昨日の天長祭から言葉の重要性を考えてみる | おぎ村ふみ規オフィシャルブログ  100年後も選ばれる、廿日市に!

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廿日市が100年後も選ばれるまちであって欲しいと願う、広島県廿日市(はつかいち)市議会議員おぎ村ふみ規(3期目)のブログです!

皆さん、こんにちは!
廿日市 広島から日本を元気に!する市議会議員
宮島の目の前の、おぎ村 ふみ規です。



昨日、広島護国神社で挙行されました
天長祭(天皇陛下のお誕生日をお祝いする会)に参加して参りました。


巫女による舞


ここで、NPO法人まほろば教育事業団 広島まほろばの会
(広島各地で日本の伝統・文化を次世代に伝えることを目的に
教育事業をされています)
HPクリックhttp://hiroshima-mahoroba.jimdo.com/
代表世話人 松田 雄一さんのfacebookでの書き込みを引用させて
頂きます。

引用開始

天長節をお祝い申し上げます。

日付をまたいでしまいましたが、昨日は今上天皇の御生誕日です。
お健やかに幾久しくあっていただきたいと祈ります。

天長節…というと耳慣れない方もあるかも知れないですが、天は長く…という意味において天皇の誕生日を指す言葉です。
※ 皇后陛下の御生誕日の場合は「地は久しく」という意味で「地久節」ですね。

ではここで「だったら天皇誕生日も天長節も一緒だろ。分かりやすく言ってくれよ。天皇誕生日でいいよ」という意見が出てくるかも知れませんね。

確かに言語を単なる「伝達ツール」と考えれば、「天長節」と「天皇誕生日」は統合で結べるでしょう。また同様に「新嘗」と「勤労感謝」が結べるということになりますね。
であれば、高藤さんちの兄の晋作くんと弟の博文くんがいたとして、「晋作」と「長男」および「博文」と「次男」は同じである…となりますね。
じゃあいっそ名前を「長男」「次男」にしてみてはダメでしょうか。いやいや、もっと簡素に「1号」「2号」でもいかが?

特別なものであるから心をこめて名付けをするんですよね。
だから自分は「天長節」と「天皇誕生日」はイコールではないと思っています。便宜的に表層で通用しても、ニュアンスとして違う。

「天皇誕生日」で伝達という言語の目的は達せられますが、特別なものという感覚はなくなりますね。
「誕生日」というのはありふれた言葉であり、いくらでも組み合わせを変化させることができます。
「父の誕生日」「妹の誕生日」「課長の誕生日」などなど。しまいには「ポチの誕生日」でも使えます。

平成の御代の12月23日を特別なものだと考える人は「天長節」を使うのが良いのではないかな…と思います。
※ もちろん、そう思わない人は自由な言葉で表現すればよいと思います。

言葉というのは恐ろしいもので、その言葉を廃したり、改めたりすれば、ある概念を消すことができます。また、新語を作ると新しい概念が生まれます。

分かりやすいところでは、「こういう症状」という不調が病名を冠されれば確実に「病気」として認識できます。

敗戦後に占領軍はこの方法を多用し、童謡でさえも「御代」「兵隊」「国のため」というフレーズを削除したり、別の言葉で置き換えたりしていますし、報道では「わが国」が規制対象となり、結果として「この国」が浸透しました。
「わが国」と「この国」では違うでしょう。ともに日本を指していても軸足の置き方、主観ポイントの設定が違う。

また、天皇はいらない・廃すべきだという人は「天皇制」という言葉を作りました。
これにより単なる「制度」に転落させてしまい、その制度は廃止しようぜ、という展開が可能になります。
ですから「天皇制を維持しよう」という人は、自らおかしな土俵に上がりこんでいることに気づかねばならないと思います。

日本にとって天皇・ご皇室は「背骨」ではないかと思います。
私たちは自分の体に背骨があることを「背骨制」とは言わないですし、心臓があることも「心臓制」とは言わないですよね。
それと同じことで、日本の成立と存続の中心だと思います。

もっと砕けた言い方をしてしまうと、神武建国から125代に亘り、日本アパートの入居人を暖かく慈しみ、入居人の平安を毎日祈ってくださる大家さんです。
入居人が「大家さん、出て行けよ」なんて変な話。

というわけで、自分はこの日本のありようが永く続いていくことを心から祈り、日本人が一旦、戦後の「いろいろ」を乗り越えて自分たちを見つめ直す機会を作っていければ…と思います。

今年、広島まほろばの会の素読授業には1年間でのべ1,400名を超す方が参加してくださいました。昨年は850名でしたので、本当に嬉しいことです。

日本の伝統や文化、心を伝えたくて平成22年にスタートさせたわけですが、皇室を語ると「教育事業なのに政治的だ」と言われたり、平成23年3月以降には教室に国旗を掲げるようにしましたが「国旗は不快だから下ろしてほしい」と言わりたりしました。
一体ここはどこの国なんだろう…と感じました。

広島まほろばの会は教育組織として政治的な中立は絶対だと思っています。そのために細心の注意を払っています。

皇室を語ることは政治的なものではありません。いわばど真ん中だと思います。
わが国ではどんな時でも天皇の存在を前提に政治的な議論をしてきました。
その存在は政治を超越したものでした。
だから、ここが意識できないと日本が理解できなくなってしまいます。
日本というのは、歴史・文化・言語などなどのすべてです。ですから、天皇や皇室を語らずに日本を語れというのは難しいどころか無理なんです。

「広島まほろばの会の授業は楽しいのだが、天皇の言葉とは素読させるのはやめてほしい」
「論語とか俳句だけでいいと思う。皇族の言葉とか、なんかイメージ悪い」
という声を複数いただきましたが、根気よくやっていると「なんだか自分の考えのほうがヘンだった。自分が受けていた教育にいろいろあったんだね」というように考え直してくださる方も続出しました。

だから「天皇なんてなんか好きじゃないね」という方にも「不敬な!お前は敵だ!」なんて絶対言いません。
「そうなんだぁ。そういうのもアリだよね。んで、なんでイメージが悪くなったの?」
みたいな感じです。

かく申す私も、府中中学校や城北高校の授業で完全無欠の「反日日本人」となり、その呪縛が解けたのは関東の大学に進んでからでした。
これではいかん。特に「前歴」があり、全国的に落第の烙印を一度は押された広島県の教育。
広島にいながらにして当たり前の教育が受けられるように…というのは大事なことだと思います。

明治天皇の御真影を出す時も
「おぉ、イケメンですねぇ」
なんて軽佻なことを言いますが、それはまず意識してもらうため。
あまりハードなことを言っていると誰も楽しく学べませんし。

「素読の集い」のチラシも基本的には朝日新聞と中国新聞に入れるようにしました。
産経新聞に入れたらいいよ、という人がいますが、それではあまり意味がない。
朝日新聞の読者も来て下さっています。内輪で盛り上がるのはもうそろそろやめませんか?

さて、ここのまで書いて言うのもアレですが、天皇を廃して共和制国家を作ろうと思い、いろいろなアクションをしている人…これには同調しませんが、一定の敬意を持ちます。
なぜなら、自分の信じる国づくりに本気だから。実現のためにがんばっているから。

口だけで持論を展開する味方より、アクションで攻めてくる敵のほうが魅力的じゃないですか?
考え方は違うけれども、その本気度を買いたい。そういう人のほうが味方として強力なパートナーに転じてくれる可能性を秘めていると思います。

スミマセン。長くなりました。
ここまで読んでくださってありがとうございました!



引用終了

『言葉』『言霊』の重要性、
そして実践、行うことの重要性をあらためて考えさせられました。

古典の素読を中心に熱心に活動されている松田雄一さん。
生業を持ちながら、週末に地道な活動を続けられております。

今年11月に初めて参加しましたが、毎日の
『五省』の素読が日課になっております。
来年も出来る限り子供と一緒に学ばせて頂こうと思っております。


廿日市大野の速谷神社や大頭神社でも年に数回、素読の集いが行われます。
是非、お子さんの健全な成長にご一緒に取り組まれてみませんか?

素読の集いの日程はこちらから
クリックhttp://hiroshima-mahoroba.jimdo.com/%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%81%AE%E3%81%94%E6%A1%88%E5%86%85/


感謝!荻村 文規