ogricat-creationのブログ

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趣味の写真と、包丁を研ぐことなどを書いていこうと思います。
カメラはソニーのα7Ⅲを使用しています。

毎年春と秋にお彼岸が有ります。彼岸の中日と言いますが、昼と夜の時間が同じ日のイメージでしょうか。仏教では彼岸とはこの世の反対側で悟りの境地を意味するようです。以前、般若心経を覚えたことが有ります。深川 成田山で購入した「般若心経」では、悟りの境地を空虚性と説明が有ります。様々な解釈があるのかも知れませんが「無」「空」などのキーワードが有るようです。無はそのそも何も存在しない事になります。空では器のようなものがありその中が空っぽとなります。空虚であるならば、悩むこともありません。様々な問題もはじめから空っぽと考えれば悩む必要自体が不要となります。立場やお金、時間全て存在するから問題となり得ます。悟りの境地に至れるかは分かりませんが、悩みの無い生活を送りたいと願います。

 

さて、お彼岸の中日の朝早くお出かけしました。

妻「明日、いすみ鉄道に連れて行ってくれない」

4時半ごろ出発です。一番列車は6時前です。一番乗りでした。私たちだけならベストなのですが、おそらくカメラ教室の4人組のカメラマンがやってきました。構図的には踏切で私とクレアで撮ろうと考えたのですが、私が入るとカメラ教室の人たちには邪魔だろうと考えました。別に気にする必要はないのかも知れませんが(踏切は普通の生活道路です)、矢張り遠くから来ていると考えると気を使います。

 

いすみ鉄道の踏切で写真を撮り終わっても7時前です。近くの海岸に立ち寄ることにしました。サーファーが沢山います。

波しぶきを背景にクレアを撮りました。

 

通りがかりにミモザが有りました。お店の方にお断りして一枚です。

お土産のイチゴ

 

いすみ市のふくだやさんでどら焼きを買いました。

 

今日は、鉋を紹介したいと思います。以前は良く登場した鉋ですが、最近はご無沙汰です。昨年仕事が忙しくなり、通っていた木工教室を辞めてから触る機会が減りました。下の鉋は「圭三郎」寸八スウェーデン綱です。研ぎやすく切れる刃は流石だと思います。

 

特に刃物は裏が命です。特に鉋では糸裏が基本と教わりますた。圭三郎ですがもっと薄くても良いのだと思います。

刃物の研ぎ方では、裏の作り方はとても難しく経験が必要です。私の技術では60点程度でしょうか。表はなんとか研げる様になったのですが裏の研ぎ方はまだまだ分かっていないと思います。

 

砥石は、鳴滝正本山です。古いものだと思います。研磨力はある方だと思います。最終と言うよりはその手前かも知れません。

 

裏ですが、皮の感じから何となく鳴滝で間違いが無いように思います。しかし、石で鉄の刃物を研ぐのですから不思議に感じます。硬い石に見えますが刃物を当てるととても滑らかに研いでいきます。この魅力は好きな人しか分からないと思います。

 

本日のまとめ

 

クレア「お父さん最近また研ぐことが出てきましたね」

以前は朝起きると考えずとも研いでいました。最近は研ごうかと考えてから研ぎますのでテンションは違うかも知れません。

私のイメージでは、毎日1時間程度、5年間くらい研ぐと身に付くように思います。

弟子「毎日研げば良いのですか」

私「一つだけ説明が足りなかったです。毎日悩みながら1時間研ぐ事が重要です」

ただ研ぐだけでは矢張り足りないと思います。良い刃物はどんなものか、どう研いだら良いのかと悩みながら研ぐことでその人の理想の研ぎ方が完成するのでは無いでしょうか。

クレア「お父さんの研ぎは正解なのですか?」

私「、、、、、どうでしょうか。正解では無いのかも知れません。でも研ぎとはそうゆうものです」

研ぎは一生と言います。それほど奥が深いのだと思うます。以前、研師の藤原さんがおっしゃていました。

藤原さん「矢張り、人造砥石よりは天然砥石で研いだ方が勉強になります。天然は適当に研いでは応えてくれませんからね」

天然砥石の難しい点を表現していると思います。

研ぎで悟りの境地を感じるのはどんな時なのでしょうか。

クレア「お父さんはどう思うのですか」

私「空でしょうか。器があるのですが空っぽで良いのだと分かった際に感じるのだと思います。悩みながら研いでいるうちは空虚では有りません。何も考えず研いで出来上がった刃に対して何も感じなくなった時が最高だと思います」

弟子「何も感じないとは」

私「良く研げたとか、まだまだとか感じたり考えるうちは矢張り空っぽではありません。何も感じないとは、正解も不正解も無く研ぎ上がった刃物は十分な仕事をする事が出来る状態のため、満足もしなければ不満も感じないように研げるようになる事です」

弟子「いつ頃そうなりそうですか」

私「一生かかると思います」

 

先は長いことだけは確かです。