小さな奇跡。 | ogo-log

小さな奇跡。


「それはセレネーのケーキです。」


9/25にシェフが急逝して9/30に

閉店した根津の名店、セレネー。


「この世に無いはずのケーキ」が

10/6の今、自分の目の前にある。


(え?え?え?)


ケーキは全部売り切ったはずだ。


この眼でキッチリと確かめた。


なんだ、これ……?


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セレネー閉店から初七日の10/6、

セレネーの前で祈りを捧げた後に

訪問したセレネーとのご縁が深い

「モグラコーヒー」さんにて。


シェフの紹介で知り合い、そして

急逝がキッカケで再会を果たした

モグラコーヒーのマスターの手で

出されたのは「あるはずのない」

「閉店した店のケーキ」だった。


セレネーの「レアチーズケーキ」。


(……なんで?なんでセレネーのケーキが

まだ「この世に」あるんだよ?なんで?)


「閉店後、お店の片付けをする中で

冷蔵庫の中も見るじゃありませんか。

その時に『仕込みの途中の材料』が

見つかったんです。


奥様もスタッフもパティシエールも

『全ての材料を無駄にはしない。』

セレネーの主義に則って、厨房で

その材料を全てケーキに仕上げて。


で、閉店後にお店にゆかりのある方に

ちょっとずつお裾分けされたんです。」


声も出なかった。驚きのあまり

表情も固まってしまっていた。


「それは慎次シェフの手が入った材料で

作られた正真正銘の『この世に存在する』

『最後のセレネーのケーキ』なんです。」


ケーキから、目が離せなかった。


マスターが話を続ける。


「正直こんなタイミングで、おごさんが

お店に来るなんて……本当に驚きました。

おごさんは何か『持っている』人だなと。

本気で思いましたよ、自分は。」


軽く、腰が抜けていた。


「こんな貴重なケーキを私がいただいて

本当によろしいんでしょうか……。」


「いえ、貴方が食べるべきケーキです。

この世に存在する、正真正銘、最後の

セレネーのケーキを食べるべき人間の

ひとりは間違いなく、貴方です。」


頭の中がぐるぐると回っていた。


目の前で何が起こっているのかが

受け止めきれて、いなかった。


・冷蔵庫の中から材料が見つかり

・それをケーキにしようと考えて

・作った後にお裾分けを行なって

・そのケーキがマスターに渡って

・そのタイミングで私が店に来る


この中の要素の「わずかひとつの」

ズレでもあれば目の前のケーキは

絶対に存在してはいないのだ。


(なんだよ、なんなんだよ、それ……。)


側(はた)から見たら、カフェで

レアチーズケーキを食べようとする

そんな小さな出来事にしか見えない。


しかし、これは紛れもない「奇跡」。


根津に起こった「小さな奇跡」。


(……そうか、セレネーっていうのは

ここまでやるお店だったんだな……。)


あまりの驚きに涙も出てこなかった。


おそらくシェフはこの光景を見ながら

勝利の笑みを浮かべているに違いない。


私の顔には見事なまでにセレネーに

「一本」を取られた敗者の苦笑い。


「……まいった、まいりました……。」


私とマスターとで目を合わせて

思わず笑顔がこぼれてしまう。


「マスター。」


「なんです?」


「マスターが昔、キッチンカーで

コーヒー売ってた頃、マスターの

コーヒーとセレネーのケーキとで

ケーキセット食べたいなあ、って

話してましたよね。」


「してましたねえ。」


「このケーキに合わせるコーヒー、

お願いしても よろしいですか?」


「……喜んで。」


正真正銘、この世に存在する

最後のセレネーのケーキ。


ニュージーランド産の口溶けが

滑らかなクリームチーズケーキ。


「レアチーズケーキ」に合わせて

淹れられた渾身のコーヒーはモカ。


「……ではお召し上がりください。」


モグラコーヒーのマスターにも

私にも、悲しみの涙はなかった。


そこにあるのは、閉店してもなお

顧客に驚きと喜びを与えてくれる

セレネーの、素晴らしい仕事への

最大級の賛辞があるのみだった。


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「記録より記憶に残るものを。」

セレネー、慎次大シェフは良く

こんなことを言っていた。


私は死ぬまで根津に在った名店、

セレネーを忘れはしないだろう。


というか「こんなこと」をやられたら

死ぬまで忘れたくても忘れられない。


セレネーが私にくださった「最後の」

作品とは「奇跡」だったのだから。


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慎次大シェフに、奥さまに、スタッフに、

パティシェールに。そして、セレネーを

支え愛し続けてくれた皆さまへ心からの

感謝と敬意を改めて申し上げます。


根津の歴史を彩った名店セレネーに。


そして、根津の「小さな奇跡」に。



Merci , Selene.

(ありがとう、セレネー。)

Au revoir . 

(さようなら。)