「なんで勉強するの?」

子どもにそう聞かれたら、なんて答えるだろう。

「いい大学に行くため」
「いい会社に入るため」

もちろん間違いではない。

でも、それだけだと少し違和感がある。

大学に行かない人もいるし、大人になってから学校で習ったことをそのまま使う機会は意外と少ない。

実際、社会人になって二次関数を解くことなんてほとんどない。

だから子どもに

「数学なんて将来使わへんやん」

と言われたら、ある意味その通りだと思う。

でも、勉強の価値はそこではない。

あるとき、「数学なんて使わない」という話を聞いていて思った。

それって、

「ベンチプレスなんて日常生活でやらへんやん」

と言うのと少し似ているな、と。

確かに日常で100kgのバーベルを持ち上げることはない。

でも、ベンチプレスをやる目的は100kgを持ち上げることそのものではない。

筋力を鍛えるためだ。

筋肉がつけば、重い荷物も持てるし、疲れにくくなるし、スポーツも上達する。

つまりベンチプレスは目的ではなく、身体能力を鍛えるためのトレーニングだ。

勉強も同じなのだと思う。

数学を勉強する目的は、二次関数を解くことではない。

問題を分解する力。

条件を整理する力。

筋道を立てて考える力。

答えが正しいか検証する力。

そういった「考えるための筋肉」を鍛えている。

国語も同じだ。

小説の内容を覚えることが目的ではなく、文章を読み取り、人の考えを理解し、自分の考えを言葉にする力を鍛えている。

歴史も年号を覚えることが目的ではなく、出来事の背景や因果関係を考える訓練になっている。

学校で学ぶ内容そのものよりも、その過程で鍛えられる能力の方が大切なのかもしれない。

社会に出てから、そのことを強く感じる。

仕事では常に新しい問題が出てくる。

新しいツール。
新しい技術。
新しい市場。

そのたびに学び直さなければならない。

結局、社会で強い人は知識が多い人というより、

「学び続けられる人」

なのだと思う。

勉強ができる人は、知識量が多いから優秀なのではない。

知らないことを理解する方法を知っている。

分からないことを調べられる。

情報を整理できる。

そういう力が高い。

だから勉強は、知識を詰め込むためだけのものではない。

大人になってからも学び続けるための練習だ。

日本では「努力」や「根性」や「人として成長するため」と説明されることも多い。

もちろんそれも大切だと思う。

でも、もっとシンプルに言えば、

勉強は脳の筋トレだ。

ベンチプレスが筋肉を鍛えるように、勉強は考える力を鍛えている。

だからテストの点数だけが目的ではない。

将来、自分の頭で考え、学び、判断できる人になるために勉強する。

そう考えると、「なんで勉強するの?」という問いに対する答えも少し変わって見える気がする。