この時期になると、新社会人や学生さんから自殺する方が出てきてしまいます。
人をものに例えるのはおかしいかもしれませんが、社会が作った「器」に入ろうとしても、どうしてもその器はその料理には合わなかった。そして、自分はダメな料理なんだ、不味いんだ……と思い込んでしまい、自らを捨ててしまう。
料理に例えたのには意味があります。
例えば、高級フランス料理店で即席カップ麺を出すのはおかしいですよね。
逆に、地元の小さな定食屋で、なんとかフォアグラのなんたらソースがけが出てくるのもやっぱりおかしいんです。
が、考えてみてください。
このそれぞれの料理って、出される場所さえ間違えなければ両方ともとっても美味しくいただける紛れもない食べ物なんです。
人間もそれと同じで、たまたまの学区だったり、学力によって、そしてその先に苦手な人たちがいるかもしれません。
が、それだったらその自分(料理)をそこで勝負して食べてもらう必要なんてないんです。
でも人間、特にまだ人生経験の少ない10代の子は、その学校が「人生の全て」だと思ってしまっている。
逆にさ、食べる側だとしてもお店や料理を選ぶことができますよね。それでいいんですよ、学校なんて。
もし自分をどこでも食べてもらえそうになかったら、わざわざ人に食べてもらう必要なんてありません。自分でまずは自分を食べてみればいい。そんな時間をゆっくり作ればいい。
きっと周囲の同世代は、ドラマや映画、アニメとかの生活に表面上だけ影響されて、こんな恋愛が素敵! とか思い込んで騙されて利用されているだけ。
バカにしていればいいんです。ああ、騙されて大人に利用されてるなあ~って。
自分はそんな見た目だけの料理じゃないって思えばいい。
考えてみてください。
世間では嫌われ者の、例えば暴走族だって、死なないで、良くも悪くも人生を謳歌しています。
悔しいじゃない? 真面目にやってきて、そんな連中より暗い人生なんて。
死ぬんだったらグレて悪いこと(人にあまり迷惑かけないでね)した方が勝ち。
学校なんてそんなもん。偉くもなんともないですよ。