痛ましい放火事件が起きてから約10日が経ちました。私も同社のアニメのファンだったのですごく胸が苦しいです。

そして、きっとみんな同じ意見だと思うのですが、犯人に対して強い怒りを覚えましたし、今も沸々と怒りは存在しています。
この事件についてちょっと「。。。。」と思うことがありました。
それは、犯人はどうこうではなくて、この事件直後のSNS(特にツイッター)での反応のことについてです。

事件直後、SNSでは犯人に対する怒りの言葉や、京都アニメーションさんの被害者の方々、そして寄付などについてたくさんの強い言葉で溢れていました。ちょっと行き過ぎかとも思える、でも犯人への怒りのような言葉、追悼の言葉で溢れていました。

が、約10日経つとどうでしょう。

その方々(全ての方々ではありませんが)のツイート等を見ると、「夏休みキター!」とか「ハワイ楽しみすぎる!」という内容に変わっているんですよね……。あれだけ強い言葉で犯人や京アニの追悼をしていた人たちが、たった10日足らずで真逆とも言える内容に……。

もちろん直接の被害者でも関係者でもないのも理解できます。
ですが、この変わり方って、ちょっと怖いといいますか、人間の群集心理の怖さのようなものさえ感じます。

他人は他人です。それはわかります。でもね、なんだかちょっと怖さを感じるんです。
大好き! と言っていた友達と別れる時に、振り返った瞬間に真顔になる感じというか……。

正直、だったらそんな聖人みたいな発言を、しかも短文で「許せない!」とかしなきゃいいのに……。
そういう言葉はずっとその言葉のまま誰かに届いて、そしてその言葉は誰かに何かを伝えてしまう。
そしてその言葉を信じた人は、そのあまりの変化に戸惑ってしまう。

考えていただきたいのですが、もし自分の大事な人が亡くなって、周囲の人がSNSでお悔やみ申し上げます、と書いていて、次の瞬間に、「ハワイ最高なう」とか書いていたらどう思いますか?

 

 

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