最近、「我慢することは本当に良いことなのか?」と考えることがあった。
世の中ではよく、
「頑張れ」
「努力しろ」
「我慢が足りない」
と言われる。
でも一方で、
「無理するな」
「逃げてもいい」
「心が壊れる前に離れろ」
とも言われる。
正直、どっちが正しいのか分からなくなることがある。
ダイエットなら空腹を我慢しなければ痩せない。
勉強もスポーツも、ある程度はしんどい思いをしないと上達しない。
でも、いじめやパワハラまで我慢するべきかと言われると、それは違う気がする。
では、その違いは何なのだろうか。
良い我慢は「投資」
自分なりに考えてみると、良い我慢には共通点がある。
それは、
「今の苦しさが未来の自分の力になること」
だ。
例えば、
* ダイエット中の空腹
* ランニングの苦しさ
* 資格勉強
* 新しいことへの挑戦
こうしたものは、その場ではしんどい。
でも、その苦しさの先に健康や知識、技術が残る。
筋トレが分かりやすい。
筋肉は一度負荷をかけて傷つく。
でも回復すると前より強くなる。
良い我慢とは、未来の自分への投資なのだと思う。
悪い我慢は「消耗」
一方で、悪い我慢もある。
例えば、
* いじめを我慢する
* パワハラを我慢する
* 毎日吐きそうになりながら働く
* 人間関係のストレスを抱え続ける
こうしたものは、どれだけ耐えても能力が伸びるわけではない。
むしろ心や体が削られていく。
これは筋トレではなく、骨折しているのに走り続けるようなものだ。
頑張れば強くなるのではなく、壊れていく。
努力と消耗は似ている
やっかいなのは、努力と消耗は見た目がよく似ていることだ。
どちらもしんどい。
どちらも疲れる。
でも決定的な違いがある。
努力は、
「今日の苦しさが未来を楽にする」
例えば英語の勉強。
最初は苦しいけれど、できるようになれば世界が広がる。
一方で消耗は、
「今日も苦しいし、明日も苦しいし、来年も苦しい」
理不尽な環境を我慢し続けても、その環境が変わらなければ苦しさは続くだけだ。
逃げることは負けではない
昔は「逃げるな」が美徳だった。
でも今は少し違う気がする。
大切なのは、
「戦う場所を選ぶこと」
だと思う。
野球選手がサッカー場で活躍できないからといって、努力不足とは言えない。
場所が違うだけかもしれない。
環境を変えることは、必ずしも逃げではない。
むしろ、自分が力を発揮できる場所を探す行動かもしれない。
自分に問いかけたいこと
最近は何かを我慢しているとき、こう考えるようにしている。
「この苦しさは、半年後の自分を強くしているだろうか」
知識や技術、健康、人とのつながりとして残るなら、その我慢には価値がある。
逆に、ただ心と体を削っているだけなら、一度立ち止まって考えた方がいいのかもしれない。
良い我慢と悪い我慢の違いは、
我慢しているかどうかではない。
その苦しさが未来の自分への投資なのか、それとも現在の自分の切り売りなのか。
その違いなのだと思う。
