大前提として、「全ては自己責任」でして、ゲームをどう楽しむかというのも、完全に個人の自由です。
が、最近は数十万という金額をスマホゲームに費やして親を困らせてしまったり、逆に親の世代の人間が多額の課金をして生活に困ってしまうという状況も生まれています。
まず考えていただきたいのは、「ゲームなんてなくても人間は生きていける」ということ。
例えば、ちょっと極論かもしれませんが、無人島にナイフ一本で取り残されてしまったとします。
そうなると水分の確保、食料の確保、寝床、暖をとることが最重要になりますよね。
もちろん電気なんてありません。映画、キャストアウェイを観た方ならこれをご理解いただけると思いますが、「娯楽」なんて存在しません。
人間は順番として、食べること(水分)、寝ること、が生き物として根底であり、最初にあります。
ゲームがあっても水分がなければ、5日持つか持たないかでしょう。(個人差はあれど)
そう考えてみると、ゲームなんて実は「超贅沢品」なんです。
ましてや数十万の課金をして、本来の生活を圧迫してまでゲームをするというのは生き物として矛盾していますよね。
画面の中で、プログラムであるデータ(絵もデータ)を手に入れて、一瞬の恍惚感を得たところで何になるのでしょうか?
もちろん、適度な遊びは人間の生活や気持ちを豊かにしてくれるのを前提でです。
そういう多額の課金をする人というのは、大抵が「自分に自信がない」からこそ、ゲームの中の自分のキャラクターを強くして自分も強くなった気分になる、なりたい人。
でも結局は、会社がお金儲けのために作った、金属とプラスチック、電波、そしてプログラムに触れているだけ。
客観的に自分を見て、本当にその課金が必要なのか考えてみることが大事だと思います。