東京に降り立って
早くも、この震災が風化しているような風を感じた。
雨雲のせいなのか。。。
とても怖い。
異様な雰囲気のまま
毎日は過ぎゆく。
世界の終わりのような感覚も
少なからずあった。
交通網が麻痺しようが
健康に今日も生きている。
そして時を同じくして、
食料も住まいもなく
家族の安否も確認出来ず
不安を抱えたまま
集団生活を余儀なくされている人々がいる。
また、命を落としている人がいる。
この大きな違和感を前に、
言葉に変換していく作業だけで
何日も過ぎ、
未だ頭の中は
”何が正しくて、何が出来るのか”
そんな事ばかりが駆け巡っている。
いち早く義援金やチャリティを通して
多くのお金を集め出来る事を実践していく人や企業。
そしてそれぞれの立場から
出来る事を探し、呼びかけを始めたりするミュージシャンや芸術家。
目に映る人達を
一生懸命にサポートしようと
無償でライフラインを提供する
個人商店など。
ただただ人としての温かな部分だけで
こんなに強く結びついていける事を知って、
感涙する度に自分の無力さを痛感する毎日。
自分が何に向かって突っ走っていけるか。
それを考える時に矛盾は妨げになる。
自分に正直に、
嘘偽りなく、強い想いをもって
その火を燃やし続けなくてはいけない。
でも、今何が正しくて、何をすべきなのか。
そんな事に頭を悩ませている。
多くの声や、多くの意見、多くの情報に触れれば触れる程
様々な角度からのものごとの捉え方を目の当たりにする。
ある人がそれを最善と思い行動にいたったとしても
目的の人々にそれを拒まれる事もある。
ある人はそれを行動に落とし込むべきではないと判断した事も
それをもとめている人々がいるのも常だ。
ものごとには常に光と影があって
そのどれもが正しさを主張していたりする。
そして自分の思う
”正しい事”をすると決めた時に
その需要と供給のバランスが均等である事は少ない様に思う。
それは、きっと
それぞれが主観であるからだと思っている。
少なくとも今まではそうであった様に思う。
本当の意味で相手の事を想い
張り裂けそうな程の胸の痛みを味わって
相手の望む何かを正しく判断して
命がけでそれを贈る事に賭けたと言える事がなかったから。
でも、今もし行動しなくてはならないとすれば
その覚悟をもって動き出したい。
多くの想いに頭の中をかき乱されている間に
コチラでは鉄道も通常ダイヤの8割が運行を始め
各商店の食料品もまたいつものように戻りつつある。
そしてアチラでは
既に確認出来ているだけで2万人の方が亡くなっている。
きっとまだまだその数は増えていく。
コチラの状況は
どんどん回復していって
今は逆に怖くなっている。
この歴史的な大惨事が
早くも忘れ去られていくムードになっている様な気がして。
例えば多くの協力のもと
お金がたくさん集まっても
復興には長い目で見た支援が必要だろうし
街が回復しても
たくさんの被災し亡くなってしまった方々と
遺された方々のメンタル的な支えが不可欠。
長い目で、この震災を想い続け
その火を燃やし続けなければ誰も救えない。
今日も平和に日々を送れているからこそ
忘れてはいけない事だと思うから。
被災者が失ったものは
僕の想像を遥かに超えた境地の中にあるだろうし
その前では自分自身が放つ言葉や行動は
もしかしたらひどく相手を傷つけてしまうかもしれない。
でも本当の回復をみせるまで
本当の笑顔が戻るまで
出来る事がなにで、何をすべきかを見つけたい。
被災地外の暗くなった
たくさんの方々を”笑い”で励ます為に
立ち上がった吉本興行。
同時に募金活動も開始。
テレビ番組中に寄付金を集めて全額を寄付してくれた国。
非常に大きな個人資産を寄付にあててくれた数多くの著名人。
チャリティアルバムを作って
全額を寄付にあてている海外のバンドの数々。
数え上げたらキリがないぐらい
世界規模で一致団結している。
どんな分野でも、どんな人でも
目的があるときの人がもつエネルギーは凄まじい。
立ち上がって復興に向け走り出すそのとき
それを支えられる様な心でありたい。
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