったく同じ鋏にはならないでしょう。

工業製品と手作り品のどちらが優秀か、という話ではありません。

均一さや価格、扱いやすさでは、現在の製品の方が優れている場合もあります。

それでも、鉄を熱し、叩き、形を作り、焼きを入れ、左右の刃を擦り合わせた職人の存在が感じられる。

私は、そうした道具が好きなのです。

古い鋏と新しい鋏

刃先の形、刃全体の厚み、使われている鋼、要ネジの構造など、裁ち鋏も時代とともに変化しているようです。

古い鋏を見ると、地金と鋼の違いが、いかにも「鉄」として感じられます。

一方、新しい鋏は、表面が整っていることもあり、鉄というより均一な金属製品に見えます。

古いものが必ず優れているわけではありません。

実際、今回の古い庄三郎は、今のままでは十分に切れません。

しかし、手の跡や、時代による作りの違いを見比べられることも、古い刃物を持つ楽しみの一つです。

四年前に再生した庄三郎。

職人の手による長勝。

そして、まだ十分には切れない古い庄三郎。

同じ裁ち鋏でも、それぞれに違う表情があります。

さて、古い庄三郎をどうするか。

しばらく眺めながら、考えてみることにします。

横では、クレアがこちらを見ています。