2000本安打を放った石井琢朗選手は投手からの転向組なんじゃ! | おぎ村ふみ規オフィシャルブログ  100年後も選ばれる、廿日市に!

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廿日市が100年後も選ばれるまちであって欲しいと願う、広島県廿日市(はつかいち)市議会議員おぎ村ふみ規(3期目)のブログです!

皆さん、こんにちは!
廿日市 広島から日本を元気に!する市議会議員
宮島の目の前の、おぎ村 ふみ規です。



広島東洋カープの石井琢朗内野手が今季限りの

引退を表明されました。(写真は中国新聞インターネット版より拝借)

石井選手は42歳。1988年足利工業高校から
当時の大洋にドラフト外で入団ですから、私の一つ上の先輩になります。

92年に投手から野手に転向され
2006年に2000本安打を記録。
「記録」もさることながら、数々のチャンスなどでの活躍で
「記憶」に残る名バッターであり大選手!、というのが僕の印象です。


そんな石井選手がもともとは投手だったなんて
初めて知りました。確かに高校野球位までは
エースピッチャーで4番打者!も珍しくないですが、
プロの入ってから転向され、2000本安打まで
記録されたのは並大抵の努力ではないと。

今日午前中の記者会見では、
「横浜時代には“選手”として、広島では“人”として
成長させてもらった」と発言。


その発言だけみても素晴らしい指導者になっていくのは
必然だと思います。

同世代の益々の活躍を願ってやみません。

頑張れ石井琢朗!
頑張れ広島東洋カープ!


感謝!荻村 文規