“致知新春の集い”
昨日の記事
↓
http://ameblo.jp/ogimura-fumiki/entry-10789022860.html
の時に配られた資料に、月刊誌“致知”
1月号の一部があります。それを原文ママ掲載させて頂きます。
抜粋開始
特集 盛衰の原理
今年(平成23年)、日本は皇紀2671年である。海に囲まれた小さな島国が、様々な試練を経ながら高い民度と文化を備え、今日まで発展してきたのはなぜだろうか。そこに盛衰の原理のヒントがあるように思われる。例えば、伊勢神宮では、正殿をはじめ社殿の全てを新たに造り替える式年遷宮が二十年に一回行われてきた。二年後に迎える式年遷宮は六十二回目になる。今回の総工費は五百五十億円。うち二百二十億円は民間からの志によると聞く。第一回の式年遷宮が行われたのは持統天皇四(690)年。戦国時代に中断された事はあったが、以来千三百年、この行事は連綿と続けられている。伊勢神宮だけではない。全国でその地にある神社が地域の人々によって大事に護持されている。これは、世界の驚異と言っていい。
渡部昇一氏に伺った話である。氏は若いころ、ギリシャのスニオン半島を二週間ほど旅し、ポセイドン神殿はじめ多くの遺跡を見た。帰国後、石巻に行った印象が忘れられないという。石巻には港を見下ろす丘に大きな神社がある。その祭りを街を挙げて祝っていた。海を見晴らす丘に海神を祀るのはギリシャも日本も同じだが、ギリシャの神ははげ山の中の遺跡と化している。しかし、日本の神は豊かな鎮守の森に包まれて社に鎮座し、住民がこぞって祝っている。「古代ギリシャ文化はもはや死んでしまったが、古代日本文化はいまもまさに生きているのです」
この事実は何を物語るのか。ギリシャ神話は有名だが、神々の系譜は神話の中だけで完結、断絶し、いまに繋がっていない。これに対して日本は、天照大神の系譜に繋がる万世一系の天皇という具体的な存在を軸に我われの先祖は目に見えないもの、人知を超えたものを畏敬し、尊崇する心を、二千年以上にわたって持ち続けてきた、ということである。目に見えないものへの畏敬、尊崇の念は、自らを律し、慎む心を育んでいく。「心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らむ」という心的態度はこの国に住む人たちに共通した価値観となって定着した。言い換えれば、私たちの先祖は「自半尽己」に生きたのだ。自半とは指を相手に向けるのではなく、自分に向ける。全てを自分の責任と捉え、自分の全力を尽くすことである。そういう精神風土を保ち続けたところに、この国の繁栄の因がある。同時に忘れてはならないのが、我われの先祖が絶えず後から来る者のことを考え、遠き慮りの心持ち続けたことであろう。
詩人の坂村真民さんそういう先人の祈りを象徴するような詩を残している。
《あとから来る者のために
田畑を耕し 種を用意しておくのだ
山を 川を 海を きれいにしておくのだ
ああ あとから来る者のために
苦労をし 我慢をし みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ自分にできる なにかをしてゆくのだ》
これからの我われ日本人のとるべき態度、姿勢
向かうべき方向性が示されとると思います。
50年後、100年後、1000年後の我われ日本人の祖先にも
立派に受け継いでいかんといけんですね。